昭和6年生まれ 西宮で焼きだされ、母親の実家に小学6年までいて、中学、高校と又西宮に住む その後は東京にて仕事をする
父親は建築設計(終戦までは大手の設計事務所) 戦後フリーの建築設計家として仕事をする
高校の時は絵を描くようになる
学校の方針に合わない(大学進学中心主義) 2年の終わりに大学選択
芸大受けたいと先生に言う(内申書を書いてもらえず)
桑沢デザイン研究所に入学した グラフィックデザイナーを目指す 印刷・写真を学ぶ
写真の仕事をする
2カ月掛って東京から関西まで旅行する(26歳) いろんな方にお世話になり旅が出来た
建築カメラマン 東京霞が関ビルをいろいろな角度から撮る事がきっかけとなる
万博の時が忙しかった 撮りまくる
自動車で旅に出る 1年間3万km日本国内を走り 写真を撮る
普通の風景(日本の村) 1971年
写真と文章が関連していない(日本の村 今) 『山田脩二 日本旅 1961-2010』
モノクロ写真が主体 目が本能的に白黒に写し替えている
わりかし手作業で自分で出来る
自分の表現としては白黒の方が合っていた
紙を焼く、土を焼く、木を焼く
42歳の時に淡路島(瓦生産地)に家族とともに移住する