2011年8月24日水曜日

真山 亜子(声優)         ・二つの難病を乗り越えて

真山 亜子(声優)                  二つの難病を乗り越えて  
ぷろだくしょんバオバブ所属(主として声優のマネージメントを行っている)
 『忍たま乱太郎』(乱太郎の母)、『ちびまる子ちゃん』(杉山さとし、石山柿絵)など
大学に行くときに、家を継ぐ必要があったので経済関係の大学に行く、新宿の花園神社で唐十郎さんの劇をみる テントのお芝居をしたいと思い居場所を見つけてしまった
方言を直すことが大変だった 4年生の時に小劇場にスカウトされる 
1年切りやれないと云って入ったら、もう抜けられなくなっていた
卒業後も東京から地元岐阜に帰らずいたが、祖母の手術の時一旦家に帰り、親族会議有、説得されるが東京に戻る  

手塚プロから声優の話あり その間に入院した 身体の事もあり演劇より声優を選択する  オーディションに受かり、チョイ役が来るころ 微熱、関節炎、朝起きられない 
這ってお手洗いに行く状態が続いて どこの病院に行っても何でもないといわれる 
鍼反応 でベーチェット病ではとの診断 ステロイドを飲まなければと対処療法が決まる 
その間も結構忙しく仕事をする
結婚するころが一番具合が悪かった 
半年後に大量下血をして1カ月入院する 
結果的に ベーチェット病クローン病の認定を受ける事になる
難病なので原因、治療法が判らない 症状がつらい 
仕事を貰えるようになった時と、辛い時期が一緒だったが仕事を優先してしまった
腸に穴があき手術 人工肛門となる 

3か月入院していろんなことを学んだ 
その中でラジオ深夜便を聞くようになり朗曲とか落語を聞いたりして 退院したらあれこれやりたいことが浮かぶ 
入院中には命が危うくなるような場面もあった
阪神大震災の時に何かやりたいねと友人と話し合い、紙芝居をやってみようかと話が浮かぶ 絵を描いている友人もおり、入院している時にその友人が来てくれて、彼女が水墨画の個展を開き、その中で具体化する  
退院後2004年に紙芝居を立ち上げる 6年ぐらいになる  
三味線とか小唄をその紙芝居の中に入れる  

紙芝居を子供から老人まで楽しんでもらいたいと云う思い
前向きになる原動力 人に褒められたりとか やってと云っていただけると嬉しい 
おちこんでいるときもあるが何時何日やってくれるといわれるとそれに向かって頑張れる 倒れたりする繰り返しの中で一座(紙芝居)と声優の仕事をこなしてきた 
逆に仕事がなかったらどうなちゃったか解らない  
難病なのでなおらない 今は安定期にあるが何時どうなるかは判らない 被災地にいけたらいいなと思う