2015年6月5日金曜日

増永迪男(福井山岳会・会長)    ・ふるさと「福井」の山を歩き尽くす

増永迪男(福井山岳会・会長山岳エッセイスト)    ・ふるさと「福井」の山を歩き尽くす
81歳、13歳の時に白山の自然の美しさに感動して以来、山の魅力に取り憑かれ、広島大学に進学後は、山岳部で活躍しました。
34歳でアフガニスタンの標高6000mを越えるヤジュンに登りました。
その後国内、特に福井の山々を歩いています。
もう一つの顔が山岳エッセイスト、福井の野鳥、野の花などを幅広く観察し、地元紙聞等で執筆して本も出版されています。
平成12年には福井県文化賞を受賞されました。
NHKラジオでは永年に渡り、故郷福井の自然の魅力や話題を電話リポートで伝えています。

福井市の南の生まれ。 裏山(八幡山)が有り保育園行く前に、一人で遊んでいた記憶があり、藪の中を平気で歩き回った。
代々続く造り酒屋 北陸道に面していて少し作っていた。
小学校3年の時、先生が1/5万の地図を遠足の前に、地図の見方、等高線など教えてくれた。
中学2年の時に白山に行ったのが最初だった。(昭和22年)
当時5日間かけて往復し、植物採集をした。
白山は数え切れないほど登ったが、其時の感動が一番だった。
中学3年生で福井地震が有り、私の家も酒蔵も潰れて、酒が200石あまり流れた。(その年は山登りは出来なかった)
高校では山岳部に入って、それからずーっと山ばっかりだった。
高校3年では受験の年だったが、1年間で65日山登りしていた。
広島大学の工学部に進む。 
国立大学で醸造学科があるのが、大阪大学と広島大学(山岳部が有る事を確認)だけだった。

大学では基礎体力が違っていて吃驚した。
夏山合宿で当時2週間行くが、主食は米で、米を一食2合一日6合食べたので、1斗5升ぐらい米だけで担いで、そのほかにテント、ザイル、登山用品等を担ぐので30kg、40kg担いで行った。
OBはいまでも交流が有る。
34歳でアフガニスタンの標高6000mを越えるヤジュンに登りました。
第3次中東戦争が起きて、イスラム諸国が緊張状態になり、ネパール、西パキスタン等が海外登山隊をシャットアウトした。
アフガニスタンに着目して、6024mの未登鋒があることが判り、行く事に決定する。
登山隊を受け入れる習慣、状況のない国だったので、山に行くまでが大変だった。
シェルパーもいなかった。

福井県の山をどの程度知っているかなあと思った時に、何にも知らなかった事に気付いた。
福井の地方版に毎週一回山の事を書いてほしいとの要望が有り、山に対する自分の気持ち、山を紹介しながら、山の歴史などをテーマに書き続けることになる。
福井には1000mを越える山が110ぐらいあり、藪が多い。
幼少時代の藪に対する懐かしさがあり、34山が登山道をつかった山で、それ以外の120ぐらいは登山道を使わない山で、登って「福井の山 150」と言う本を出版する。
一人で歩いていて登山道が無くても、赤い糸が連なっている様な感じで、安心感はある。
根本的に卑怯な人間だと思っていて、本当に危険なことはしていないと思う。
岩登り、雪渓、クレバスで落ちたりするが、決定的な危ないことはしていないと思う。

高校1年生の冬、3年生2人、リーダーだった社会人の歯医者さん1人、取立山のスキーツアーで3人が亡くなってしまった。
山で13人亡くなってしまいました。
妻も山をやっていましたが結婚後、子供が3人いましたが、昭和49年妻が八ヶ岳に一人で行って、八ヶ岳で亡くなりました。
残雪で道をはずして、谷の方に回っていって大きな滝で落ちて、下の雪渓で亡くなった。
妻の遭難の2年後、広島大学の山岳部の後輩が3月に針ノ木岳の大雪渓のところで雪崩を起こして、一行6人中4人が亡くなった。
捜索の指揮を取ることになり、鉄の棒を刺して探していくが、最初の一人は直ぐ発見できたが、残りの3人は40人体制で1日掛かって掘りだしました。
その後はちょっと変わった、厳しい条件が現れたときには、山に負けまいぞと言う気持ちが表れてきた。

4人の追悼登山を父兄とともに30年間行った。
その内の一人は、息子さんが亡くなってから登山を始め、親しくなった。
「山に行くと息子と話をしている様な気持になるんですよ。」とおっしゃって、この言葉は忘れられない。(一人で行くと、そういう気持ちは分かります)
月に2回のペースで行っています。
心筋梗塞になってから、妻(現在の妻)から厳しい指導が有り、一人ではだめと、誰と行くか申告してから行くようにしている。
感動は、冬は感動します。
吹雪いているが雲が抜けると、すぱーっと見える瞬間があるが、その時は本当に吃驚します。

4月末 若狭の山は鹿が一杯いて。下草を全部食べてしまって、大きな木だけが残っていて、一斉に芽吹いて、それが綺麗で、突然山の木が示し合せたように新緑になり、感激しました。
夏は沢登りに行く、進歩して沢用の靴が有り、恐かったところが怖く無くなり、沢登りが進歩しました。
沢登りは観察しながら登らないといけない、最初の人をよく観察して、どういう風に登っていくかをしっかりと見る。
秋はキノコ採りに夢中になっています。
木くい虫が楢の木を枯らしてしまって、その楢の木に必ずと言っていいほどなめこが生えるので、チームを組んでいきます。
楽しさの根本は、知らないところに行くと言うのが一番、一歩ごとが発見、一歩ごとに出会いなので楽しい。
山の経験は非日常的な経験で、鮮明には残っているが、記憶は一こま一こまなのでそれを大事にしている。
最初はガイドブックに従って山登りをして、段々その方でしか味わえない感動が有るはずで、そういう感動に合いそうな山を続けていくと、より深くなり、自分に向いた山が発見できて、楽しめると思う。