田中亮一(声優) ・時代を創った声
アニメ「デビルマン」の主役不動明と変身したデビルマンの声、「キン肉マン」のウォーズマン、「ドラえもん」の先生などを演じてきました。 数多くのナレーションや吹き替えなどでも活躍しています。 アニメで最初に出演ししたのが1970年の「赤き血のイレブン」の主役でした。 高校サッカーを題材にしたもの。 アニメの作品を担当するようになって今年で55年目。
劇団芸協に入って、高校生とか子供の声を出せる声でした。 そこで「夕やけ番町」などでもいい役を使ってもらったりしました。 「赤き血のイレブン」で主役に受かってしまいやることになりました。 当時は声優で主役を貰ってもそんな程度かと言うような感じでした。(プレッシャーがない。)
東京都出身。 小さいころは消極的でした。 小学校3年の時に学芸会をやることになりました。 その時には自ら手を上げました。 3年生の3学期に杉並から府中に引っ越しました。 周りは田んぼとか畠ばっかりでした。 小学校で演劇部に入りました。 中学は府中で、高校は八王子に行きましたが、勉強をしなくなりました。 多摩芸術学院の演劇科しか受からなかった。(3年間の俳優養成学校) 不安はありました。 劇団を受けたが落ちてしまいました。 先輩から劇団芸協に来ないかと言われて入りました。
1962年に「ドラゴンシリーズ」の長老などを演じてきたあずさ欣平さんが設立した劇団です。 青野武さん、雨森雅司さん、宮内幸平さん等がいました。 アテレコでお金を稼いで芝居につぎ込むという事をやっていました。 外国映画の吹き替えが沢山あった時代でした。(30本/月 やりました。) 僕が今ここにあるのはあずさ欣平さんのお陰です。 全てあずさ欣平さんから教わりました。 周りには理不尽なことを言う人達がいて、それで成長しました。 アテレコで一番面白いのは、外国映画の吹き替えですね。 「デビルマン」のキャラクターは面白いですね。 役にピタッとはまらない場合があり、「タイガーマスク」の二枚目はなかなかできないですね。
そのうち仕事の量が減って来て、劇団が子供の芝居で旅に行く事になりました。(レギュラーも何にもない時期で5、6年続く。) 旅のなかでは苦労しました。(役者として成長したと思います。) 毎日同じことをやっているが同じではない。 芝居自体がだんだん良くなってきます。 大人の声が上手くは出せなくて、大人の声を出せるようになったのは36,7歳ぐらいからです。 BSでドキュメンタリーをやるようになりました。 淡々としゃべることも旅の公演で身についてました。 ボイスオーバー(画面に現れない話者の声、ナレーター(語り手による叙述など)を用いる表現手法)の仕事がどんどん入って来ました。 「ドラえもん」「デスマスク」(今でもやっている。)などをやるようになりました。
若いうちは起きているうちに練習をして覚えて、寝て朝起きるとセリフは入っていますが、歳を食ってくると覚えて寝たら、朝は入っていないんです。 とにかくやるよりしょうがない。 或る程度実力がついて来ると、本番でセリフをわすれて、違う事をしゃべっても、お客さんはついて来るんですね。 声優になりたいという人は一杯いるが、基本的には舞台だと思うんですが。 身体全体で表現すると出てくるセリフ(重み)が違うんです。 古典の本(森鴎外、夏目漱石とか)読んで欲しい。 自分が夢中なれるものを見つけてやるという事は精神衛生上いいんだと思います。