頭木弘樹(文学紹介者) ・太宰治【絶望名言】
「ダメな男と言うものは幸福を受け取るに当たってさえ、へたくそを極めるものである。
弱虫は幸福をさえ恐れるものです。
綿でけがをするんです。
幸福に傷つけられることもあるんです。」 (太宰治)
20歳の時、難病潰瘍性大腸炎を患い13年間に及ぶ療養生活を送りました。(頭木)
悩み苦しんだ時期に救いとなった言葉を絶望名言として紹介しています。
代表作は「人間失格」
太宰治は38歳(1909年生まれ)で亡くなっているが、松本清張さんと同じ歳。
太宰治を嫌いな人で代表的なものは三島由紀夫。
太宰の持っていた性格的欠陥は少なくともその半分は冷水摩擦、器械体操、規則的な生活で直されるはずだと言っている。
太宰は三島より16歳年上だが、三島は「太宰さんの文学は嫌いなんです」と面と向かって言っている。
それに答えて太宰は「そんな事言ったってこうしてきてるからやっぱり好きなんだ」と言っている。
それを聞いて三島は又怒るわけで、二人は両極端な人ですね。
「生きて居ること、生きて居ること、あーっそれは何というやり切れない、息も絶え絶えの大事業であろうか。
僕は僕と言う草はこの世の空気と陽の中に生きにくいんです。
生きて行くのにどこか一つ欠けて居るんです。
足りないんです。
今まで生きてきたのもこれでも精一杯だったのです。
人間は何か一つ触れてはならぬ深い傷を背負って、それでも耐えて素知らぬふりをして生きて居るのではないのか。」(「斜陽」、「火の鳥」の中の一節)
思春期はどうしても多かれ少なかれ生きづらさを感じていると思う。
辛い辛いと言ってくれることは救われる。
太宰を嫌いな人はナルシスト、甘ったれだとか、駄目な自分に酔っているとか、そんなふうな言い方をして貶す。
普通は自分を隠すが、だけど本当は誰だってナルシストだし、甘ったれだし、駄目な自分に酔っているそういう部分はあると思う。
それをそのまま書く嘘の無さに若いころは感激するんじゃないですかね。
大人になるとあからさまに描かれることに耐えられなくなってくる、隠すべきものをそんな見せつけないでほしい、と三島も言っている。
私自身、若いころ太宰を読んで、そのうち太宰なんかと思い読まなくなって、又今では読むようになってきている。
太宰に戻ったのは、病気をしたことが大きかった、改めて又魅かれるようになった。
辛い環境の中で過ごしていかなければいけないと言うことの中から、太宰に救いを見出すと言うことはありました。
自分に問題があるのではないか、廻りの環境に問題があるのではないかと思った時に読むと、救われると言う気になります。
私は病気になっている自分を写真とかに残したくはなくて、当時の期間の写真は一切ありません。
当時、摂られるのを拒否していました。
「私は人に接するときでも心がどんなにつらくても、身体がどんなに苦しくても、ほとんど必死で楽しい雰囲気を作ることに努力する。
そして客と別れた後、私は疲労によろめき、お金のこと、道徳の事、自殺の事を考える。」
自殺、死にたい、という表現は作品の各所に出てくる。
現実に人と会う時には楽しくしていて、書く時には赤裸々に書いていて、その差も面白いです。
明るくしていれば周りも楽なので判らない。
人間は一筋縄ではいかない、表面的なもの、奥底にあるもの、二重三重に判らない、外から見るだけではとても判らない。
*「男のくせに泣いてくれた」曲
「夢のように はかなく 私の記憶は 広告写真みたいに 悲しく通りすぎてゆく 淋しかった 私の話を聞いて 男のくせに 泣いてくれた 君と涙が 乾くまで 肩抱きあって眠(ね)た やさしい時の流れはつかのまに いつか 淋しい 季節の風を ほほに 知っていた
君と涙が 乾くまで 肩抱きあって眠(ね)た やさしい時の流れはつかのまに いつか 淋しい 季節の風を ほほに 知っていた」
一緒に泣いてくれる、歌詞も太宰的な感じがする。
「命運がふっと胸に浮かんでも、トカトントン。
火事場に駆け付けようとしてトカトントン。
お酒を飲んでも少し飲んでみようと思ってトカトントン。
自殺を考えトカトントン。」
トカトントン、に特に意味はない。
トカトントンと云う音が聞こえてきてむなしくなる、やる気がうせる。
カフカも同じようなことを言っている。
「いま僕がしようと思っていることを少し後には、僕はもうしようとは思わなくなっている。」 (カフカ)
人間って、人生に大きなものを求めているがなかなかそういい事はない。
小さな事の積み重ねで、そう思うとついむなしくなってしまう事があると思う。
人間どこかでなにか大きなことを待ち続けて居る気持が、人生のどこかにあるのではないか。
人生に何か大きなこと期待しているからこそ、トカトントンが聞こえてきてしまうという事があるかもしれない。
病気が治るとなんでもどんなこともできるように思うが、手術をして治ると思っていたようなことはできなくて、その時の悲しさはありました。(13年間闘病生活)
「私は自分に零落を感じ敗者を意識するとき、必ずヴェルレーヌの泣きべその顔を思いだし、救われるのが常である。
生きていこうと思うのである。
あの人の弱さが却って私に生きて行こうと言う希望を与える。
気弱い内性の究極からでなければ、真に崇厳な功名は発し得ないと私は頑固に信じて居る。」 (「服装について」 エッセーの中の一節)
絶望の言葉が却って生きていこうと言う気を起させる。
共感する、太宰の文学も共感を読者に呼び起こして、共感できると人は少し救われる。
太宰と落語に共通性を感じる。
太宰はあんまり本を所蔵していなかったが、三遊亭圓朝の全集だけは持っていた。
落語には絶望に根差した笑いがあって、それは太宰も同じではないかと思います。
太宰は本当に弱い人だと思います。
弱さには弱いからこそ価値があり魅力がある、心が弱いからこそ、そこから光が発する、と言うこと。
弱いからこそいろいろな事に気付くことがある。
本当に弱いからこそ、他の人には気付かないことに気付ける。
「もっとも深い地獄にあるものたちほど、純粋に歌えるものはありません。
僕たちが天使の歌だと思っているのは、実は彼らの歌なんです。」(カフカ)
深い地獄にある者ほどうまく純粋に歌うことが出来る。
弱いからこそ、そういういろんなことに気付いてうまく歌うことが出来る、作品を書くことができると言っている。