2015年6月18日木曜日

高橋元彰(日本銭湯文化協会会長) ・三代目が伝える 銭湯の文化

高橋元彰(日本銭湯文化協会会長) ・三代目が伝える 銭湯の文化
江戸時代から庶民に親しまれた銭湯ですが、内湯をもち家庭が増えるに従って年々その数も減ってきています。
東京港区で万歳湯を経営する高橋さんは77歳、祖父の代からこの銭湯を守っていますが、日本独自の銭湯の良さや文化を伝えたいと、日本銭湯文化協会の会長を務め、智慧を絞ってきました。
銭湯検定試験を実施したり銭湯巡礼スタンプを考案したり、新たな銭湯ファンの開拓に努める一方、失われつつある地域の交流の場として、災害時の緊急避難所として役立つのではないかと考えています。
銭湯の三代目として50年近く、全国の公衆浴場の連合会の理事長を8年間勤めた高橋さんに、銭湯文化をどう守り伝えてゆくかなどを伺います。

銭湯を継いだのは昭和43年ぐらいからです。
祖父が銭湯を始める。 
日露戦争で203高地の攻撃に参加して東京に帰ってきたが仕事が無くて、風呂屋さんでもやれよ、との意見が有りスタートした。
最盛期には20軒を経営していた。
私は中央大学を卒業して公務員になっていたが、遺産分割で母の後を継ごうと思い、銭湯経営を継ぎました。
釜焚き、掃除、番台でのお客さん接待まで教えてもらいました。
銭湯の良さは、身に衣装を纏わないわけで全てが一つになってゆく、老若男女を問わないというところが一番いいところ、しつけもよくなる事だと思います。
洗い桶、腰かけを入った人がきちんと所定の場所にそろえて積んで出ている。

早い時間帯には、年配の方が多数待っていて、クラス会みたいなもので、楽しみにしている。
3時30分開店だが、3時には待っている。
旧 芝区、赤坂区、麻布区 3区で 昭和5年には156軒、昭和39年に79軒 、現在6軒。
番台 フロント法式が増えてきて、平成24年では番台が143軒  フロント派が501軒。
入浴料460円 小学生が180円 それ以下は80円
「銭湯は裏切らない」 立川談志がよく言っていた言葉。
昭和43年が最盛期 東京では2786軒 現在では650軒ぐらい。  
全国の公衆浴場の連合会の理事長を務める。
公衆浴場の確保に関する特別措置法、昭和57年に議員立法でできた法律で、公衆浴場が減ったので公衆浴場を確保するためのもの。
「健康増進とコミュニティー」  公衆浴場が持っていた力をもう一回再生させようと、平成16年に変えさせてもらった。

「1010」雑誌 千と十(銭湯)  10月10日は銭湯の日  最新号ではネット化される。
銭湯巡礼 多くに方々に銭湯を知ってもらいたいと思って、スタートする、評判が良くて今も続いている。(スタンプを押して、達成すると認定書を渡す)
仕事帰りに銭湯もというのもいいのではないか。(午後11時迄 午前1時までやっているところもある)
日本銭湯文化協会の会長を務める。
銭湯検定試験 4~2級とあります。 1級は銭湯博士を考えていますがまだです。
台東区 29軒残っていて、外国人の利用もある。
菖蒲湯(室町時代からある) 柚子湯 銭湯の文化として続けてゆきたい。
「銭湯を 沼になしたる あやめかな」(宝井其角の句) 「においよし 年に一度は 菖蒲の湯」

ユニークな銭湯
精巧な鉄道模型が行き来するお風呂屋。
漫画を1万冊用意しているお風呂屋。
レトロ系のお風呂屋。 等々。
かつてはコミュニティーの中心だったが、単身高齢者、高齢世帯が増えてきていて、健康カードみたいなものを作って、お客様、行政、業界も負担する、カードを端末に通して、回数管理して例えば1週間来なかった場合はボランティアとタイアップして、助ける行動とかも出来るのではないか。
災害時には備蓄品をそろえて置いて、緊急避難場所として利用する、そのようなことも考えている。
大田区では実施する段階に来ていると思う。(59軒あり都内でも一番多い部類)
歌舞伎、相撲、湯屋は江戸を代表する庶民の楽しみ、文化だった。
銭湯だけが落ち込んでいるので、東京オリンピックには国の垣根を越えて、競技を愛し、平和を
愛する集いができたらいいなあと思っています。
夢ですが、選手村の一角に銭湯を作って、銭湯文化を味わってもらいたいと思います。