2012年5月7日月曜日

三上博史(俳優)         ・演じること、生きること 2

三上博史(俳優)             演じること、生きること 2   
演技する上で、自分を捨てることに対しては物凄くエネルギーを使ってしまうのでは、自分が残っていていろんな役は出来ない
空っぽの身体に哲学を入れてくる     そうするとその人が出てきてくれる 
自分が残っていると苦しい 
どっかで旅では追いつかなくなって 自分の活動をしなくては、いけないと思ったのが音楽だったそこで出会う人は気の良い人達だった  
暇つぶしにバンドやろうと言う事になりコピーバンドをやっていた  
そのうちにオリジナルバンドをやる様に成る 詩も書いたりする
  
役者は月の活動 月は自ら光を発しない  音楽活動は太陽でありたいと思った
売れなくても太陽の活動をしていても旨くはいかない  
30代終わり頃役者になるのを止めようと思った
天井桟敷の友人たちから声が掛って一緒に演劇をやらないかと言われてやって凄く楽しかった 直接演技をお客さんに届けるのがこんなに楽しいのかと思った
受け取り手の立場に立って演技をしようかなと思うようになった   
舞台の稽古は苦しいが チケットを買った時点で舞台は始まっているんだよと言われて、一つ一つを楽しんでもらえるようか、考えている
     
見せる、見てもらい、楽しんでもらう  視点がいろいろ或る  
色んな映画の色んな演技を使わせてもらったり 旅での出会った有る場面とかぱっと気になった 仕草とか使わして貰っている 
犬からの仕草表現をみたりして参考にもしている 変幻自在の役者 と言われていますが  朗読もやっているが 芥川 「やぶの中」 中々面白い おばあさん 悪党いろいろな人の声をやるので面白い  
朗読でも当人が見える朗読と見えない朗読は違う   
伊勢神宮への奉納(文をもって朗読する)もした

仕事での演技の姿勢は基本的には流されるまま 抗わない 流れるまま   
見てくれる人はどうやったら喜ぶのだろうかとどんどん広がってゆく
役の選択肢が少なくなってきているのと一つ一つの役柄を大切にしたいと思っている  
それで劇に出るのが少なくなってきている事はある
想像出来ないような苦しい中で生活している方、凄く悩んでいる方、心を失ってしまった方、心の襞を無くしてしまった様な方 に対して僕らの出番がある様に思う
心の襞を再生するお手伝いをするとか、感じること、 感じることが生きがいにつながったりするとか、  そんな中に僕らの仕事の価値があるのかなあと自分で思っている 
出来ることをコツコツとやっている
  
同じ時代に生きていて、同じ日本に生きていて、3万人もの人が自殺者いる事が耐えられない 苦しかったんだろうなとか それさえも感じられないように、追い詰められえてしまったんだろうなあと、なんか生き甲斐を一緒にみつけられれば相当避けられる人がいるのでは、その為の要素になる物を作っていきたいが、そのためには、自分の言葉を使わなくてはいけない 
今まで役者として生きてきちゃったので自分の言葉を封印してきた   
公の場としてフィルターが掛ってしまったりするのでそれすらも取っ払って自分の言葉でしゃべってゆくと言う勇気というのが僕に必要になってくるし、其れはもうちょっと時間がかかるのかもしれない    
10代 20代 30代 40代伺ってきて今後はどうですか?  
50代は綺麗に生きたい 醜く生きたくない  
嘘はつかない、裏切らない ねたまない やっかまない 人の足を引っ張らない  
気が付いたら相手を傷つけていたと言うのはまだしも、あえて傷つけているとか そういうものは止めようという 出来るだけそういう風にしたい