2012年5月18日金曜日

井上肇(ボラティア山形代表理事)  ・新しい時代の災害ボランティア

 井上肇(ボラティア山形代表理事)   新しい時代の災害ボランティア  
井上さんは高齢者福祉の「ゆいの木」の専務理事    
原発事故で避難してきた福島県の人を世話すると言う初めての経験をしました  
阪神淡路大震災の時に災害ボランティアを立ち上げた  
米沢市には現在避難している方が4000名近くいます  
山形県全体では14000人ぐらいいます 状況が変わってきてその方たちは週末避難だったり(金,土、日)
ご家族の方が旦那さんが福島に居て子供さんとお母さんがこちらに避難していると言うよな家族ばらばらな避難が昨年夏より多くなってきています

米沢と福島 郡山 近い 福島第一原発とは90km 奥羽山脈があってそれが放射能をシャットアウトする役割をしているようです
いろんな問題がある 福島ではもう地元に帰ってきなさいと言うようなキャンペーンもしているし避難者も少なくなっているかもしれない
取り壊す予定だった団地 市内の空き家だったアパート等に入っている方々が多いですね
3/11に大変な震災があった時に新幹線に居ました 
米沢市の近くの駅に止まった 緊急地震速報があり 大きな横揺れの地震が発生した

状況がつかめ切れなかった  タクシーに乗り夜8時 携帯が鳴る 阪神大震災の時に知り合ったボランティア団体の人から電話があった
米沢市役所では其の時には福島の人達が避難してくるとは思わなかった  
最初体育館を避難所にした ボランティアメンバーで運営する事になる
役所ではマニュアルがあるのではないかなと思った 
兵庫のNGO メンバーからいろいろ指示を仰いで貰った 
自治会でボランティアに参加出来る人がいるかどうかを募集してこれがボランティア活動の母体となった

最初は10数人だった  90数人登録はいたが 2年間で延べ200人ぐらいになった
新潟の中越地震の時にも現地のボランティア団体と一緒に活動もした  
阪神大震災でノウハウを取得できた  
正式な避難所は物資が直ぐに届くが自宅での避難 小さな避難所は物資が届かない
米沢での受け入れ  毛布の敷き方 毛布だけでは寒くて駄目なので段ボールを下に敷いてから毛布を敷くような指示も神戸のボランティアの人から指示された
ご飯がおにぎりとかで限られている 豊富な食料が提供出来るように対応できた
或る時には登録者の人の方が避難者よりも多くなってしまった時も有った  
とにかく来てくださいと言って対応して貰った
傾聴してあげることの重要さを体験することができた 
普通に手助けしてやればやるほど垣根が取り払われ話をするようになってくる

毛布は直ぐに現地に持って行ってしまったので 無くなってしまって居て アフリカに毛布をおくるボランティア活動をしている人を知っていたのでその人と連絡を取り合い 米沢の受け入れの為の毛布の調達を進めることができた  
今回の場合はピーク時は60名の人がボランティアに参加 その人達の食事を用意するのに主婦の人達が一品料理を用意してくれたりした(ボランティアのボランティア)
だれでも参加できる仕組みをつくっていった  
行政、企業、ボランティア団体が協力して行えた
市長 避難者に声を掛けていた  グループホーム「ゆいの木」 おむすび作り 

一番旨く行ったことは?→ 優しい気持ちで避難者を迎えてくれた事   
行政の人達は良くやってくれたと思います
知事からの提案書がきてその対応について連絡をしたらすぐに動いてくれた  
給湯器の取り付け費用が無い事に対して知事に提言その対応を直ぐに動いてくれた