2015年6月26日金曜日

嶋崎 丞(石川県立美術館・館長)  ・”工芸王国”の美と技の心を伝える(2)

嶋崎 丞(石川県立美術館・館長)  ・”工芸王国”の美と技の心を伝える(2)
日本伝統工芸展の審査委員を永年務めてきた。
現代の作家のもの作りの仕事までにも関わらざるを得ない。
35年ほどやっている。
人間国宝の方々とも深くかかわってきた。
質の高い技を受け継いでいて、それを見事に展開されているので、拝見するたびに感動している。
人間国宝になられた方は、一種の独特の風格を皆さんお持ちで、持てる技を通してにじみ出る人間性をもっておられる、その様子を見ることができる。
人間国宝の制度ができたのは、昭和30年 今年で60年。
最初の人間国宝の一人が松田権六、蒔絵の技で人間国宝に認定されて、文化勲章を受ける。
石川県出身 家は農業で、兄が仏壇職人でその影響で、早くから漆の世界に入る。
東京芸大に行くが、学ぶべきことが何もなかったと自負していた。
日本工芸会を独立して作られた、その張本人が松田さんです。

郷土の工芸に思いをめぐらした先生は少ないと思います。
生存中は春の石川の伝統工芸展に必ず出席され、石川の作家を如何に育てるか、配慮された作家は少ないのではないでしょうか。
蓬莱の棚 漆の技を駆使した美しいたな。
近代の漆工芸の作品ではほうらいのたなは最高の名作だと思っている。
美しい鶴が10数羽で漆で塗られていて細かい細工がなされている。
蒔絵の技術を全分野駆使しています。
蓬莱とはおめでたい しかし鶴が描かれているが亀は描かれていない。
会場に昭和天皇が来て、鶴亀と言うが、亀がいないんじゃないかと言った時に、波が描かれています、その下に亀が隠れていますと、松田さんが言ったそうです。
又松竹梅の竹が描かれていない、同様に、下地は竹を編んでございますので、竹は隠れていますと言って、天皇は大笑いされたそうです。

幅が61.2cm、奥行きが37.3cm、高さが114cm 漆の他の作品にくらべるとダントツに大きい。
釧路湿原の鶴を写生したと、おっしゃっていた。
俵屋宗達、尾形光琳 琳派の作風を自分なりに、この棚で生かして、図案構成してみたと言われる。
日本伝統工芸展の10回目を石川県で開催したいとの松田さんからの依頼があったが、棚橋源太郎先生からは、学芸員はよそ様のものをもち込んで簡単に引き受けるものではないと、徹底して仕込まれていたので、松田さんに簡単に会場をお使いくださいという返事はしたくありませんと言ったら、松田先生が大変御立腹して、先生の一番弟子の大場松魚先生が スーツの後ろを引っ張って、君言葉を慎んだ方がいいよと言われた。
その後、知事のところに行ったようで、知事からおしかりの言葉を受けて、10回展から始める事になった。
その後今日までずーっとやるようになる。
蓬莱の棚の持ち主が、東京大空襲で火災に会わない様にし、又疎開した新潟でも大空襲に会ったが直ぐ持ち出せるように縁側に置いて、棚を担いで出て被災を免れた、そういうことなら東京近代美術館に寄託したらと言う事で、長く寄託されていたが、購入の話が有り、7000万円以下なら知事の決済で購入ができるが、それ以上で有れば議会の承認を取らなければいけないので、交渉したが、無理だと言われたが、満場一致で賛成となり、石川県の美術館に入ることができた。

蓬莱の棚の裏には、戦争末期の状況が日記の様に日本が負けてゆく様相が書いてあり、もう仕事ができなくなるだろうと、それ以前に自分の持てる技を全力投球してこの棚を作るんだと書いてある。
先生はお話をもって遇するというタイプの先生で、延々と話をする。
一番の思い出に残る言葉は、「ものから学べ」 物は物を見る人間がそのものからいろんなことを引き出して、物から学ぶという事が実践出来る最高の場である、それが博物館の世界でもあるし、非常に大事なことであり、物を見る目を徹底して訓練する事を怠ってはならないと、くどく何べんも聞かされました。
蓬莱の棚は2年に一度ぐらいは展示している。(温度、湿度、紫外線等の関係もあり)

美術館の展示のありようを、今後考えていかないといけないと思う。
ものから学ぶための方法論を引き出すような、創意工夫を学芸員は考えるべきであると、名言だと思う。
名品がケースの中に寝転んでいる様な、気配りのない展示がされているところもある。
観賞しやすい方法の場を考えるという教育活動の面だとも思う。
博物館学は昭和26年に博物館法ができて、学芸員を置かなければならなくなり、それを立教大学が受けて立ち、棚橋先生は物から学ぶという現場が博物館の世界だと、松田権六さんと同じことを言っている、この影響は今日でもあり、物を見る目を常に養う、それにはいいものを沢山見る事。
毎日ものを見ていると、作品がちゃんと語ってくれる。
伝統いうものは人間の生活に根差したものだと思う、根ざすという事は生活体験を通してどういう見方、考え方で対応するかと言う事に繋がってゆくと思います。
伝統はその年代年代の積み重ねで残ってきたエキスであると思うので、エキスの素晴らしさを大切にしながら、それを受け継いでゆく生活の中に生かしてゆく、それが本当の意味での鑑賞の仕方、対応の仕方で有るではなかろうかと思っています、エキス即ち心だと思います。