2012年5月26日土曜日

姜尚中(東京大学大学院教授)  ・母なるものを語ろう

姜尚中(カン・サンジュン)(東京大学大学院教授) 母なるものを語ろう
昭和25年 熊本県で生まれる  韓国への旅をきっかけに永野 鉄男から名前を変えて姜尚中と
名乗り在日二世として 向き合っています 
母をモデルにした自伝的小説「母おもに」を発表して大きな話題となりました  
おふくろ の袋は子袋(子宮) あと10年もするとお袋と言う言葉は死語になってしまうのでは 
おもに=母(韓国語)
韓国でも母親の小説がベストセラーになっている
母親の事を熊本弁にて小説を書いた   自分の60年近い人生を過ごしてきたが、
日本は新たな時代に変わりつつあるのではではないかと思うようになった
これからはそれなりに皆が気付いてみるとそこそこの物を皆が持っている 
しかし考えてみると何かを失ってしまったのではないかと思う

3/11の大震災は大変な光景だった  還暦を迎えて一回り或る時代が終わったんじゃないかと 明日は今日より良いと思って暮らしていた様に思う  明日を信じられた  
一番失ったものは母なるものではないかと思う
母と言う自伝的な小説を書いた 母を称賛するために書いたものではない  
失われたもの 忘れ去って行くもの を書いた
母の生れは 「ちんかい」という場所 日本海海戦の激戦地  有明海が似ている
自分の母親の事を一番よく知っているようで判らない  
自分の生れる以前の母親の事を知らない  
本当に親の実は感じていたこと、一番言いたかった

奥の奥にあるものを結構子供達は知らなくってそして親を無くすと言う事が多いんじゃないかと思います
私も時間が経つごとに熊本の歴史、有明海に面した母親と一緒に過ごした時代を書きとめようと思った
私を育ててきた時代はもう完全にコンクリートの下にうずもれてしまっている  
其れは寂しいのではないかと思って多少は虚構もあるが小説にした
我々は年を取ってくると自分は生きてきたという事 人間の印みたいなものを誰かが覚えておいてほしいと そう思うから多分子供を産むのかも知れません

何故我々は子供を欲しがるのか 其れは本能的な事もあるかもしれませんが やっぱり自分の
生きたあかしを次の世代に残したいと言うこれはやっぱり人間が持っている限りない情愛みたいなものが次の世代に受け継がれてゆく 、こういう中であの時代の事を忘れないように記憶にとどめておこうと書いたわけです
最後に自分は何を書きたかったのだろう  そこで母親の二つの事を思い出した  
そろばんで「ご破算に願いましては」と言う事
母親は文字の読み書きができなかったので 手紙のやり取りができなかった  
65歳ぐらいになって自分の名前を書けるようになった
算盤の球をもう一回ゼロに戻す   父親はすい臓がんを患い亡くなった  

父親がよく言っていたのは 「自分は裸一貫で来たので裸一貫で戻る」と言う事
其れはご破算にするという事  自分の人生はこれでご破算にすると言う事  
人間と言う者は何か自分で持ち物を持って或る程度豊かになるとどうしても
ご破算にできない  私もそうです  職を失うとしたら 自分が持っている財産や 社会的な地位人々の評判 家族誰かを失うとすると非常に恐れます  不安に成ります 
今の日本の社会に住んでいて政治経済社会で何とはなしに不満がたまっている 
明日の未来が見えてこない  閉そく感がある

政治はどうしたんだ なかなか景気は良くならない 年金はどうなるんだろうか 
税金はどうなるんだろうか 自分の将来はどうなるんだろうか
子供達はどうしたらいいんだろうか そういうことを常々考えています  
私が生まれた昭和25年ごろは多くの人は何も持っていなかった  
なにも持っていなかったからこそおたがいが貧しいけれども何とか頑張ろうと
今は昭和25年ごろではない  確かに  沢山持っている人もいる 
そうでない人もいる社会は辛いと思う  豊かな人がたくさんいるようだとくじけてしまう
自分自身が卑屈に成ってしまう くじけてしまう  
その裏返しとして或る種の反感 憎しみすら持つかもしれない  
皆が貧しいならば人はそんなに苦労しない

かつて私達の父親母親の時代は皆が貧しかったものですからお隣さんと何とか物を分かち合い
ながら生きていた時代がありました  
今はそうではない そういう時代の中で或る程度物を持っていて、ご破算にすることはできない
母親が良くご破算、ご破算と言ったのはいつ自分達がどうなるかもわからないということだったと思います  
明日はどうなるか判らない そういう風にして生きてきた
明日どうなるか判らない その時は持ちモノを全部棄てる  
そして自分の身一つ生きていれば 母親のもう一つの言葉「何とかなるばい」と言う言葉
「ご破算」と言う言葉と「何とかなるばい」という二つの言葉 はこれを良く耳にしていた  
今思うと「あっ」と思う事がある

福島に入って驚愕したのは ここにおられる皆さんと同じように家庭を持って新築でローンで家を
建てて、子供も居て、新しい商売もしようとして これからと言う時に一挙に全部持って行かれた
被災地に行って写真が散らばっている 出産 幼稚園  小学校入学式 卒業式 旅行 結婚式こういう者がいたるところにばらばらに存在している
同じようにそんなに高望みしないけれど生活してきていた 
これらがすべて一気にご破算になったのは余りにも凄い虚脱感喪失感父親と母親は常にそういう時代だった
商売をしようとしても中小の金融公庫からお金を借りられなかった  
言葉も判らない 国籍もあったから自分で書類を書けない

父親は少しは読めたのでなんとか免許証を取った 
彼らの処世訓 人生を生き抜く力は「ご破算に願いましては」と言う事と「何とかなるばい」という二つの言葉   私はこれは非常に大きな意味がある
この60年で日本が無くしたことはそこなんじゃないかと思います   東大生は優秀です 
試験には慣れている マニュアル化されたものにはコツを覚えている
試験と言うものには回答がある  回答があるからこそ試験問題    
回答の無い時代を今生きている

中々回答がみつからない  何故景気が悪くなるのか 何故地震が来るのか 
何故津波が起きたのか 
何故この様に放射能がばら撒かれるような状況になったのか
我々はマニュアルでは生きられない時代を生きている 非常事態 何が起きるか判らない  
其の時にマニュアル頼りで生きていた人間はとっさに臨機応変
如何したらいいかと言う事が出てこないのではないかと思う  
何かアクシデントがあった時にはその次には何があるかどうなるかわからない  
そのことが今回の津波で明らかに成りました 

 欧州でも金融危機が起こればリーマンショックが起これば安穏としては居られない
こういうようなアクシデントがいつ何時起こるか判らない 
其れを我々はしっかりと受け入れて行かなくはいけない 
そういう時代に我々は生きてゆかなくてはいけない
方丈記  「行く川の流れは絶えずして・・・」  最近良く読まれている  
10年先20年先は安泰とは言えない時代になってきている  
両親の時は頼れるものがなかなか無い   年金も貰えない時代  
自分で自分の事を考えなければならない 時代はそちらの方に向かっている 
 
自分の身は自分で守らなければいけないから友人を大切にする  
弱い存在  だからこそ他人から助けてもらわなくてはいけないし、他人を助けなくてはいけない苦しい時代だけどし方ない 其れを受け入れてゆくと言う事
これは韓国で如何して母親の事でベストセラーなったのか 日本でも私の本が売れました  
或る時代 マニュアルが無い そして私達の背負っているものを、何時亡くなるかもしれない 
それでも人は生きて行かなくてはいけない  
生きて行くと言うようなことが我々の世代に胸打つことが有ったんじゃないかなと
私自身は勝手に考えているんですね 
 
次の世代は お袋の時代と言うのは歴史の中で書物として知る機会 ニュースとして知る機会は
あるかもしれない
しかし生きた歴史としては知る機会が無かったのではないか  
この中で私は母なるものと言うとすぐに思いつくのは古里です
矢張り金峰山が有って立田山が有って有明海がある   
これが私の古里原風景である 矢張り私に取って父親母親の国は生みの親だとするならば
日本は育ての親です   
生みの親と育ての親から本当にお世話になった   
古里熊本は父と母は「こんなによかとこなか」と口癖に 何時も何時も言っていた
父親が亡くなる時にお墓をどこに作るか考えたが立田山の麓に作る  
永野と言う名前で墓に刻んだ 日本の地でお世話になり日本の地に戻る 裏側に韓国の名記載 
何故考えたか 五木寛之さんが昔 新聞に「落地生根 落葉帰根」と書いた 
地に落ちて葉となる  根に戻って行くと言うのが人間の生涯だと
例え自分が生れ育った処ではなくともそこで自分の一生が終えるのであればそこが古里だと  
そういう意味なんだと思いますね
3/11の大震災 そういうことが起きた時に振りかえって見て私達は「ご破算にして」もう一回 
生れ変わろうとする気持ちになれるのか なれないのか
これが問われている様な気がします   昭和20年8月15日 日本の国は廃墟のなかで生まれ
変わろうと あの夏の中で苦しい悲しい 屈辱的だ 
しかし何とかもう一度立ち上がろうと日本は奇跡的な復興を成し遂げた 
 
世界がうらやむほどの社会になりました 今回3/11の出来事が起きました
くるしかった日本の復興を知っている人達が今はいなくなりつつあります 
過去の時代になりつつあります
しかしもう一度私達は生まれ変わろうと出来るかどうか  私も余り自信がありません 
自信が無いけれどそうしなければいけないと思います
私は夏目漱石は大好きです  夏目漱石はウイリアム・ジェームスの影響を受けました  
彼の本にこう書かれていた

「世の中には一度生れと二度生れの人がいる」  
一度生れの人は生れてから死ぬまで幸せな人 
しかし世の中にはいわく言い難い苦しみ悲しみ 不幸や病気、様々な苦難があって 生まれ変わりたい人がいる  これを彼は2度生れの人と言っている   
漱石は2度生れの人になろうとしたと思います
彼は大変な潰瘍で死の間際に有りました 
バケツ一杯の血を吐き出して 生死の間をさまよいました  
2度葬式を挙げたような そういう事をどっかで書いています
いろんな事件があったにしても世界がうらやむほどに日本の社会は良かったと思います  
治安もいい自然も優れている 経済もまあまあいい

皆がそんなに経済的に違いが無く豊かに或る程度は生活できる  
そういう社会は世界を見渡してもそうざらにあるものではありません
今回3/11が有って ただ単に大きな大事件が起きたと言うだけではなくて 今後いつ何時大きな
自然災害が起きるかもしれない
ひとはかならずしも幸福であるから人が成熟していくかと言うとそうではないと思います  
いわく言い難い障害や 苦悩やいろいろなことに出合う事を通じて人はやっぱりものを考えます ものを考えることによって深まってゆきます  

そして自分がどうしたらいいかと言う事を考えてゆかざるを得ない
其れはマニュアルでは考えられない ハウツー的な幸福論では考えられない  
自分で考えて行かなければならない  
「ご破算に願いまして」や「何とかなるばい」というのは父親たちの生きてゆく為の処世訓
だったのではないだろうか
私達の時代はこれで生まれ変わり 3/11以前に戻れないかもしれない  
我々はこれからも生きて行かなければならない
次の世代に日本の美しい風土、自然 伝統を伝えていかなければならない 
生れ変わるつもりでもう一回昭和20年と同じつもりで新しい時代を築いていってほしい
我々は生まれ変わろう 生れ変わりたい 生れ変わらなければならない