織田 正吉 (放送作家) 笑い |
<概要> |
1931年12月4日 - 放送作家、エッセイスト。兵庫県神戸市出身 |
日本笑い学会理事。関西演芸作家協会顧問。元・園田学園女子大学短期大学部講師 1982年、上方お笑い大賞功労賞 |
「笑い」に付いてのいろいろな事を披露する |
職場や家庭の笑いの場所にするには笑いのもとの平等が大切だと説く |
大阪落語家は200人を超える NHKの漫才コンクールの審査員を長く担当 コントがやたらと増えてきたのが特色 コントは大阪には無かった |
夢路いとし、こいし は画期的 上品な漫才 誰にでも無難に聞ける 毒の部分が必要(毒を抜いてしまうと面白みがなくなる) |
面白いもの・・・演者が面白いと思い、聞く人も面白いと思うのが理想的 |
笑いユーモアの研究 沢山書くためには理論が必要 方程式が必要になる 笑いの化学分析が必要になる センスだけでは書けない |
なんか訳のわからない舞い降りる様な状態になる時がある(たまに) 湧いてくる(詩でも俳句でも同じ) 頭で考えて作ったものは駄目 |
作者は観客の第一号 書いてゆくためには理論が必要 究極の理論は「緊張の緩和」だ |
笑いの生まれる方法として例えばジェットコースターを下りてくる人は大抵笑っている・・・ 緊張が溶けて笑う(生理的笑い)・・・笑いの一つ |
落語家 米朝、笑福亭ふくろう との付き合いあり 笑いはいろいろある |
笑いはいろいろある 笑いの性質でいえば「嘲笑する笑い」 (あざけり笑い)・・・ 一番原始的な笑い |
平安時代の終わりごろの「今昔物語集」というものをみると あざけり笑いが大半 ものを知らないとか作法を知らないとか言い間違え・・・次元が低い |
嘲笑の笑いがまず出発点にある 尾籠(おこ)の笑い 下ネタ 誰でも笑う |
嘲笑には日本人は敏感 人に笑われる事を恐れる・・・ 恥の文化 (そんなことをしたら近所の人に笑われるよ) 「菊と刀」の本に記載 |
人前であんまり笑わない 笑うとその人を馬鹿にしたことになる しかし日本人は笑いが好き |
笑っていい場所と笑ってはいけない場所をピシッと分けた 笑いの場→宴会 花見等 暗黙のルール 笑いのスイッチをon、offする(むやみに笑わない) |
演芸場は笑いの解放区 昔は下ネタが多かった 大いに笑う 大爆笑 |
笑いは感情表現 ユーモアは笑いを見つける才能 |
子供はおかしな表現をする 常識がないだけ 大人は常識があるけれども常識の中 に取り込まれてしまう→人間が面白くなくなってしまう |
子供のような見方もできるセンスがいる 子供の言葉を面白がってやることが大事・・・ユーモアの出発点 |
自分の見方が固まってしまっていることを判らない |
子供の背丈で見る環境と大人の背丈で見る環境は違う すべてそうなんです 自分だけの見方が正しいと云う事を棄ててしまう事が大事 |
常識から外れるセンス(虹は7色は間違い グラディエーション 何万色もある) |
例えばもも太郎の話(ももを割ったらお爺さんが出てきました) 原形がある 原形が有ってそこからはみ出たものに笑う おかしさを感じるその反応が笑い |
人間は笑う動物 というよりはおかしさを感じる動物だと思う |
緊張が続き過ぎると人間は笑いを求める それで心のバランスが取れる |
笑いはNK(ナチュラル キラー)細胞を活性化する NK細胞は癌細胞を攻撃する お笑いが市民権を得る 笑うのは健康にいい |
ユーモア感覚は心のバランスに必要 緊張ばっかり続いているとそれをふっと緩める 作用、自分から緩めようとすることが出来るのがユーモアのある人・・・大事 |
頑張る時は頑張る 真面目な時はまじめにやる そうして大いに笑い多いにユーモアを 楽しむ ユーモアセンスを磨くと云う事が大事 |
「笑いの基の平等」・・・上役がダジャレをいう→笑う(笑わないとしゃれの判らない男だと いう) 新人がダジャレを言う→上役は苦い顔をする |
上下関係のあるところでは笑いは生まれない 平等なんですよ |
江戸時代 狂歌がはやった 町人も武士も一緒に狂歌を作っている 武士はよく笑った(仕事から外れれば) 狂歌、川柳を作る段階になると面白いものをどんどん作った |
最高峰は大田南畝 川柳では四方赤良(よものあから ※大田南畝の別号) お笑いの先端を切った人 |
平等になる為の雰囲気を作る必要がある ユーモアのある人は一方からだけでなく 別の角度から見ることが出来る(頭の中を自由にしておきたい) |
心のバランスを保つためには笑いが必要 |
笑いは常識からずれた所にあり、ユーモアというのはおかしさを見つける感じるセンスの ことでユーモアを持ちたいなら常識に捉われてはいけない |
上下関係のあるところでは笑いは生まれない (生まれるのはお世辞の笑い) 笑いの基の平等こそ大切 |
桂 米朝(かつら
べいちょう)は、上方落語の名跡。本来は、大名跡である桂米團治を 継ぐ前段階の名跡 |
入門当時滅びかけていた上方落語の復興に尽力し、6代目笑福亭松鶴、5代目桂文枝 、3代目桂春団治と共に、昭和以降の「上方落語の四天王」と呼ばれる |
上方落語界としては初めて(落語界では2人目)の人間国宝となり、後に演芸界初の 文化勲章受章者となる |