2012年5月31日木曜日

濃野平(日本人闘牛士)        ・インタビュースペシャル(唯一の日本人闘牛士)


濃野平(43歳) 2012/4/23に放送(インタビュースペシャル)

 1997年  28歳の時に何の当てもないまま闘牛士になりたいとスペインに渡り 15年数々の苦難を乗り越えて活動を続け 現在闘牛士の最高峰のマタドールテドロスを目指しています  
この3月にはこれまでの挑戦の日々を過ごしてきたことを 「情熱の階段」自伝として本に纏め発表しました  
「ノビジェロ・コン・ピカドール(満3歳牛の仕留め士)」に、'09年に昇格している

闘牛やる上での身長、等特に問題には成らない 闘牛士のランクは3ランクある 
満4歳の牛を相手にするマタドールデトロス  満3歳の牛を相手にするノビジェロコンピカドール
満2歳の牛を相手にするノビジェロシンピカドール があり順次下のランクから進まなくてはいけない
牛が闘牛場に放されると 主役の闘牛士がカポテと言われるピンク色の大きな布(マント)を持ちまして 元気いっぱいの牛をあしらって牛の特徴を掴む  
次にピカドール (Picador) (馬に乗って槍を持った人)が牛を槍で突いてダメージを与える   
バンデリジェーロが一対の銛を持って牛の背中を突きます

主役の闘牛士が表れて 赤い布(モレタ)と剣を持って牛と対峙する 
闘牛士は出来るだけ自分の近くを通らせて 最後に真実の瞬間という仕留めをもって完結する 一回の闘牛興行では6頭の牛が出てきて3人の闘牛士がそれぞれ2頭ずつ順々に相手をする  1頭当り20分~25分で終わる  2時間~2時間30分かかる  
動くものに攻撃するのが牛の習性 其れを利用している  
おもに3月から10月一杯にかけて行われる   
固定式闘牛場は500 移動式はそれこそ無数にある
2万人入れるような闘牛場から田舎の小さな500人ぐらいしか入れないような闘牛場まである
スペインにおける闘牛とかは  スポーツではない  伝統芸能 特殊な芸能の位置付け  
新聞では文化欄(スポーツ欄ではない)に紹介される
闘牛士にアジア系の人はいない  女性は中々難しい
10代の後半 クラッシクバレーに興味はあって練習に夢中になった時期があったが怪我をして其れを機に止めた  
ある日TVで目にした闘牛の場面を見て    衝撃を受けて 是非やってみたいと思った   闘牛士の場合は美の追求の為に自らの身体を危険にさらさなければならないという唯一の者だと思う  
そういうものにも強く惹かれました   長続きできない自分に自信の無い人間だった 
そんな自分が嫌だった 先ず日本には無いものだし、スペイン語は出来ないし お金も無かったので そんな状態で挑戦してもみても恥を書いて帰ってくるだけじゃないかと悩んでいた
 
やりたい事 チャレンジすることも無く 諦めてしまうと今後の人生 やりたい事をやらずに 終わってしまう人間のママで生きて行くのかなあと思った
失敗してもかまわない どんなに無様な結果になっても構わないから挑戦してみたいと思った スペインに行ったのが28歳だった  
知り合いも居ないし スペイン語もできないまま殆どゼロの状態から渡った  
冬はオフシーズンなので殆ど行われていなかった   
ウエルバで初めて闘牛場を見ることができた  その後闘牛学校に通う事になる
型の練習 2人で牛役と闘牛士役で練習をする  
闘牛用の牛は其れなりの牛が使用される(遺伝子に組み込まれている)

出来るだけ自分の近くを通過させる事が大事   
牛と人の戦いの様に言われるが闘牛士が如何に旨く戦えたのかを競うようなものです
自分自身の戦いと言っていいかも知れない、成功するまではきつく扱われる  
外国人でお金も無く、つても無い言葉も出来ない 
普通のスペイン人以上に難しい面がある  
いろいろな人との係わりが持てたために助けてもらった   
最初は労働許可証を取ることが必要だった  
下宿先の主人の助けによって何とか取ることができた
デビュー戦 1999年10月   実戦練習を3日前にやったが其の時に壁に激突してしまい怪我をしてしまった  何としてもデビューしたかった
痛み止めをしてもらい雨の為最悪のコンディションだったが本当に私の気持ちがお客さんに判って貰い結果として成功できたと思った

その後3年間は闘牛士として活動できなかった 
観客席を満員にできる様なスター闘牛士でないと声が掛らないので 自分でお金を払って出場機会を払わなければならない  そういう事を全然わかっていなかった 
農場でアルバイトをしながらチャンスを待っていた  
先の見えない日々が続いた  感動をもう一度味わいたいと思っていて3年間過ごした
一かばちかスター闘牛士が出ている闘牛場に観客席から闘牛の道具を持って乱入しました  今では1年に一回程度ですかね 売名行為として勝手に出てしまう

(2002年、34歳の時に 大物闘牛士が出場するラ・メルセ闘牛場の100周年記念大会の試合で実行する)
幸い旨くいって メディアにも取り上げられて 外国人がそこまでして闘牛士になりたいのかと 応援してあげようじゃないかという機運が広がった
本格的な試合が徐徐に出来るようになった  現在年に1試合できるかどうか  
(150人~200人が中ランクにおり) 資金不足であると厳しい
日本人で最高位ランクに行った人はいない  手助けしてくれた人々に対しても報いたい 
報えるような自分に成りたい
スペイン人の3/4は闘牛に関心はない
 しかし闘牛は70%の人が無くなっては欲しくないと思ってもいる

一般的には小さい頃から練習をして16歳で下のランクでデビューして20歳で中ランク 
最高ランクに挑戦というのが一般的な経過、現在43歳 成功した人でも40歳ごろには引退する 70歳過ぎても現役でやっている人もいる 
50歳でも多少いるので気持ちが続く限り闘牛場に立つ事ができるのではないかと思っている わたしも闘牛界では若くはないのですが何とか最高ランクの闘牛士になりたいと思っている  
何とか壁を乗り越えてきたので闘牛以外の事に関しても 前向きに積極的にやってみるという 駄目でもいいから挑戦してみる   そういう姿勢が身に付いたと思う  
自分の可能性を決めるのは他人ではなく自分なんですよね 自分が決めること  
諦めない限り夢、目標に到達できると思っている