竹西寛子(作家) 広島が私を動かした |
<概要> |
(1929年4月11日 - )は、日本の小説家、日本芸術院会員 |
広島市皆実町(現・同市南区内)に生まれる 戦争末期には学徒動員により軍需工場 などでの勤労奉仕に従事 |
1945年8月6日の原爆投下の際は、たまたま体調を崩して爆心地から2.5kmの自宅に 在宅していたために大きな被害を免れることができた |
多くの級友が被爆死し、この体験が後の文学活動の根本になっている |
「儀式」(固有名詞を使わない小説 気負っている)、「鶴」、「兵隊宿」自身の被爆体験を テーマとする小説『管絃祭』、小説『贈答のうた』などがある |
自分を客観的に見なくてはいけないと思うようになる →書こうとしていた(モヤモヤして 落ち着かない) |
「兵隊宿」 歴史書に残らない圧倒的に多い平凡な人達の日常生活を書きたかった (原爆が落とされる前の庶民生活) |
ひさし少年がだんだん大きくなってゆく過程が描かれている (外から眺めるときに少年の方が少女より(同性)より書きやすかった) |
修飾語を極力使わないようにした 使い方が悪いととっても嫌な感じになる (主語+述語をきちんと決める) |
小説を書くまでは日本語を使えると思っていたが、、大間違いだった 書き出してみると違う 自分が書きたい文章と違う |
内容についての考えが曖昧だったのでは 言葉の選び方が判らなかったのでは悩んだ |
不安定な気持ちを落ち着かせるにはどうしたらよいかが、ようやく書く事だと云う事気が付く |
敗戦時女学校4年 勉強は2年間しかやってない 後は勤労奉仕 |
『管絃祭』に原爆が落ちた時の様子が描かれている |
事実をより訴えたい為に架空が必要 経験が必要+自分の中の知識が必要 (拡げて考える理性) それを実際に行うには言葉しかない |
見えるように出来たことを書けばいいと云うがそんな事は決してできない (簡単に見えるようにかけるもんじゃない 見えるように書きたい) |
その時々の自分の有ってないような世の中への繋がり それを決めているのが言葉使いなんですね |
私は書くものが残るとは楽観視していないです 少し残る作品が出てきたが、支えて くれる人がいたからです 消える前提です |
放送はすぐ消えるものであるがそのうちの話した内容の一つだけ掴んだ人がいて これはやっぱり自分にとって大事な言葉だよなと思ってくれる人がいればいいのでは |
それは幸せです そうでありたいと思う |
準備した通りに出来た作品というものは面白くない 自分で予想しない事が途中で起こって動きだし、あわてながら追っかけてゆく |
『管絃祭』はそれがあった 管絃祭は平清盛の時代から伝わっている祭 勇ましさと雅やさが同居している 雅楽と篝火の 調和美 |
会社が倒産した時に古里の波の音を聞いているうちに何とかやり直せるのかなと思った |
小説の中の手紙の一節父と母を原爆で亡くし 「風や雲を父と母と、みるまでには 30年掛った」 |
人間の生と死について考えずにいられなかった 運命を変えられ最終的には自分で 処理していかなくてはいけない それが戦争なんだ・・・辛い小説だった |
自分自身日本語を理解、勉強しないといけないと思った 和歌に歴史のないところに 日本語の歴史はない 現在使っている日本語ですら背後に和歌の歴史が有って |
そういうものの先端に今がある事に気付いた |
ついさっきまであったものが瞬間で無くなる もう二度と触ることも見ることもできない・・・ 8/6の変化の理解が出来ない |
私の記憶は無くなった前の姿をとどめている 記憶にある 記憶にあるのにないのか 有るって言えないのか |
記憶にあるものと、現実は何なのか 判らなくなってきた 10代の半ばでの悩みだった |
本居宣長の著作に触れて人間の心の自由 心の感受性 源氏物語を論理的に認めた人 吃驚する様な言葉が次々に出てくる |
政治と文学は大問題だった 歌の本体というものは政治を助けるためにあるんじゃない 歌の為にある |
人間は言葉を大事にしなくてはいけない 昔の人を探るには言葉でしか頼れない 人の心を知るには言葉しかない 故人を探るには言葉しかない |
これが古典との始まり 本居宣長 王朝文学研究、医学者 古事記伝等 |
本居宣長の言語論を中心に紫文要領 (源氏物語の解釈の前提になるもの)等々 勉強する・・・言葉の重み重大さを感じる |
女が使う言葉は辿ってゆくと王朝文学 女の書いた作品を読もうと云う気になった |
歌に引きずり込まれてゆく 歌は判らないと思っていたが作者がふっと近くに感じられ、 泉式部が好きになる |
「なぐさむる君もありとは思へどもなほ夕暮れはものど悲しき」 (親切にしてくれる恋人がいる 不満でもないそれでも夕暮れになると私は物さびしい) 近代を感じる |
言葉も単語では死んでいるが単語を拾い上げて関係の中で初めてかれらは動き出す・・・ 歌の方がより説得力がある |
「白露も夢もこの世もまぼろしもたとへて言へば久しかりけり」 (はかないもの ひっくり返す恋人と時間を過ごすのに比べればまだ長い) |
「人知れず物思うことはならひにき花に別れぬ春しなければ」 (人知れずに物想いにふけることを知ってしまった 考えて見ると咲いた花は必ず散ってしまう) |
歌に動いた自分がいないと評論は書けない |
歌には理屈抜きで人を快くさせる力がある |
「もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波の行くへ知らずも」 柿本人麿呂 |
「世の中は夢かうつつかうつつとも夢とは知らずありてなければ」 |