黒田杏子(75歳俳人) ・名残の花をめぐる幸せ
(1938年(昭和13年)8月10日 - )は日本の俳人 東京都本郷生まれ。1944年、栃木県に疎開、以後高校卒業まで栃木県内で過ごす
山口青邨に師事 現代俳句女流賞、蛇笏賞 等を受賞 NHK俳句番組、新聞雑誌の投稿の撰者としても活躍 日本列島桜花巡礼と名付けた満開の桜めぐりを30代の初めからおよそ30年間続けたことでも知られています
西国、坂東、秩父の百観音霊場巡礼や四国88か所の遍路も初め長年全国を巡る人生を送ってきました
60歳から始めた残花巡礼を続けておられます
残花は桜の花に限る 晩春 余花は初夏 桜 時系列的に花を待つ 初花 初桜 花三分 満開 花過ぎ 残花 余花
1日の中でも時間系列があって 朝桜 夕桜 夜桜 花かがり(かがり火の光で花を見る) 花冷え 遠山桜 表現する言葉が豊か
季語と親しくなると豊かになる
一番最近行ったのは滋賀県琵琶湖の周り 今年は随分咲いていた
今年ほど琵琶湖の周りに桜があるのを実感した事はない
寂庵での句会 28年目になっている 秩父34観音 4月7日に行く
日本百観音の結寺 水潜寺 金子兜太先生の生れた札所
西国 33ヶ所 坂東33ヶ所 合わせて66か所で秩父は百か所になるために34か所になっている
「月充ちて 花の秩父と成りにけり」 月と満月との係わり
俳句仲間と一緒に100観音をめぐる 53歳の時に始める 20年で100観音をめぐる
四国霊場88か所めぐり 桜花巡礼は30歳ときから始める
20~30年かければ出来るのではないかと始める 単独で満開の桜を目指して行くのは当時は情報も無かったので自分で調べて、国鉄のストもあり いろいろあった
40代までは投稿してはいなかった 当時は民間の広告会社博報堂に勤めていた
会社には定年があるが表現するのには定年はない 俳句で人生を貫く発心した
30代で再入門した 発心は自分との契約 人に言うものではない
体験 最初気負っていた 満開の桜に接する 淡墨桜 岐阜 新幹線で行き タクシーでゆくお金もかかる
帰ろうとしたら身体が硬直して動かない 1~2分で直ったが 桜の精みたいなものが 私が桜を見に来たので 咲いてる満開の桜なんだと
桜が私を諭したんだなんて思って 有るチャンスがあってエッセーに書きました
其れを読んで金剛福寺 38番札所の俳句をやる奥さんから投書があり 黒田さん其れは桜に悪い 桜はそういう木ではないと 指摘された
佐野さんは丸山公園の造園業者 ソメイヨシノと山桜の違いは 花ビラの重さが違う ソメイヨシノの花びらは木の下に散る 山桜の花びらは気流に乗って広がる
そういう違いを知っていないといけないと言われた
「花に問え 億千本の 花に問え」 「花に問え 私に問え 花に問え」(黒田)
「発心の 我を悲しむ 桜かな」 (黒田) 自力だけではなく 他力もあるのかなと 自分を見直す 自分なりの行を発心したことへの感謝
残花巡礼 桜が咲いていない時に(別の光景が見える) 別の季節に行ってみてもいいのかなあと思うようになった 散り始めた以降の光景見る
なんとも豊かな気持ちになれる 満開の時とは違って人のざわめきはない