上野 誠(奈良大学教授) ・”聖典”として読む万葉集
万葉集の研究に30年以上に渡って取り組んでいる 奈良大学教授上野さん、54歳のお話です。
万葉集は今から1300年ほど前の奈良時代に編纂された歌集です。
天皇や貴族、宮中の役人だけでなく広く一般の人々にも詠まれた歌、4500首余りが20卷に納められています。
上野さんの研究の特徴は歌に詠まれた場所に必ず赴いて、現地の様子を細かく観察する事です。
授業でも学生達を現地に連れ出します。
独自の研究方法で、万葉集と取り組んできた上野さんが最近思う様になったことは、万葉集は仏典や聖書と並ぶ聖典ではないかと言う事です。
万葉集を読むことで心の奥の何かが、引き出され歴史の中に生きている自分を認識させてくれると言うのです。万葉集の真髄について伺います。
自分が面白いと思わないと、古典研究でもそうですが、未熟なのではないかと思う。
「倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(やまこも)れる 倭しうるはし」
(倭は国の良いところである。 青垣山がかさなっている、倭は良いところである。)
盆地で住んでいるところ、周りは青い垣根の様なところ。
東は春日山、龍王山の峯、三輪山、西は生駒山、平群、二上山、葛城山があり守られているような感覚、その場所に立って思った時に初めて理解に行きついたと思う。
その場所に行って感ずると言う様な学習と言うところまで行きついた時に初めて楽しいと思う。
実感するレベルまで行きつかせると言うか、そういうところまで行かないと嘘ではないかと、私の古典感、研究感です。
聖典と言ってしまうと堅苦しくなるが、万葉集と言うのは生活カタログ、思い出アルバムかもしれない。
その時に思った事を撮ったと言う事で考えればスナップ写真と言えるかもしれない。
そのものを読むことによって、自分自身の持っている感覚、心の奥に在る感覚を再び意識する事が出来る。
恋、高い理想等、それを読むことによって自分自身の心に在る何かが引き出されてくるという、むしろ聖典とはそういうものだと勝手に思っている。
仏教経典を読めば釈迦の言動はいったいどうしてこういう事をしたんだろうと、そういう風になりたいと思う瞬間が生まれてくると思う。
こういう風になりたい、こういう恋をしたい、こういう様な生き方をしたいと言う瞬間があるが、万葉集が聖典になった瞬間だと思う。
母親は「ほととぎす」の同人、親戚の多くも俳句、文学に携わっていると言う環境で育ちました。
中学校時代から歴史学者か考古学になりたいと思って、中学2年の時に、考古学者の先生のところに訪ねて行ったが、あんまり勉強しすぎたら賢く成り過ぎて、お金にならない学問をしたくなくなるからあまり勉強しないのがコツだと言われた。
それを真面目に守った結果、大学から通知が来て、駄目だった。
一番歴史学や考古学の連携が進んだ文学が万葉集研究で、研究だけで1000年の歴史がある。
3大古典学が有るとすれば仏教の古典学、聖書の古典研究、もう一つ上げろと言われれば万葉集の研究で、歌の方でもいいかと思った。
遣新羅使の旅程は、続日本紀に書いてあるが、万葉集には その人の恋人や奥さんが送るときの歌が有る。
「君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ」
(貴方が行く海辺の宿にもし霧が立ったならば、わたしがこの平城京でたち嘆いてる息だと思って私の事を思い出してください)
歌に接した時に、生きて帰るかどうか判らない旅人を送る言葉だと思った時に、歴史資料と言うものの中に心を感ずる。
こっちの方がより人間に近いぞと思った瞬間が有って、勉強に対してより前向きになった。
明日香の河原の集落を歩いていたら、神社を囲んだ塀が有るが、一本の木が生えていて木にお賽銭をあげている人がいた。
ここは昔お社が有ったが火事で燃えてしまって、再建しようと寄付を集めたりしていたが、榊の木が生えてきて、そのままかこいだけ残して、そこを拝むように変えたと言う。
「泣沢(なきさわ)の 神社(もり)にて神酒(みわ)据え 祈れども 我が大君は 高日(たかひ)知らしぬ」
泣沢の神社にお酒をお供えする 祈る
泣沢の神社(もり)は、泉の神様で当時はこんこんと湧水がわき出て、生命の象徴。
神社は森が有って泉が有ってこんこんと水がわき出ている。
親族が事切れた、事切れるかもしれない時に泉に対して生命の復活を祈る。
我が大君の復活はありえなかった、死をとどめることはできなかったという風に歌っている。
泉に手を合わせることが有った。 泉の信仰、もりの信仰
その場所に神が宿ると言う、主体的で有って、自分自身が見つけてゆく小さな神。
多神教 沢山神がいる事ではなく、とめどもなく神が生まれることだと思う。
その時には泉が神だった。
説明できないものを表現するのが歌、論理を越えたものを感覚で伝える。
香具山
「いにしえの 事は知らぬを われ見ても 久しくなりぬ 天の香具山」
(俺は昔の事はよくわからない そんな俺でも この場所は懐かしい感覚が有って大切な場所であると言う事が判る)
ドイツを旅していて、素晴らしい大聖堂がある町に列車が止まって、途中下車 「コーレン」駅と読めた。
歴史的に凄い場所だと思って大感激をして帰ってきた。
或る人に「コーレン」という町が有って、素晴らしいところだと行った。
綴りを書いてほしいといわれて書いたら、それは「ケルン」だった、ケルン大聖堂だった。
「いにしえの 事は知らぬを われ見ても 久しくなりぬ 天の香具山」が頭にひらめいた。
絵でも仏像も同様で、有名な絵、重要文化財、国宝だから尊いのか、指定が受けてない物の価値の見る人の眼を曇らしてしまう事が有ると思う。
原文で書かれているものをどういう風に正しく訳せるか、言葉を正しく置き換える、しかし正しく心を置き換えると言う事になれば、単に正しく訳せば済むか。
「こいのやっこのつかみかかりて」
恋の奴めが掴みかかってくる と訳すが 感覚で言うと「つかみかかってきやあがる」です。
「どこのどいつの恋心が俺の心につかみかかってきやがったんだ」と私は訳す。
古典学者と言えども、今に無関心であるという事は、古典を学ぶ本当の意味がわかっていないと思う。
最終的に解釈するのは自分、最終的に感ずるのは自分で有り、そのために自分はどういう風にしたらいいのか、常に思って常に自分を磨いていかないとだめだと思う。
60代になれば全訳注を作って完成させたい。
社会と作家と作品とをどういう回路で結ばれているか、生活実感が無いところに文学の感動も無い
と言うのが私の立場です。
古代の役人の生活が判らないと、役人の文学は判らない、古代の旅の仕方が判らないと旅の文学は判らない、古代の結婚の在り方が判らないと古代の結婚の歌は判らない。
幸い木簡発掘の事例が増え続けていて、それを最大限に取り入れて、見える様に研究していくというのはわたし自身が目指しているところです。
私の実家の家が取り壊されることになってしまったが、
「采女の 袖吹きかえす 明日香風 都を遠み いたずらに吹く」
明日香から藤原に都が移った時に、どういう風な感慨を持ったか?
(昔この場所に采女という女官たちがいて、風が吹いたら袖が舞いがっていた。
都が藤原に移ってしまったので遠くなったので,いまでは風だけが無駄に吹きすぎている。)
過去へのいとおしみの気持ち。
自分の心の中に在る一つの感情が、万葉集の歌によって形作られるという事が有る。