保阪正康(作家・評論家)・昭和史を味わう(第9回)日本と国際関係~当時の国際情勢と日本の孤立
(26・11・2放送)
昭和8年~太平洋戦争が始まる前までが対象。
日本が攘夷の思想、内向きになる。
昭和6年9月の満州事変が日本の軍事的行動が眼にあまる、中国の主権を侵害しているのでは無いかと、国際連盟で問題になり、リットン調査団が送られてくる。
報告書の採諾が問題になり、委員会の採諾の段階で、100%日本が悪いという内容ではなかったが自分たちの意見が入れられてないと日本は反対する。
それが国際連盟からの離脱と言う事になる。
昭和8年2月24日に松岡洋右が脱退の演説をする。
松岡自身は国際連盟の脱退に対して必ずしも納得してたわけではないが、国の指令で脱退するという形を取る。
日本に戻ったら、石を投げられるのではないかと松岡は思ったようだが、横浜で万歳万歳と迎えられて、えっと思った様だが、その後は過激になってゆく。
攘夷の思想で内向きになる人と、国際社会の中で協力していかなければ生きていけないと考えた知識人がいた。
「世界政局に踊る人々」昭和12年に刊行 時局評論社
世界の指導者を纏めた本。
ルーズベルト、国務長官ハル、スターリン、ヒットラー、ムッソリーニ、蒋介石とか当時の国際社会で指導権を握っている指導者たちはどのような考えをしているのかを説明している本。
彼らは日本に対してそれほど深い関心をもっていなかった。
彼らはヨーロッパ情勢、自国の政治闘争等に関心をもっていた。
民間の交流はまだあった。
昭和7年5月15日 (5・15事件) 5月14日にチャップリンが日本に来ている。
15日には犬養健(犬養首相の息子)と相撲を見ていたが,犬養健と一緒にチャップリンも首相官邸に行って励ましたりしている。
5・15事件の被告たちは、チャップリンが首相官邸でパーティーが開かれた時に襲う事を考えていたという人がいた。
もしチャップリンが襲われたら国際的な問題になっていた。
昭和11年2月26日に2・26事件が起きるが、チャップリンは3月6日にも日本に来る。
昭和12年4月15日 ヘレン・ケラーが来日。(約1カ月間滞在 57歳)
昭和9年11月 アメリカ大リーグが来日。 ベーブルースが含まれている。
当時の日本の排外主義は短期間で極端になってゆく。
英語を使うなと言う様な事になってゆく。
昭和15年には芸能人の横文字の名前が禁止される。
外国文化の排斥となり、ますます狭い日本的な文化の中にしか入り込めない事になる。