星野桂三(画商) 忘れられた画家を発掘して40年 |
世間で主流として活躍してきた作家ではなくおもに明治・大正時代に活動しながらも 豊かな才能を 発揮しながらも日が当らず美術史の中では埋もれてしまった |
物故作家です 近年注目されてる秦テルヲ、甲斐庄 楠音等自由で先進的な画風に 早くから注目して作品を収集し、展覧会を開いて再評価のきっかけを |
作りました 星野さんは今 京都画廊連合会のまとめ役であり 又各種の美術館の作品購入の 評価委員を務めています |
遍コツ 変わっていると言われる 自分では変わっているとは思わない |
画廊で「掛け替えの無い日本風景 」を開催した 3/11の大震災 原発事故があって 自分で出来ることは何かと考えた |
150点強 通り一遍の風景画ではない 風景と言っても絵描きという厳しい目が自分なりの解釈で 描いた風景なり その当時の我々には見られない物 |
そういう風景と言うものがる訳です 其れをそろえて見れば 震災の方々に取ってみても そういうものを目に触れることによって癒されるのかなあと思ったのが |
「掛け替えの無い日本風景 」の取っ掛かりですよ |
其れを一つずつやっているとこちらでは判らなかった事が見えてくるわけですよ |
画商のきっかけは?→学生時代は英語に興味があって アルバイトで通訳を兼ねて美術品を 扱うセールスをお手伝いした 1ドル360円の時代 |
いろんな人が来る 日本の文化に触れたいと言う要望があった 最初絵なんて興味が無かった |
商売をして それで相手から「サンキュー ベリーマッチ」と言われる 商売をして相手から感謝されるという事に喜びを感じてズルズルベッタリに仕事をすることになる |
卒業後2年は画廊に勤める その後自分でやろうと決める 1960年代後半 うるさい作家たちと直に触れることになる |
最初はちょっとしたパンフレット等を作って 美術の通信販売をしようと思った 有り金はたいてアメリカに飛んだ 何にもならなかった |
スウェーデンの方から展覧会をしないかと声が掛る 12人の作家をこちらで選んで1年近くスウェーデン ノールウエーを巡回展示販売を木版画は数点売れた程度だった |
自己満足のみの展覧会だった |
物故作家中心に転換した理由は?→にっちもさっちもいかなくなって生活費を稼ぐために 地方を廻って掘り出し物を探すことを始めたが門前払いだった |
ある日骨董屋を見に行った ひょっと見たら古い油絵を見付ける 田村というサインが有るが 判らず 安い為に購入する |
いなかの雪景色の絵 何となく良い絵だなと思った その作品を調べることになる 半年かけて田村宗立と言う人らしいと判る(京都の古い人) |
人物を調べ始めると 或る人から本を提供されて其れを読むと面白い 100数十年前の京都の洋画の草創期の話がどんとでてくる 著者が黒田重太郎 |
いまから思うと非常に難しい高度なものなんですよ ここに出ている人を全部集めてやろうと思った |
自分でも判らないと売ることもできないので1から始めようと思った 明治時代 |
古本屋を廻って資料を探しまわった 作品、名前を叩き込んだ 楽々とは出合い無い 有名なものは買えないと諦めるが 買える範囲でも良いものがある |
偽物本物の保証は何もない 自分の目でしか見れない 他の人と同じものをやってては食べられない ぼちぼちなってきた |
埋もれた画家の発掘 直に知っている人が訳のわからない絵でも教えてもらったりした (美術史の視点を変える様な事になる) |
明治の終わり大正までの作品 知っている人が少なくなった 日本画家と洋画との障壁は余りなかった(黒猫会とか仮面会とかの運動をやっていた) |
その人達に 日本画家は土田麦僊(ばくせん) 小野竹喬 洋画家は黒田
重太郎 新井謹也 田中善之助 津田青楓 梅原龍三郎 等がいる |
秦テルヲと言う人がいる 自分独自に活動する この人の事が気になって調べるがなかなかわからない 或る人が絵を購入してみてほしいとの要望があり |
其れを見てみると秦テルヲの自画像だった 名作だと思った 忘れられている作家だった 秦テルヲの作品が何十枚も平積みにしてある |
全部ほしいと交渉する 70万円だった 資金を融通して購入する(なぜか減っていたが) 仏画 |
放蕩無頼の絵描きだと言われていたが そうではなかった 一匹オオカミで通っていたが 血の通っている絵描きだなあと思った |
秦テルヲの展覧会をする様になる 甲斐庄 楠音 日本画 扱う画商は当時いなかった |
美術なんか個性が無いと駄目 日本画でも同じ 個性的な絵描きは個性的な絵を描く |
黒田重太郎 さっぱり忘れられている 黒田重太郎の凄いところは彼はヨーロッパに行って 帰ってきてバタ臭い絵を書いていない 洋館を書いていない |
日本の風景 身の回りの物を書いている 自分に接する人を大切にしてその中で自分なりの絵を 日本的な日本の自然風土に根指した油絵を作って行こうとした |
だから普通の人から見たら普通の風景 静物であり裸婦であるわけです 私はこれは凄いものであるという事をつい最近に判った |
世の中に知られていない作家はゴロゴロと有ると思う 誰かが世に送り出すと言う努力をして送り出さなければいけない |
思わぬ出会いがある 不思議な吃驚するような出来事がある 運命のなせる技かなとか、神様の手がこういうところに働いているのかなと思うんですよ |
秦テルヲの展覧会をやって 或る老人が来て あんたになあ絵を3点分けるよ と言われる 秦テルヲの名作 「眠れる子」 急遽展覧会に展示する |
展覧会をすると言う時に出てくる (ほかにも或る) |
日本の京都の女流 草分けの人 松村綾子 昭和の初めに活躍した人 子供ができるが戦後はその子を育てるために引っ込むが その子が亡くなってしまう |
最後には銀閣寺の近くのアパートで暮らしていた 冬にカーペット代わりに新聞紙を敷きつめていたがコンロから火が移り火事で亡くなってしまう |
松村綾子の作品を探した 二科展に出した作品等がぐるぐる巻きになって立てかけてある |
天に昇天する鯉のぼりの鯉 を書いているキャンバスに向かって書いている女の画家が描いてある 女は松村綾子の自画像であろうと 鯉に乗っているのは |
自分の子供であろうと思った その絵が朝日に照らされてぴかっと光った これは展覧会をしなければいけないと思って展覧会を開いた |
作品は大事にしなければいけないと思う 金さえあれば買えると言うようにはいかない お客さんを選ぶのかと言われるが大事にしたい人に売りたい |
数千点はある 作家を振りかえるのに1点2点では判らない 作品に聴かなければ判らない 眼を付けた人には100件を目標にしている |
集めた物の内に売れるのは少ない 残ったものが本当に残りかすなのかどうか は別な話 残りかすだとは思っていないので 勉強はするつもり |
絵と言うものに携わってみえてきたものとは? →世の中変なことばっかりでおかしい (政治、経済 その他) 変わっていないのは美術のみ |
華やかなものの影に隠れた美しいものは絶対に有ると思うので我々はそれを一つずつ 探して歩かなくてはいけないなと思っている |