2012年5月12日土曜日

酒井雄哉(延暦寺住職85歳)   ・人生これ修行

酒井雄哉(ゆうさい)(延暦寺住職85歳) 人生これ修行
(1926年(大正15年)9月5日 - ) は天台宗の僧侶。比叡山延暦寺
千日回峰行を2度万行しています  
千日回峰行とは比叡山の山中等を7年の間に1000日間歩く修行で歩く距離は4万km
 地球を一周する長さです。 
比叡山修行の中でも最も過酷な修行と言われ、これを2度万行した僧侶は記録に残っているのは
これまで3人だけと言われている
堺さんは 戦後 ラーメン店や株の取引等様々な職を転々とし、妻(と成ったいとこ)が結婚2か月で
命を断つなど激動の人生を送り39歳で仏の道に入りました
52歳のときと 60歳の時に千日回峰行を万行しました
今でも毎朝滝に打たれる  子供の頃は泣き虫で落第生だった   予科練に入る 
特攻基地にいた 
戦後  あるところから父親に就職の話が来たが、家の近所にいい勤め口があるため断る為に 
父親の代わりに行ったら 私が父の代わりに勤めることになる
学校に行ってないといったら 行くように紹介される  
学校に入るのに成績証明書を貰わないといけない 成績表が悪く 法政大学に行かなくなった
学校に行かない分の時間を東京都内をめぐり歩いた  それを100日以上やっていた     
小刻みに考えると 疲れないので済む 

親戚が気を使って、従妹(いとこ)の女性と結婚をする  妻はガス自殺をする。
結婚して二ヶ月しての出来事だった
せめて49日はいてくれと、義父(叔父でもある)にせがまれ、妻の実家の鉄工所を手伝うことに 
義母(叔母)が、気分を転換させようと比叡山に連れて行くことがあった
比叡山に行くようになる 小林隆彰さんに出会う 来拝行(立ったり、座ったりする行) 
朝、昼、夜 3回(1回に付き108回) やる事になる
けがれているから 滝に打たれてから 行をしなさいと言われる 滝に打たれるのはその都度行う  
一日やったら音をあげると思っていたらしかったが 、1週間やり通してしまった  
一旦帰ることになり宿題をだされた 
 
答えが判ったら山へ来い 判らなかったら来るなと言われる  メモを渡される 「東西日南北」  
東から太陽が登る国  な(南) にし(西) きた(北) ?
(これは若い頃、二一枚の般若心経の写経をする時に、ズルをして、重ね書きがバレた時に
中心に「日」、上に「東」、)
(下に「西」、左に「北」、右に「南」を書いた紙を渡されたエピソードだ)
(このエピソードを考察してみたい。これは「一隅を照らす」という天台の根本の教えに通じる
師の諭しように思われる)
(「一隅を照らす」という思想は、全宇宙(東西南北)あるいは全世界を考察することにも通じる)
(つまり「東西南北」を考えることは、若い酒井師に比叡の一隅から全世界を考えて生き続けなさい
、という師の導きとも考えられる)

判らなくて山に行かなかった  弟子にしてくれない 仲介有り叡山学院に行く 
叡山学院を首席で卒業する   46歳だった  
20歳も若い人と一緒にやるので人よりも2倍やろうと思って 明け方 根本中尊までお参りに
行って 5時になると若い人と合流して釈迦堂でお勤めしたりした
或る時に阿弥陀堂で琵琶湖の方を見たら空が茜色に成っていて 琵琶湖の水辺の青さが綺麗
だなあと思って 太陽と月に仏さんが有るのだなあと 思った
太陽(日光菩薩)と月(月光菩薩)の間に自分があると感じた   
仏は心の中に有るのだなあと思った 
   
常行三昧(仏立三昧)行う 90日の間お堂の中で阿弥陀仏の周りを歩きながら念仏をとなえる 
食事も立って食べる ぐるぐる回りながらほぼ寝ないで念仏を唱える
足も脚気みたいに成ってきて足が上がらなくなってくる  バランスが崩れてしまう 
歩きながら呼吸をして念仏を唱える 念念歩歩しょうしょうと言う人もいる
心の中で仏さんを想い描きながら、呼吸をしながら念仏を唱えて身体を動かしてバランスが一つに
なって初めてものが成就するということです
千日回峰行は自然に行に入っていけた   
出峯の時 じっと老僧が出てゆくところを見守ってくれた

或る時雪が降った後に猪がきて正面衝突してしまった 
落ちて雪が有ったから酷い怪我はなかったが足をぶつけてしまって親指がまりもみたいに膨らんで
動き出したがどうにも動けなくなってしまって、足を切開しようと思って切ってしまった  
一時失神していたようだった  回りは血の跡があった
行者は「手巾(しゅきん)」(紐)(病気等をしてもうこれ以上行けなくなって駄目な時に自分で自分
を始末するロープ)を持っている  首をつって断つ

刀と手巾 二つを持っている  手巾を裂いて包帯代わりにして縛って降りてきた
千日回峰行は不退行   止めるときは自分で自分を始末しなさいということ
人間 命が大切 次にお金  行をするにはお金をはたいて自分を育てた親だとか、
お坊さんだとか、学校の先生だとか 呼んでその人達にお食事を供与する
生葬式 をする お別れ会をする    「お堂入り」の修行 9日間の間に水も飲まない、
食事もしない、横にもなれない 寝てもいけないと言う行をやって
その間に法華経8巻を全部読み終って 不動明王の真言を10万遍唱える
 
井戸に行って水を持ってきて供える (夜中) この時だけ堂の外に出られる
誤魔化す これを知っているのは自分と仏さんだけ 
 だまして修行を終えても重い荷物を背負って生きて行かなくてはいけない
千日回峰行を2回やって得たものは?→何にも得てない ただ2000日ちゃんと動いたな
と言うだけですね だから毎日生きているとう事以外何にもないと言う事です
生きているから出来た事で生きていなかったら2000日歩けない  
だから感謝の気持ち ありがとうございました と仏様に 
坊さんに成ったのだから人様に迷惑をかけないで、人様の為に頑張ることを考えなければいけないよね 
その延長線だから 昨日は昨日だし、今日はこの自分だしね

自然に逆らってもしょうがない 時期が来たら桜も散ってしまうし、咲いてくれといっても咲いては
くれない
暑いな暑いなと思っているうちに また冬に成って葉が茶色くなって枯れて落ちちゃって 
また3月頃になると花が咲いて その繰り返しじゃない ぐるぐるぐるぐる
今日が終わって一日が終わって また次の一日がきて その繰り返しで人生が終わって
行くのじゃないのかなあと思います
今を大切にしなさいと 一日 今以外に何もない  
ここのお寺からわらじを履いてでて行くでしょう ずーっと山を登って又山を下りて帰ってくる 
そうするとわらじがボロボロに成ってしまって次の日に履こうと思っても履けない

新しいわらじを履いてゆく 毎日毎日履いてやっていると草鞋のお陰で自分が回れることが
できるんだと有り難い気持ちになったと同時に
其れを人生と思ったら 今日の自分は今日でお終いで 明日は明日で新しいパワーで回れるという
発想で 一日が一生ではないでしょうか
今以外に何もないから  今こうやっていても大地震がくるか、山津波が来るか判らない 
あっという間に一瞬のうちにお終い
地球の上に居ると何が起きるか判らない   
仏様から命を預かってきた自分達だから 其れを一日一日を大切にして なんか皆の為に尽くす
ことを考えなければいけないと駄目だと思います

お茶で一期一会のようなもの
大震災に有って苦しみ 不安等抱いている人達がいると思うが→いま生きていること自体 
呼吸している事が感謝ではないか  酷な様だけど世の中は無常の世界
いつ何が起きても当たり前 自然の中にいるのだから 
こないだ東京で 地球の高山に無酸素(酸素吸入器具を使用せず)で登った人がいて 
その人と話を聞いたのですが 人間ていつ死ぬか判らない
空気が無くなっちゃたらお終いだし 一歩ずつ進んで行って ある地点まで行ったときに自分が
そこに立っていると言う事は生きていると言う事で
凄く感謝の気持ちとか 空気の有り難さ そういう風なことを言っていた

空気があって空気を吸わしてもらっている 
感謝の気持ちをもう一遍 皆が関係ないと思うんじゃなくて考えてもらう必要があるんじゃないの
生きると言う事は?→仏様から命を預かって お前ちょっと娑婆に行っていろんなことを勉強して
きなさいと追い出されたんだから 生きている間に自分で
帰ってゆく為に論文を書いているんじゃないかと  人生の論文を 自分の論文を 
其れを携えて お釈迦様の前で 閻魔様の前で その論文を見てもらって あっこれだったら
合格だ だったら来年はこういう事をしなさいとか
駄目だったら もう一遍追い返して もう一遍人間になってやってこいとかなるんじゃないかと思う  
だから今一生懸命やっていること 
これはやらなきゃあいけないとか 自分と言うものを懺悔の気持ちで持って 感謝の気持ちと 
ぶちあげて 死んだときに 堂々と仏様に報告ができるような論文
を書くために 今を大切にしなければいけないんじゃないかな 
 
それが生きることとちがいますかなあ 
いずれにしても自分はこの世の中になにしにやってきたのかな と言う事でしょうかな
それぞれ皆生き方が違うし いろんなことを言っているけれど  やっぱり 何か 
やるべきじゃないの 人間として    
人生というのは全て 生きる行だからね 修行なんですよ