2015年6月16日火曜日

朽木新一(若木昭和会 会長)     ・開拓78年、サクランボに歴史あり

朽木新一(山形県東根市 若木昭和会 会長)     ・開拓78年、サクランボに歴史あり
76歳 サクランボを中心にりんご、ラフランス、桃などの果樹栽培の専業です。
現在に至るまでには朽木さんの父親たち初代の開拓、入植、戦争の苦労が有りました。
戦後の朽木さんたちの 2代目の体験、美しい赤い実のサクランボ生産の裏に在る「開拓78年、サクランボに歴史あり」を伺いました。

佐藤錦の生産量が全国の70%を山形県、全体の20%が東根市になっています。
若木(おさなぎ)
佐藤錦は6月中旬が収穫期になる。
春の作業の中で今年の天気を予想して、大玉の美味しい実にするために実を摘む。
蕾が一か所に8つ出るが、半分以上を摘んでしまう。
乾燥は危険、ひと雨降ってくれて何とか今年も大丈夫だと安心した。
今年の出来は平年作になりそうだと思っている。
剪定作業がその年の作柄に影響する度合いは強い。

昭和9年大冷害に伴う凶作の振興策の一環として、国の事業で東北6県に開拓地を100戸単位で作ろうと、言う事で若木地区に55戸、新庄市塩野地区に45戸 作ったが、若木地区は県の計画では果樹を主体にしたモデルを作ろうとやってきた。
父親は満州国に開拓と言う事で加藤完治先生の弟子になって茨城県の友部というところで研修を受けて満州に渡った。
山形県でも新しいモデルを作るという事を聞いて父親などが再入植をした。
山形盆地の平たん部に赤松林があり、井戸を掘っても水が出なかった。
やせ地に赤松林が広がっていた。
戦争をくぐりぬけて、開拓の貴重な資料が残っている。
開拓で苦労したことが有るので、そのことを後世に伝えるのが昭和会の役割でもあると思います。

昭和会は1/3にあたる17名が3代目になっている。
初代入埴者は非常に苦労しているが、2代目も、終戦後激動の社会情勢の中で食糧事情がかなり変わった。
価格保証が無くて、天候に左右されてそれなりの果樹栽培の苦労が有った。
農協も破綻の危機に遭遇したこともある。
原因は売るものすべてが安く、構造的に世の中に適合していない作物を作っていた。
当時の主力はりんごで、種類も嗜好に合わなくて、過剰生産なってしまった。
りんごが上野動物園で猿、像のえさになっていて、お客さんに受けいれられる商品を作らなければいけないと、りんごでは「富士」に、さくらんぼ、桃に移って行った。
消費動向を正確に掴んだうえで計画を立てないと農家の経営は立ち行かなくなると言われて、サクランボ、富士 の系統選抜して行った。
101年前に佐藤栄助が開発した佐藤錦に全面的に変えていった。(ナポレオン→佐藤錦)

セルフサービス ディスカウント ストアの考えに合わないものはこれからも駄目だと思います。
安全、安心、美味しい、お手軽な価格でないと消費者には受け入れてもらえないと思っています。
若木地区では30%が温室栽培中心、無加温、雨よけテント等 経営面積に合った様な対応をしている。
自家労力では限界があるので、周辺部の農家以外の方たちの協力を得ていま行っている。
果樹作業の難点は管理作業が手作業。(高所作業、高齢化もある)
ここ10年近隣の比較的若い主婦の協力を得るようになった。
土地を軍の海軍航空隊に近い場所はおおく接収されたりして、遠いいところは少なかったりして、色々果樹作業含め勉強を重ねて、土地に関しても平等に配分し直しを2度行った。
土地が分散したが、不作の時のリスクが少なくなった。