2017年4月23日日曜日

平松政次(元プロ野球投手)     ・カミソリシュートで打倒巨人

平松政次(元プロ野球投手)・カミソリシュートで打倒巨人
岡山県出身69歳、岡山東商業高校時代選抜で優勝し、社会人の日本石油では都市対抗で優勝しました。
ドラフトで2度にわたってあこがれの巨人から上位指名の約束を受けたものの実際には指名されず、2位指名された大洋に都市対抗で優勝した直後に入団し、打倒巨人を目指すようになります。
以来大洋一筋18年間、独特のシュートボールを武器に数々のタイトルを獲得し、200勝投手にもなりました。
現在もプロ野球評論家として活躍する平松さんに伺います。

今年、星野仙一さん、伊東勤さん、平松さんが選ばれました。(野球殿堂入り)
現実になり感動しました。
最多勝2回、最優秀防御率1回、ベストナイン2回、沢村賞1回、オールスター出場8回、201勝を挙げる。
甲子園で優勝、都市対抗でも優勝し、プロ野球でも活躍したので総合的に評価されたのだと思っています。
星野さんは監督としても活躍したのでもっと早く殿堂入りしてもよかったのではないかと思います。
岡山東商業高校では先輩の秋山さんに次いでの殿堂入りとなりました。

当時長島茂雄さんの大ファンでした。
長島さんは昭和33年に巨人に入団したので小学校5年だったと思います。
日本石油で優勝して、昭和42年8月に入団して、8月16日広島戦で第一戦、9月6日対巨人戦に初先発して、長島さんと対決する。
ネクストバッターサークルの長島さんを見て居ると地に足がつかないような状態でした。
私がマウンドに立って、サード長島さん、ファースト王さんという自分の思いとは全く違った状態の勝負となりました。
ドラフトで入れなかった悔しさと、巨人戦に勝たないと全国区になれないと言うこと、長島さんにあのピッチャーは凄かったなあと思われたいと、そういう思いがありました。
1年目は3勝、2年目は5勝でした。
社会人では直球を三振するがプロではものの見事にホームランするわけで、プロの凄さを感じました。

2年目の春先、カーブを長島さんに大ホームランを打たれる。
それがよかったように思う。
ファンのような気持で投げて居たと思って、そこから切り変わりました。
3年目、3試合連続の完封勝ち、4年目(昭和45年 23歳) 初完封、次に堀内投手との投手戦 同点で9回に満塁策を川上監督が取る。
堀内投手の代わりに国松選手を代打で送って来るが、ピンチを脱する。
練習だけしか投げたことにないスライダーを投げて、キャッチャーフライに仕留めた。
延長戦を制して2試合連続の完封となった。
オールスター戦で優秀投手賞を貰う。
巨人戦3試合連続の完封、32イニングス連続無失点の記録を作る。
杉下選手の35イニングスの記録があるが、記録は破れそうだと思っていた。
長島選手を迎えて、キャッチャーがスーと中腰になったので、なんだろうと思いながらスナップスローを頭の上に投げた(絶対打たれない様なボール)を大根切りの様にホームランを打たれてしまって、記録は達成できなかった。(まともには勝負したかったが)

その年 25勝19敗、防御率1.95(生涯最高記録) 最多賞、沢村賞、ベストナイン賞
翌年 17勝で 2年連続最多賞、 この年の巨人戦は4勝2敗 4勝全て完投勝ち。
「巨人キラー」と言われるようになる。
都市対抗の時代、或る人がシュートを教えてくれて、しかし都市対抗時代はシュートを投げた事は無かった。
プロに入って二年間は余り勝てずにいて、近藤さんからヘボピッチャーと言うようなことを言われて、めらめらと来て、シュートを思い出して投げたらそれがすごくて物凄く曲がった。
なんでこんなボールを今まで投げないんだと言われた。
それから2ケタ勝利へと向かって行った。
体も鍛えられて、ストレートも良くなった。

200勝記念パーティーで長島さんが平松のシュートボールは打てない、短く持ちたいが、巨人軍の 4番打者が短くは持てないと挨拶しました。
長島さんの攻略法として打つ瞬間に短くスーッと持つようにした様だった。
巨人の牧野さんの指示はシュートは打つなと言うことだったが、真っ直ぐに見えてしまってついシュートを打ってしまう。(シュートとストレートの見分けがつきにくい投法)
私はストレートが90%で、ストレートで三振を取るようにしていました。
毎日がストレートの練習をしていました。
時代は違いますが、チェンジアップを覚えたらもう少し勝てたかなあと思います。
ピッチャーでホームランは25本で歴代4位になっています。
与えた18年間のデッドボールは120個でいまだにセリーグ記録になっているが、王さん、長島さんには当てては居ない、日本球界の宝なので怪我をさせたくないと言う思いはありました。
金田さんの左腕に当てて凄く怒られました、左腕は宝ですからね。

そのうち肩を痛めましたが、今の様に中5日、6日おいて試合に出てていたら、肩をいためることはなかったかも知れませんが、記憶の中にとどめてもらったことは幸せだったと思い悔いはありません。
子供のころからの夢を持って、ずーっと目標を持ってやってこられたことは、人間としては大事だと思います。
若い人は夢を持って突き進んでゆくことが大事で、壁に突き当たっても壁を突き破って行ってほしいと思います。