2015年6月14日日曜日

前田のぶえ(主婦、シンガーソングライター) ・私のうた日記人生

前田のぶえ(主婦、シンガーソングライター) ・私のうた日記人生
前田さんは昭和28年長野県小川村生まれ 62歳 
信州の自然豊かな村で育った前田さんは小学校の頃、ピアノに魅せられ家でも紙で作ったピアノ鍵盤をこたつの上に広げて練習するほどだったと言います。
その後保育専門学校でピアノのレッスンや音楽の授業を受けて腕を磨き、浮かんだメロディーや言葉を書きとめたのが、歌作りの始まりでした。
長野県の福祉施設で働いていた前田さんは障害のある人ない人、子供、お年寄りが農業を中心に共に暮らす 取り組みが有ることを知って滋賀県に移ります。
その後、グループ訪問を始めた前田さんは色々な人との出会い、日々の暮らしの中で感動した時、悩みで落ち込んだ時などに自然に歌が浮かぶようになりました。
歌は前田さんの思いや人生を伝える日記ともなっています。

200曲以上になる。
タイトル 「今日も笑顔で」(1992年11月)、「命の道」・・・・・。
歌詞を拝見すると、苦労と言うか、汗と涙が歌になった様な感じがする。
「家の母さんドジなのよ」 「完璧目指しちゃだめなのよ」 「疲れた時の応援歌」 
「幸せは作るもの」 「子育て60点」
「命の道 皆友達 いつもおいでよ ぬくもりはどこに 今私にできる事は 一枚の雑巾
アオギリは教えてくれた 有難うともちゃん 今が有るから 歌に乗せて」

最初歌う時は恥ずかしかったが、私よりしっかりしている様な人が、共感して私もそういうことが有ったという事で私が救われた。
「今日も笑顔で」
「山懐に抱かれて 共に汗する仲間たち 今日も笑顔でおはようさん  小鳥の声に眼を覚まし  さざめきあって 野に畑 今日も笑顔で こんにちわ」

長野県小川村生まれ 北アルプスがいつも出てくる。
小学校2年~4年を担任した山崎先生が放課後ピアノを教えてくれた。
紙鍵盤をこたつの上にひろげて練習をしました。
高校時代、保育専門学校で音楽を学ぶ。
保母の仕事をしている時に田村一二さんに出会う。
障害の有る人ない人、子供、お年寄りが農業を中心に共に暮らす、取り組みが有ることを知る。
一緒に暮らすという事に魅かれた。
田村さんは障害児教育に携わって来て、最後に自分で出された答えが、共に暮らすことが大事だと思われたそうで、皆に伝えようと講演して歩いた。
できる範囲で一緒に暮らすようになったり、段々こんなふうになりました。
自分のための歌なので、歌にすると不思議な事に乗り越えられる、自分への応援歌です。

父親が癌の末期だということがわかって、父は歌が好きだったので、17,8曲あったので父に聞かせてあげたいと思って、知り合いの、丸田勉さん 川又康助さん 和田優孝さんに頼んで、録音して父親に届けて聞いてもらい事が出来た。 (初めての録音だった)
山崎先生(小学校の音楽を教えてくれた先生)、吉本光彦先生(施設の上司、恩人)へ生きているうちに、恩返しをしたいと思って、初めてコンサートをした。
訪問して歌を歌う様になる。
認知症のかたも懐かしそうに歌う、難病、障害者の方も普通あまり反応が無かったのに、顔を上げて元気に歌ったりする。
前田ファミリー主催で、自分たちで配って歩いて、司会なども自分たちでしゃべって、やっています。
「60点」 実の子でも里子でも頑張って100点目指そうとすると、無理をして自分も潰れてしまうので、お互いに許して60点でやろうというとできると思う。
「疲れた時の応援歌」(自分への応援歌)
「疲れが取れるまでゆっくりすればいい やる気がわくまでゴロゴロすればいい  人と比べると落ち込むよ 自分を責めると苦しいよ  人とは比べないほうがいい 自分を責めないほうがいい
動かないで 食べるだけで 気になるときも それはそれで仕方ない うんざりするのも仕方が無い 周りが気になるのも仕方が無い  今の自分をどうしようもないのも仕方が無い
ゆっくり休みましょう 今はゆっくり休みましょう」 

前田ファミリー 11人 色々トラブルはあるが「60点」でやっている。
2014年6月29日 4年ぶりに前田ファミリーで手作りコンサートをした。
手紙が一通届いた。(アリサちゃんの母親だった)   「アリサちゃん 有難う」作る。
家族ぐるみの交流をするが、病状の進行が有る。 CDにして聞いてもらう。 
2015年4月3日アリサちゃんは自宅に戻り、一週間後4月11日13年間の人生を精一杯生きて天に召された。
「貴方がくれたプレゼント」
「貴方がくれたプレゼント その姿その言葉その心 貴方が私にくれたプレゼント 有難う 
貴方の姿 ありがとう貴方の言葉 ありがとう 貴方の心 貴方と一緒にいると 幸せ気分になるよ あなたと一緒いると あったかさも感じるよ あなたがくれたプレゼント ありがとうあなたからのプレゼント」

広島 親子旅行で参加 語り部の沼田鈴子さんと出会って、被爆して片足切断したがもう亡くなってしまったが、「幸せの種まきをしましょうね。 平和の種まきをしましょうね。 大事なのは真実を知る事ですよ。 みんなでたねまきをしましょう。」といつも言われていて、何して良いか判らず、何か実践する事、一粒の種まきをすること、種まきは私にしては歌がその方法かなあと思って、自分にできることを一つしたいと思っています。
「幸せの種を一つ蒔こう  幸せの種を一つ蒔こう  幸せの種は皆が持っている 
幸せの種を今日も蒔こう  幸せの種を今日も蒔こう  幸せの種は皆が持っている 
幸せの種を皆で蒔こう   幸せの種を皆で蒔こう   幸せの種は皆が持っている」

自分ができることをできる形で、一粒 皆で種を蒔いて、みんな揃ったら沢山になる。