2017年4月18日火曜日

一龍斎春水(講談師)        ・女性の生き方を語る

一龍斎春水(講談師)  ・女性の生き方を語る
かつては声優として麻上 洋子さんとして活躍されました。
宇宙戦艦ヤマトの森雪の役と云えば印象に残っている方もいるのではないでしょうか。
声優の仕事を今も続けていますが、40歳になった時に語りの芸を極めようと、人間国宝の一龍斎 貞水に弟子入りし、12年かかって真打ちとなり、講談師としていま全国を回っています。

黒沢 良さんと言う大先輩が声優のための学校を開いてくれて、そこに入学させてもらって卒業するときに宇宙戦艦ヤマトの番組とめぐり合うことになり、オーディションで森雪と言う役をゲット出来て、恵まれました。
声優の学校は30人ぐらいの生徒で私が最年少でした。
声優はいろんな役に変身が出来て楽しいです。
声優は今もやっていて45年になります。
声優は芝居ができないといけないので、声優の学校を出る時に劇団に入りました。
早野寿郎さんという大竹しのぶさんらを育てた演出家が居て、先生の劇団に入って10年やっていましたが、基本は声でどう演じられるかと言う方が私にとって大事で、そっちの方を勉強する方法はないかと思っていたら、山内 雅人さんがドラマティックに読む事をやりたいと言っていて、是非私も勉強させてもらいたいと言うことで読むことの勉強が10年続きました。

お客様が自由に聞けるものにできないのかなあと思っていたら、一龍斎 貞水さんにめぐり合うことが出来ました。
一龍斎 貞水さんは講談師として初めて人間国宝に認定されたかたです。
一龍斎 貞水さんの話芸を聞いたときに物凄く自由に鵜飼が舞台の上から縄を投げ掛け纏めてキューっと引張って来るような空間を感じました。
お客さんとの空間が私がこうなりたいと思っていたことが妙に合致して、この人のところで学びたいと思って入門させて下さいと申し出ました。(40歳)
声優としてのスキルを上げたいと思って行こうと思ったが、飛び込んでから知ることになるが何百年の和芸の世界であった。
異次元の世界に飛び込んだ事を後になってから気付いて後戻りはできないと思いました。
講談も落語の世界も発声練習なんてありません。
海に向かって叫んだりするのはのどをからしてしまうので、そんなことはやりません。
師匠から盗んだものの一番は一生懸命やること、お客様に誠心誠意向う事です。

今、師匠はがんを抱えて居てのども治療によって荒らしてますが、普通の人なら声が出なくなるが、師匠は全然関係なく声が出ます。
医者がびっくりするぐらい声が出ます。
私は真打ちになるまで12年かかりました。
どういう芸をやっていったらいいのか、悩みました。
男主人公の話ばかりで、話の中身が判らないことが多いし、調子が身体の中入っていかないといけないが、そこでまずつまずいてしまう。
宇宙戦艦ヤマトの話を考えたら出来る思って、それが出来るならいいと言われて、力を得て新しいものを作りながら進めました。
師匠に春水は変な事をやっているので辞める様にと言った先輩がいるようでした。
やっているうちにお客さんは新しい事をやりたいと思っているんだと言うことで、この女性の話をあなたがやってこの人を検証してくれたらと本を送ってくれた人(黒瀬曻次郎(
くろせしょうじろう)先生と言う作家)がいて、「中村久子の生涯」という本でした。

中村久子さんは3歳のときに両手両足を病気で無くされて72歳まで生きて、人の12人分ぐらいの生涯を送られた方です。
手足のない身体で自立をし、子供を産み育て、大黒柱となり、社会的にも沢山の貢献をして最後には多くの病気を抱えた自分の身体を医学に役立ててくださいと言って、身体全部を提供して亡くなった方です。
物凄い人の生涯の本を読ませていただいて大感動して、涙を流しながら読んで、自分の話にしたいと師匠に打ち明けたら、作れるならいいよと言っていただきました。
すこしずつ高座にかけてみましたら、お客さんの反応はノーだったんです。
あなたの将来のために良くないので早くやめなさいと言われてしまいました。
古典は合わないと思っていたので、やってきたのを大事にしていいんだよと言う人は少数派でした。

私の背中を押してくれたのは乙武 洋匡さんでした。(「五体不満足」と言う本を出版)
100万人の人達がこの本をOKと言ってくれた人々がいる。
私にノーと言ってきたのはたった一人じゃないかと、世の中にはイエス、ノーが五分五分いるわけだからやっていこうと思いました。
二つ目になり、二つ目になると独演会を開けるようになって、久子さんの話を作り始めようと思ったときに、お客さんが「いいね」と言ってくれるようになりました。
金子 みすゞさんの話も作ってみたらとお客さんから言われて、金子 みすゞさんに出会うことができました。
中村久子さんの話は10話で完結しました。(1話で45分ぐらいかかります。)
中村久子さんは口で着物を縫えるようになれるが、つばがついてしまうのでまわりの大人には拒否されてしまう。

これに悩むが、おばあさんから「人は自分に自分の姿を見せてくれる、有難いと思え。
これに勝つためには久子がこれを自分の力で乗り越えることだ」と教えてくれる。
それから13年後にはつばが一滴もつかなくなった。
合わせの着物をたったの2日で縫えるようになる。
自らの身を見世物小屋に売って、その最初のお金で母親が久子さんの治療に抱えてきた借金を全部清算して、見世物小屋に出て自立をして、口で出来る芸を持って芸を見せ売れっ子の芸人さんになる。
裏切られたりしながら、売られた4年半は大変な暮らしをする。
中村久子さんは明治30生まれで亡くなるのは昭和43年です。(障害者に何の制度もない時代)
お寺の方から法話の代わりに呼んで下さったり、福祉関係で呼んで下さったりして、1時間半貰えるので、語ったりしています。

献体のための身体を娘さんが抱えて、「お母さんの生き方は最後まで立派だった」と娘さんが言う、それが第10話の最後になる。
講談を語るたびに、自分が励まされ背筋を正され、お金ではない、自分が生きてきたことの自分自身を生かすため、自分の資質をすべて活かして何かを伝えることができればと思います。
金子 みすゞさんも一生懸命生きた方です、こびへつらうのではなく、自然が素晴らしいとか、そこに向かって真っすぐに進む、そういったところが大好きです。
朗読も始めました。
私に課せられたものを全うしていきたいと思います。