2011年8月14日日曜日

山川宏治(主任飼育員)      ・象を守った父の教え

山川宏治 (主任飼育員)       象を守った父の教え
<概略>
 東京都多摩動物公園主任飼育員昭和29年2月21日生まれ。東京都立瑞穂農芸高等
学校畜産科を卒業
47年に都の職員となり、多摩動物公園飼育課に配属、アジアゾウ、ライオン、ヒグマなど
を担当する
父が象の花子を飼育担当  花子の経歴 父の飼育の苦労話 父に次いで花子の飼育  
花子は64歳(日本の象の最高齢)  多摩動物公園は昭和33年の5月から開園 
アヌーラは当時5歳で来る タカコ
40年近くになる 象の飼育が主体 アヌーラ(セイロン から頂いた象 首相の息子の名前)
という名のアジア象担当 54歳
昭和48年飼育係になる(アヌーラ、タカコ、ガチャ 3頭) 昭和33年開園と同時にアヌーラの担当
を父が行った
象のいる公園は東京都に3か所ある 多摩動物公園 上野動物園 井の頭自然文化園
花子は父がずっと担当して飼育してきた
花子は2度にわたり人身事故を起こしている 一度目は酔っぱらった人が深夜象舎に中に
忍び込んで花子に殺害されてしまう

数年後飼育担当者が人身事故を起こす(その後亡くなる) 飼育担当が決まらず 
父親に飼育担当が任される 
花子は昭和24年 タイ国から上野動物園にやってきた 
昭和25年から各地を巡回する(都内) 昭和29年井の頭自然文化園に引っ越し(7歳)
象は群れで生きてゆく為に一頭は夜寝ないで見はりをして他の象は眠る  
花子は寝なければいけない、見張りをしなければいけない・・・負担がかかる
花子自体も不安で仕方ない 
そんなことを日々繰り返しているなかで酔っ払いの侵入が有り、それを排除しようとした
精神的に病んでゆく 数年たってから飼育係の人身事故という事で この飼育係は
持病をもっていて餌の中に倒れこんだことで花子は自分の餌を取られてしまう
と考え、足蹴りをしたと言われている 

(揺り動かそうとしたとの話もある)結果として飼育係の人が亡くなってしまう
世間から人殺し象と言われる 
処分について検討がなされたが花子が来た経緯が奥さんたちの希望で夢を与えると
いうことできた象なので殺すのには忍びないとなる
象の飼育係を探すが6週間時間を要する 
多摩動物公園にいる飼育係が井の頭自然文化園に移動することになる(私の父親)
花子の足4つを制約する 鎖を付ける(花子に近寄ることの危険防止策) 
花子はあんなに痩せててかわいそうだ・・・父親の一言  

不信感と敵意に満ちていて目がぎらついていたという印象を父親は持ったようだ 
赴任して4日目に鎖をはずす 花子と飼育係とのきずなの第一歩が始まる
水分を含んだ野菜を沢山食べさせる必要があると判断  
食べさせることを主眼にしたらしい 
象との関係を築くために餌で動物を操ると云う手法があるが、とにかく無条件に食べろ
食べろ ある程度象の体型を維持させるために食べさせた(8年掛っている)
その8年間の間にコミュニケーションを取るために4,6時中花子のそばにいる 
日光浴をさせる 心ない人は石を投げた人もいる 
その人に対して苛立ちをあらわにする 
飼育係として一緒にいることによって石をなげなくなった

一緒にいることが花子にとって、とてつもない安らぎになったと思う  
心を開いていいのかなという糸口が開けてくる
花子が12歳の時 それから42歳になるまで付き合う  
父親と一緒に休みに遊んでもらったという記憶が無い
(何で遊んでくれないのか不満を持っていた)
中学生の時に花子の前で父親が帰るのを待っていたら、(お客はもう誰もいない)花子が
気に入らないのか「鼻打ち」(鼻を体に打ち当てる動作)をする
堀のぎりぎりまで来て鼻を伸ばしたのがこの像は怖い象だとの印象がある
農業高校から東京都の職員になる 
退職後嘱託で1年間花子とともにいる 
体力的に花子と付き合ってゆくには無理と花子の前には立つことがなかった
(自分にけじめをつけたかった)

アヌーラ 58歳 雄では日本最高齢 メスでは花子が64歳(日本最高齢)アジア象が60頭 
アフリカ象が50頭 日本にいる
戦時下 殺処分で象がいなくなる 毒餌(見分けてしまう)、薬殺 注射で殺す方法
(針が皮膚を貫通しない)銃殺(民家が近所にある為駄目と云われる)
殺処分する方法をいろいろ検討したが 適正な方法がなく 食事を与えない方法を選ぶ
一番かわいそうな食べ物を絞る方法 水を与えないでジョン、マンディー、ドンキーを餓死
させることになる 
戦時下動物を飼っている場合ではない、戦争鼓舞するための犠牲
「像の涙」渋谷信吉(もう2度と象には会いたくない) 
象を飼育する達人と言われた人の一人 上野の飼育の仕方にも渋谷さんの考えが
取りれられている
多摩動物公園に配属後、1年後に象の飼育に携わる アヌーラとタカコ、ガチャ子の飼育を
担当する

間接飼育 直接象には触らないで調教するスタンスの飼育方法であった 
父親の姿をみていたので直接象と触れ合う飼育が出来るのではないかと思い、実行する
朝一番に挨拶する(サツマイモを与える) 先輩が見えて殺されててしまうかもしれないと
大目玉を食う 
手鍵で象をコントロール 手鍵を大事にしろ・・・唯一父親からの言葉
圧死を免れるための道具  象に対しての威圧になる 
花子に対して父親は手鍵を持たなかった 悪い事をした時にはしっかり怒る
花子は手鍵に対して他の象より大変な威圧感を感じていた 
私が怪我をすると花子の立場が悪くなる (手鍵で自分を守ることは象を守ることに繋がる)
1996年多摩動物公園から井の頭自然文化園に移籍する 
花子の担当をすることになる 

花子の象の鼻息に接する=もうこれ以上近付くと怒るよという信号
1カ月以上しても鼻息の信号は変わらず 
鼻息の割には目が穏やか→何を考えているんだろう→近付くと鼻息がどんどん小さくなる
→花子にはもっとこっちに来いという信号の様である
人間と接して花子が会得した言葉の様だ 
花子が何を欲しているのかは花子が私の手を取って目をかけとか、指示をしてくる
(花子に受け入れてもらったと確信できた)
以来9年間にわたって花子の世話をする 花子と同じエリアに入ったのは2年後です 
花子が疑心暗鬼 人を恨む、危害を加える 
そう云う感情を持たないように育ててくれた

先人(父親含め)のお陰で大した苦労をしないでコミュニケーションをとれるようになった
花子は世界で一番手のかかる象  象は上下2対の歯がある 
一生のうち6回歯が抜け替える 花子の場合は6回目の後20年前にはげ抜けてしまい
右下あごに1個だけ歯が残っているだけ 噛むことが出来ない→長い草飲み込むと
一種の便秘をしてしまう 父親は大変苦労した
3cm刻みにする(今は業者がやるが、父親の時代は全て自分たちでやっていた
 餌作りに6時間を費やした 10時間から12時間を全体でかける)
花子は1日4回 朝2回 午後2回 の食事をする 
 アヌーラの場合は餌の塊をドンと置けばよかった 

花子の一生 波乱万丈の生き方 仲間がいない さびしい状況にはある 
現在アヌーラの飼育担当になる 
象を通じて何を子供たちに伝えたいか→動物園は絵本の延長だと思っている 
象ってどのぐらい大きいのとかを感じてもらえればいいのかなと思っている
動物たちは精いっぱい生きている 
動物たちをみて癒しを感じてもらえれば幸いです