黒田杏子(75歳俳人) ・名残の花をめぐる幸せ 2
還暦 一つの次へのステージ 自分を取り巻く時間が違ってきた
残花巡礼 花にはそれぞれ満開のときとかいろいろある様に人にもそれぞれのときがある
俳句をやっていると沢山のお歳をめした方がいるが、その人達で魅力的だなと思う方は加齢を逆にプラスにして生きている
花がほとんど無い様な場合でも 美しい 欠けている事に対して日本文化の美意識を感じる 「なお残る 花あびて座す 草の上」
名残りを 詠んだ句 それらを句集「花元草上」に纏める
「花元草上」は篠田桃紅先生が良く書で書かれる字
俳句作者 俳句撰者 として生活している
大震災後 投稿してくる作品をどう選ぶか 改めて選者を問われていると思った
福島民報が福島県と一緒に文学賞を設けてやって来られた
そこで俳句部門の選者としてエールを送ってほしいと頼まれる
原発及び津波の被害にあっている方々に対してどうこたえてよいか判らなかった
未曽有の災害に対して悲惨さを投稿してくれる人が沢山いると思われる
選句に私は全力を投入します
選句という形を通じて災害の復興にどこかで力になれるかもしれないのでそのことに力を入れますと 書いた
それが反響を呼んでくれた 先生の言葉に励まされて俳句を作ります とか手紙を貰った
其れが力を与えられたと思います
一句の脇に言葉書きがある俳句が多くあり 撰者にこの様に対して心を開いて自分の心をぶつけてくるんだなと驚きました
新しい作者が何人も出てきました
選者としても緊張したし、新たな勉強もした 正岡子規の本を読んでいたつもりであったが 「五月雨は 人の涙と 思うべし」
「さつき寒し 生き残りたるも 涙にて」 明治29年に正岡子規が読んだ句だった
当時病床にあったが 中村 不折(絵画師)を派遣して作った句であった
明治29年の三陸沖津浪のときの句
恥ずかしい事ですがそれまではこの様な句は知らなかった
残花巡礼は自分の人生をもう一度総括する様な機会であったと思う
思いもかけないような句をつくった ゆったりした時間 といろいろな人達との出会いがあった
「ふるさとの山 ふるさとの川 さくら」 この様な句は以前は決して作らなかった
俳句作者として自分をしっかりさせたい、発展させたいと思ったのは若い頃で 俳句作者として人生を貫けれればいい 会社の時間は限りがあるけれども
勤めを終わっても生きていける限り俳句を作ってゆく自分を維持したいと思ったんですけれども 理屈ではなくて 名残の花をめぐると言う事で、自分の時間が緩やかに成ったし、 生きかたのギアチェンジもできたし、人との関係 御縁というものの有り難さが 3/11の大震災を経てしみじみ身に迫った
そう言った人達の俳句を作られる句を毎週、毎日観られる生活が私に来ていると言う事は 名残の花をめぐり続け札所めぐりをしてきたことが多分 自分の生き方を作ってくれている と思う 幸せと言えるかどうかわからないが、本当に感謝したい ありがたい
良い意味で自然に年を取って、自然に老化してゆく そういう風に成りたいと思った
杖を持ったことによって お互いの気つかいが判ることができた 加賀千代女も長い杖をついていた(展示してある)