鈴木潔(60歳) 子供虐待防止センター静岡運営委員 |
<概要> |
立命館大学経済学部卒業 「子ども虐待防止センター・しずおか」の立ち上げに参加 (財)「たんぽぽの家」主催「親守唄・歌会」にて大賞受賞 |
「NPO夢楽団・自然体験基地」理事長 子供虐待の実態 虐待に関する作曲をして公演 |
2000年の10月に静岡市内の主婦5人が立ち上げる 5人は命の電話とか子育てホットライン等の電話相談員でその頃増え始めていた虐待 相談に対応するため設立 |
私も一緒に参加 代表等を務め今は運営委員をしている 主な活動は電話相談と啓発 |
私のやっていることは虐待かしらという内容から毎日殴っています もしかして殺してしまうかも知れませんみたいな相談まである |
私が加わったのは子供がいじめに遭ったのがきっかけであったように思います→ 家族全員で取り組み半年後に解決→何故虐める子がいるのだろうと云う疑問が子供に 目を向けるきっかけに |
非行、不登校、引きこもりの問題などにも取り組む→子供たちに係わる大きな問題は 全てではないが、乳幼児期に起きる虐待が背景にある事に気が付いた |
中学1年(13歳)の最強の非行少年と出会う(手に負えないような)→小学校4年から 万引き、おそらく殺人以外のあらゆる犯罪行為をやってきた |
彼がどうしてそのようになってしまったのか→家は代々お茶農家 彼が小さいころから 父親が母親に対してDVをする 時々彼にも暴力をふるう事が有った |
2~3歳になるに従い母親に対する暴力はエスカレートする→当然家にいるのは嫌になる →コンビニにたむろする悪仲間に入ってしまう→坂を転がるように悪い道に進む |
DVを子供に見せるだけでも子供の心を破壊する →非行、不登校等の大きな原因になる |
2000年に起きた関西に起きた虐待死事件がきっかけとなり曲をつくるようになる |
当時シングルマザーとか離婚した母子家庭に男が入り込んで母親の連れ子が虐待され 死亡するという事件が増加する |
当時母親は29歳、 男の子(6歳)、女の子(3歳)の母子家庭 突然現れた男に心を 開くはずはない 子供が自分になつかない、いらいら感から虐待に走らせた |
エスカレートして死へと向かわせる 6歳頃では逃げる、訴えると云う発想はない |
一方的に人権を奪われ心も体も引き裂かれ無念に死んでいった子供たちの叫び、 これはいったい誰が代弁するのでしょうか→私は自作の歌を通してその作業をしているつもり |
言わば骨を拾う作業です その作業の中でこの曲は生まれました |
「アビューズ」 子ども虐待防止・啓発CD |
「今日は僕の誕生日 やっと6歳になるんだ ママはパパと別れ 僕を連れて家をでたんだ 6畳2間のアパートに ある日その人が来たんだ 平和な日々は続かなくて」 |
「部屋に大きな声が響く 目の下の青いあざは 殴られたんじゃない 机の角にぶつけた んだ だけど誰にも言わないで 僕には妹がいるんだ 3つ下の可愛い女の子さ」 |
「優しかった僕のママも この頃暗い目をしている そりゃ僕だって駄々をこねたり 云う事を聞かない時もあるよ お箸も上手に使えなくて ご飯をこぼすこともあるよ」 |
「脛の赤い傷は蹴られたんじゃないよ 一人で階段から落ちたんだ だけどだれにも 言わないで」 |
「今では顔も忘れたよ 別れたパパはどこにるの 淀んだ部屋の空気の中 その人は 濁った眼でにらむ おもちゃを片付けなかった事 何度もおねしょしたこともある」 |
「人参も食べなかったことや おやつを寄こせと泣いた事もある 腕にあるいくつもある やけどは煙草の火なんかじゃないよ 台所で油が飛んだんだ だけどだれにも言わないで」 |
「おねしょももうしないから 人参も絶対食べるから お箸も上手に使うから これ以上僕をしからないで ご飯も絶対こぼさないから おやつももう要らないから」 |
「おもちゃもすぐにかたづけるから これ以上僕をぶたないで」 |
10年間で190回ぐらい公演している 学校、PTA、教育委員会等々 子供たちが受け入れて くれるか心配だったが、むしろ子供たちの方がすんなり受け入れてくれた |
感想文が送られてくる 1000通以上 世の中にこんな悲しい事があったなんて今日は 知る事が出来てよかったです |
今の家族に生まれて自分が幸せなことに気付きました 毎日喧嘩しているけど自分は幸せなんだと云う事に気が付いた 等々 |
子供虐待の件数が年々増加傾向にある 児童相談所に持ち込まれる相談件数は2010年度全国で5万5千件を超えている |
社会の閉塞状況をみれば増えていると言わざるを得ない 年間 40人から50人の命が奪われている(虐待が原因であると特定された場合のみの数値) |
増えてきている背景 まず第一に人間関係の希薄さ 1970年以降高度成長に合わせて 消費文化、使い捨て文化が浸透、加えて核家族化も進んだ |
この時代物質的に豊かなものが勝ちというよな風潮が出来上がって今に至っている 家の構造も頑丈で独立性、機密性が高くなって近所付き合いを遮断してしまった |
こうなると人と人との繋がりが希薄になり、他人に関心を持つそのことが悪い事のように 言われ始めました そんな中で育ってきた子供たちが今親になっている |
彼らは子育てを相談するような人間関係を持っていません その結果密室での子育てとなり 虐待が発生します 実は私達世代が育てた世代かもしれません |
第二に、長引く不況 貧困と言ってもいいかもしれません 親たちは生活に追われ子供たちを顧みる時間がありません 親の貧困はそのまま子供の貧困です |
例えば給食費を払えない子が保健室で擁護教諭に余ったパンを貰っていると云うような 状況もあります 20~30年前では考えられません |
国は産めよ増やせよと少子化対策に力を入れているが、その前に折角この世に生を 受けた子供たちがこんな状況に置かれている今ある命を守れずに子供達を増やす事に 意味は有るのか |
2004年栃木県で起きた虐待死事件 |
自分の子供と3人で暮らしていた男の元に暴走族時代の先輩が2人の幼い兄弟 (4歳、3歳)を連れて割り込んできた 当初は仲よく暮らしていたが、次第に先輩に対して不満が募ってきた |
不満の矛先は先輩にではなく、幼い兄弟に向けられるようになり、暴行が日常となる その年の7月のある日、顔や体中にあざの有る子供がコンビニのレジに菓子を持ってくる |
金がない 水をやると一気に飲み干す 不審に思った店長は警察に通報→ 児童相談所に保護→店長は安心→人さらいめと罵声を浴びせて父親が児童相談所に やってくる |
祖母のところに預けるとの約束で引き取る→父親は元の後輩の家に連れ戻してしまう →2人の子供に車の中で数時間に及び暴行を加える(瀕死の状態) |
2人を川に投げ込む 母親がいない同士の家族 一般に言われる家庭はない たった一人の肉親の父親は子供たちを守ってやれなかった |
(2人の子供は何度か家出を繰り返すがそのたびに家に連れ戻されてしまった 家出をするような年ごろではないのに本能的にここにいてはいけない事を悟ったのでは) |
「オレンジ色の空に」 |
「今僕には2人の姿が見える 手を繋いで歩く君たちが オレンジ色の空に向かって あてもなく歩く君たちが 今も僕には2人の姿が見える 手を繋いで歩く君たちが」 |
「お腹がすいても足が疲れても さまよい続ける君たちが」 |
「その日神様は きみたちを見過してしまいました 2人は車の中で何度も何度も殴られ 続けました 怖くて痛くて苦しくて 傷ついた2人を抱きしめてくれる人はいません」 |
「幼い君たちはただ寄り添うだけです そして二人は瀕死のまま 河に投げ込まれました ごめんなさい 君たちを守れなくて 」 |
「いつか僕も天国に行くだろう そしたら君たちと会えるかなあ はじめましてと君たちに 僕は云うから にこっとはにかんでくれるかい 「いつか僕も天国に行くだろう」 |
「そしたら君たちと会えるかなあ もうさ迷い歩かなくていいんだよう 何も心配せずに お休み もし2人生まれ変わってきたら 僕のそばにおいでよ」 |
「2人の大好きなお祭りに行こう アンパンマンのお面を買おうね もし2人生まれ変わって きたら 僕のそばにおいでよ 遊園地に出掛けて トーマスに乗ろう」 |
「ソフトクリームを食べながら歩こう もし2人生まれ変わってきたら」 |
2010年7月 締め切ったワンルームマンションの一室に3歳のさくらこちゃん 1歳のかえでちゃんが置き去りにされた 母親は以前名古屋でも置き去りにしたが、部屋から抜けだした |
さくらこちゃんが夜の街で警察に保護された →今回は室内から出られないように粘着 テープで入念に脱出を阻んだ→猛暑のなかでエアコンもない、食べ物もない |
2人は部屋の真ん中で寄り添うように亡くなっていた→おそらく飢えやのどの渇きに 身をよじらせて苦しんだに違いありません→捜査員もその光景に涙を流した |
そのワンルームマンションの同フロアーの山本怜奈さん等 桜楓会を結成 何度か通報したのに救えなかった事に対する無念さを感じた人達です |
それまでの人間関係の希薄さに気が付いた これをもう一度考えたいと集まった人達 実はこういう動きこそが大切であり、人と人との絆を取り戻すチャンスなんじゃないでしょうか |
今東日本大震災に対して支援の輪が広がっています 優しい雰囲気が冷え込まないうちに 人と人との絆の大切さ これを取り戻すこと これこそが子供たちを救う最良のセーフティーネットだと思います |
2回 桜楓会を招いて今こそ子供虐待を語ると云う学習会を開催しました もう一度私達が優しい心を作り直し社会に思いやりのある優しいムードを |
取り戻そうと、開催したものです 来年福祉医療機構から助成金を頂いて 、静岡を中心に8回今こそ子供虐待を語るオレンジコンサートを開催する予定です |
虐待のニュースを見たり聞いたりしたときに すーっと右から左に流してしまうが、 被害に遭った子供たちにほんの少し想いを寄せて下さい |
悲しみを共有しましょう そして涙を流しましょう そして怒りましょう 私も、友人もこういう事件を聞き、自分の孫の事を想うと涙せずにいられない |
こういった私達の怒り、悲しみというのは普段心の奥にしまいこんでいる本当の優しさ、 想いやりを呼びもどしてくれる |
そういう一人ひとりの思いやりとか優しさが きっと社会のムードを良くしてくれます もちろん法改正、制度作りも大事ですが、まずそれを操る私達の心作りから始めなくて はいけない |
思いやりのある優しい雰囲気のある社会 それこそが子供たちをそして育児に悩む親 たちを救う最良のセーフティーネットだと思う |
虐待の予防の難しさがある→ヒントを見つける→人口的に余っているシニア世代 ゴルフ三昧、旅行三昧もいいが 我々の孫の世代が苦しんでいる現状 を深く理解してもらい |
何らかの提言や行動を起こしてほしいと考えています シニア世代も自分の生活が大事です 自分だけが良ければ幸せかと言えばそうではありません |
実は人間の幸福感は他人から評価されたり、大事にされたりすることで幸福感を得る ことが出来ます |
それには自分自身が周囲の人を大切にしなければ自分も大切にされない という事です |
そのためにもシニア世代に一肌抜いてもらいたいと思います シニア世代には十分な人生経験があります そのノウハウを是非生かしてほしい |
育爺 育婆 「グラン グラン」 雑誌 シニア世代に孫世代ともっと係わろう、 遊ぼうというもの 親のサポートをして育児負担を少なくして 親に自分たちの時間を もって子育てに余裕を |
シニア世代に合わせて生き甲斐を持ってもらう |