2015年6月15日月曜日

真山 仁(作家)         ・記者が私の原点

真山 仁(作家)             ・記者が私の原点
1962年大阪生まれ  大学を卒業した後、中部読売新聞に入社、岐阜支局で警察取材等を担当した後、退職して小説を書きながらフリーライターを13年間務めました。
2004年企業買収を巡る人間ドラマを描いた「ハゲタカ」でデビュー、この「ハゲタカ」は2007年にNHKでドラマ化され、大きな反響を呼びました。
その後も経済を中心に多くの小説を書いてきた真山さんは、今年東日本大震災をテーマにした「雨に泣いている」を出版しました。
新聞社の遊軍記者が主人公の小説で真山さんの記者としての体験が色濃く反映された作品です。
記者として身に付けた取材や表現が小説にどう結実したのか、伺いました。

警察取材は新人のお決まりの状況だった。(修行)
ミステリーが好きだったので警察取材は楽しい取材だった。
守秘義務に対して、最初は資料を隠されてしまうが、明らかに見ていいよと言う風になってくる。
油断してもらう方法を考えることが、多分一番大事だと思います。
取材するときは限りなく多くの情報を取れと言われる、書くときはできるだけ端的に書けと言わる。
読者に伝えるときに、一番大事なことは沢山取材したことをすてて、大事なことだけを残して判り易くかけるか、という事、これは物凄く難しい。
あっという間に直されて原型をとどめないが、直されると判り易くなるが、ショックだが、くやしいというのはありました。

べた記事(小さな記事)を毎日写せと言われる。(素振り千回と全く同じ様なものです)
デスクは鬼コーチで、半人前ぐらいになると、特ダネの様なものを喜んで書いて出すと、日本語が判らないと言って捨てられたりもする。
「読者だと思え、物判りの悪い読者だと思えと言われ、俺が判らない限り絶対使わない」と言われて、この言葉ほど大事なものはないと今は思っている。
2年半後、新聞社を辞めることになる。
高校時代に小説家になりたいと思っていて、その修行を10年やろうと思っていて記者になった。
自分が異和感をもち続けられるかどうか、異和感は大事で、その一方で長いものにはまかれ無ければいけない、このバランスをどうするか、上の言う事を聞いてしまうのは楽だと思った。
事件がある時に、この記事はおかしいと思っても戦うことができなくなってきて、このまま10年いると新聞記者としてはいい記者になるが、小説家には成れないのではないかと思い、辞めてしまった。

1年半で辞めようかと思っていて、友人たちは辞めた方がいいと言ってくれたが、中学校時代からの友人から、組織の中のルールの中で自分がどう適合するか、力が無いくせに飛び出そうとしている、やるだけのことをやって自分が判断して、これ以上適合力をきたえたとしてもだめなら辞めればと言われた。
その後1年間、取材の方法なども変えたりしてやってきたが、自分の力が無いかもしれないけれど辞めようと思った。
辞めて翌月に短編の懸賞小説に3日で書いて応募した。
一次選考を通過した。 これが私の人生を弱めてしまった。 
楽勝だと思ったが、実はそうではなかった。
フリーライターになった。(記事広告 エンターテーメント系の告知記事をやるようになった)
その間、作品も書き続けた。
3年目ぐらいから、江戸川乱歩賞に応募して、時々残るようにはなったが最終選考までは行かなかった。

2004年「ハゲタカ」を出版する。
前年、生命保険の破たんテーマの小説で、次にあまり皆が書いていない金融の小説だったら、もう一冊どうぞと言われたのが「ハゲタカ」だった。
取材に1年、原稿を書いたのは40日ぐらいだった。
当時の経済の流れが正面からこの作品に反映されたものだった。
小説を書くときに、底流に流れているものは、根幹は何なのか、そういったことに注力していた。
2007年 NHKでドラマ化された。(3年後)  2005年末にはNHKから話が有った。
デビュー作がNHKのドラマになると言う事に対して舞いあがった。
原作とは全然違っていた。
映像にするからこそ見せられるものと、小説だからこそ伝えられるものがある。
約2000ページの小説をを5時間で纏めるので、どこを切るか、映像のプロが変えてゆくだろうと、但し外資のせいで日本が悪くなったとは一言も書いてない、甘えるなと日本人はこれからは戦わなければいけないんだという一点だけは変えないでくれと言った。
「ハゲタカ」で伝えたかったことは、まっすぐ伝わった。
経済には興味はなく、金に依って人が狂ってゆく事に対して興味がある。
お金が社会も政治も国家も変えて行っているが、この面白さが、これに代わるものが無い、その魅力だと思います。

小説が私の発言の場所なので、小説で伝えようとこだわっていました。
3.11が起きて、自分が思っている事、もっと人に伝えることに対してもっと勇気をもって、みなさんこう言う事はもっと知った方がいいですよと、言うことをちゃんと言おうと、自分自身をもっともっと多くの人にさらけ出してでも、伝えなければいけないことを勇気をもって伝えようと、言う覚悟が全然変わりました。
メディアの依頼を断らなくなった、政府のやっている事、エネルギー行政に、毎日噛み付いていました。
「雨に泣いている」 新聞社の遊軍記者が主人公の小説  東日本大震災をテーマにする。
1995年に起きた阪神淡路大震災の時に、震源地から10kmしか離れていない、マンションの1階にすんでいたが、本来押しつぶされて命を落としている可能性が高かったが、活断層が東にずれていたので、被害が無く、生き残ってラッキーだと思ったことと、なぜ生き残ったんだろうという事を思った。
自分の味わってることを小説にしなさいと言われたのかなと思った。
3.11が起きてしまって、今被災地で起きている事を、阪神淡路大震災を経験したものとして、被災した方に毒づく事であっても、メディアがどうしても造ろうとしている美談に、自分は立ち向かう役割がやってきたんだと、他の人が書かない被災地の物語を書こうと決めた。

記者に対する理想は眠っていたんですが、こういうことがもしかすると揺るがない記者魂というものが出てきたのかなあと思います。
知り合いの記者に対して、震災の翌日入った人に、小説に協力してほしいと、記者に時間を頂いてどうやって現地に入ったとかこと細かに、取材をした。
私が取材している記者が突然ワーッと感情が出てくる、自分たちが体験した大変なことを人にしゃべって無かったんだろうなと思いました。
現地に行って、全く取材ができなくなってしまう記者もいた。(取材をしていてきつかった)
小説のひとつの状況は、この本が10年経った後に、震災を全然知らない若い人が、記者が何をしたかを知ってほしいので、いろんなタイプの人間をわざとちりばめています。
その一人一人はその人に取材していなくても、これは自分のことだと思う現象を出来るだけ小説の登場人物に反映させるようにしました。

小説に五感を出す様にしている。(匂いとか)
この本はミステリー仕立てに成っているが、最初から結論が出ているミステリーになっている。
「何故」という部分、ページをめくっていただくための駆動力の役割をしていると思います。
現代史を勉強しましょうと言うのはなかなか難しい、、何故戦争が起きたのか、日露戦争以降ぐらいの日本の歴史の小説を書きたいと思っている。
歴史の大家に何人にも教えてくださいと言って勉強して、昭和史の小説を書こうと思っている。
5~6年後に本ができていたら良いと思っていて、10年は覚悟している。
そのころにはものを観る眼が、寛容かつ広くなっていたい、円熟、ものに対して寛容力のある物書きになりたいと思っている。