かこ さとし(絵本作家)・“生きる力”は子どもたちから(1)
今年91歳、今でも続々と新作絵本を生み出している現役絵本作家です。
「からすのパンやさん」や「だるまちゃんとてんぐちゃん」などの人気シリーズから、歯や骨など人の身体、宇宙や気象現象、動植物について専門的に描いた科学絵本まで今までに生み出した絵本は600冊を超えます。
福井県越前市で生まれたかこさんは敗戦を迎えた時は19歳でした。
多くの友人たちを戦争で亡くし自分は死にはぐれたと感じて生きる道を失ったと言います。
そんなかこさんの生きがいになったのはセツルメント活動で出会った子供たちの存在でした。
東京大学工学部を卒業して化学メーカーの研究者として勤めていたかこさんが、どうして絵本作家になったのか伺いました。
4つ身体に故障があり 腰、首が痛いし、他に薬で何とかしていますが、眼も片目が悪く30年前から緑内障になってます。
長生きしたのは胃腸が丈夫で、兄弟は病弱で先に亡くなりました。
夜は片目だとだめなので日没とともに仕事は無理で、仕事は午前中に出来るだけしています。(若い頃の1/3ぐらいになってしまいました)
10時ごろには寝て、夜明けをまって仕事をやっています。
子供さんにいつの間にか興味を持って、子供さんの事を知りたかったが、工学部だったので児童心理とかを全然知らなかったので、本を読んだがさっぱり身に付かなかった。
子供さんをじかに観察して体得するしかないと思って、機会が出来ないかなと思ったが、会社員を務める中で、社会の裏表を知ったし、業務を通じて貢献、お返しするなかでもっと、直接的な事をしたいと思って、セツルメントを戦後大学生が復活させて、偶然に子供会を手伝ってほしいと言うことで行きました。
川崎に行って、会社勤めとセツルメントを2つやっていて、偶然に女子学生が手伝いに来ていたが、その後その女子学生がアルバイトで出版社にいき私の事を吹聴して、出版社のほうから絵本を書かないかと言うことになりました。
「からすのパンやさん」や「だるまちゃんとてんぐちゃん」はたくさんの方が読んでくださって、3代にわたって読んでくれたと言う話もあります。
子供さんにも共感できるものがないと、あとからずーっと続いていかない。
こちら自身が子供と同じような心にはなれないけれども、人間としての考えを自分が持っていると言うこと、自分をさらけ出す覚悟の様にして書いて、最低は10数回は書きなおします。
絵の方は時間はないが、5~6回は書きなおします。
「矢村のヤ助」 1955年頃子供会で話したらこどもたちの反応が凄かった。
当時木下順二さんの「夕鶴」が評判で、学生時代演劇をやっていましたが、木下順二さんの所に押し掛けたりして、尊敬している作家です。
「夕鶴」の内容に腑に落ちないところもあって、鶴は高貴の鳥であってヤマドリの方がずっといいと思ってヤマドリの話を基にして、ヤ助の物語を書きましたが、好評でした。
「矢村のヤ助」の概要
ヤ助と歳をとったお母さんが居て、ある冬の日に罠にかかったヤマドリを助ける。
或る日アカネと言う旅の娘が道に迷ってヤ助の家に来る。
冬を一緒に過ごし、結婚をしてお母さんと3人で一緒に暮らしているが、村を恐ろしい鬼が襲って、米10表、あわ10表、女房を添えて持って来いと言うことになる。
鬼をやっつけるには強い弓を使って一本を注ぐ、矢羽は13フシのヤマドリの尾羽でなくてはいけないとアカネが提案する。
アカネはヤマドリであることを白状する。
ヤ助は勇敢に鬼に立ち向かって鬼をやっつけるが、アカネはヤマドリに戻ってしまって、一緒に暮らすことはできなくなってしまう。
これは2014年米寿の記念として全国の公共図書館に寄贈している。
子供さんは共感すると大事に抱いて寝床まで持って行ってくれるので、全国の図書館に贈りました。
戦争中、戦後、反省としてあるので、自分自身を省みると恥ずかしいので自分自身が出来ること、やれなかったことを、どう反省するんだと言うことを出発点にさせてもらって、頼りになるのは子供さん達だけだと、子供さんたちの未来のために自分の様に後悔をしないように、自分で考える、自分で世の中を判断できる賢さを身につけてほしいと、それをお手伝いできないかと、思ったわけです。
20歳までは後悔、失敗の人生だった。
自分でも考えたはずだが、軍人だったらただで学べてこんないいことはないと思った、飛行少年だったので、近視が進み航空の道には進めなかった。
考えが浅かったわけです、判断が誤りだった。
優秀な友人たちが軍部の学校に入って特攻でみんな死んでしまって、私などは死にはぐれです。
戦争の問題を解決できる方法はないものかと、子供さんたちに明らかな方法で示したいが、いまだに勉強が足りずに、戦争を防ぐ、戦争をしないための具体策が自分でも探しあぐねてるところです。
戦争の悲惨さはよく書かれるが、悲惨を生むための、産んでしまった自分の責任に対して十分でない様に思って、それが残念です。
経済の問題をどう考えるか、どう処理するかの大問題があり、新しい考えの学者さんがいるが、自分では残念ながら実現できていないと言うこともあり非常に残念です。
3歳になると個性が出てきて、自分の好きなことは自分の発案でやって、厭な事は黙って、理屈は大人に向かって言わない。
生きる目標を失っていたが、子供と接して喪失感が無くなってきて子供には全部教わりました。
素晴らしい判断力、感性でした。
今までの教育学の理想児、児童学の本とは違う。
近所の子供さん達を集めて教わった方が早い。