堀さんは50年以上にわたって声優活動を続けてきて、「忍者ハットリくん」のハットリくんや、「新オバケのQ太郎」のQ太郎役などで知られています。
先月にはその年度で最も印象に残る声優や作品をたたえる第11回声優アワードで功労賞を受賞しました。
広島を舞台にした反戦反核を訴える独り芝居、「朝ちゃん」は30年近く続けられて講演数は250回を超えています。
「新オバケのQ太郎」が1970年代、「忍者ハットリくん」が1980年代に放送。
曽我町子さんが演じて居て2作目のお化けのQ太郎を担当。
子供の世界が良く描かれていた、子供が遊べるような、子供たち自分が飛び込んでいけるような子供の世界という、気持が遊べるようなそれが素敵だったと思います。
声優の人たちもまだアニメの世界がいっぱい作られていたころではなくて、始めたばかりだったのでみんな遊びたがっていました。(収録自体を楽しんでいた)
ハットリくんは服部半蔵の子孫と云う設定となっている。
語尾に「ニンニン」とつけたのは私でした。
いきなり屋根を掃除することになり、そのシーンが長くて困ったと思って、間が持てないと思って「ニンニン」と言って暴れたんですが、スタッフも気がつかなくて、それでも受けていました。
そのほかに「ニンともかんとも」とかいろいろ付け加えていきました。
アドリブもそこが楽しければ楽しいほど生き生きとしてくる。
ちょっとした表情とか動きとかの中に楽しさがあると良いんじゃないかと思います。
ちゃんとした絵が無くて勝手な想像でやってるだけのこともありました。
高橋和枝さんがいてゲストが来て電話をする形式があり、キャラクターがコロンコロン変わって見事だなあと思ってあんなことがやれるのならやってみたいと思いました。(高校生の頃)
高橋和枝さんは天才だと思いました。
それから入って行きました。(その前は児童劇団に入っていました)
母親から大反対されて、往復ビンタを貰いました。
ろくなもんじゃない世界だと思っていたようです。
いろんなアルバイトをしながらレッスン料を稼いで、母親には内緒でレッスンをしていました。
作ると云うことに凄い魅力を感じて居ました。
やっている中の面白さは他にたとえようもなく楽しかったです。
父は医者で母親は進路はそっちの方面を願っていたようでしたが、父は早く軍医として招集されて広島に行って、8月6日の朝礼の時に原爆が落ちて、三次までトラックで自分ではいあがれる者だけ連れて行ってたが、父は亡くなってしまいました。
母は医僚系の仕事に(医者がだめなら薬剤師とか)つかせたかった。
反対を押し切ってやってきました。
独り芝居「朝ちゃん」、原爆の被害にあった朝ちゃんを助けようとする家族と友人の物語を通して反戦反核をうったえる独り芝居。
反戦(半千の)500回の公演を目指してきて、現在254回ようやく半分になりました。
どんなに父が悔しかっただろうと思いまして、あの人が生きている方が私が生きて居るより世の中のためになると凄く思ってしまって、私が何十倍も頑張らないと生きているって許されないと思ってしまって、自分に出来ることは無いかと思ったときに、子供の番組をやらせていただいてきたので、恩返しもしたいと思って、そういう内容に取り組むことにしました。
命を大事にしてほしいということと、粗末に自殺したりするなんか許さないと思って、命を大事にしなくてはいけないと云う事をずーっと訴えて来ました。
最初の頃、20歳代の女性が来て、自分はずーっと死にたいと思っていて、手伝えと言われたからここに来たけど死にたいと思うのはやめましたと言って、凄くうれしかったです。
どんなにつらくても生きていきましょうと言ってその人と手を取り合ってニッコリ出来ました。
一回しかない命だから粗末にしては厭だ、と一生懸命訴えて居ます。
山本 真理子さんの「広島の母たち」という本に出会いました。
これを形にして伝えていかなければいけないと思いました。
ハットリくんを始めたころでしたが。
白いセーラー服にモンペ姿でやっています。
難しいのは誰も助けてくれないということと、芝居全体の把握がきちんとできるように自分で心がけて居るつもりです。
でもまだ足りないのではないかといつも思っています。
若い人たち皆さんとっても出来るのが早くて器用ですが、もうちょっと下手でもいいかなあと思ってしまいます。
器用すぎて、上手過ぎて面白くないんです、生きて居るってそんなに器用でパキパキしてないと私は思います。
欠けて居るのが人間だと思っていて、皆さん上手だからどういう風にやればと口では言えないが、段々やっているうちに自分で感じ取って下さるしかないと思います。
人間としての心がちゃんとみなぎっていれば、温かみがちょっと加わって来ると思う、そうすればしめたものだと思います。
これから先もそれなりにやってゆくしかないですね