2024年2月27日火曜日

星加ルミ子(音楽評論家)         ・ビートルズが遺したもの

 星加ルミ子(音楽評論家・元音楽雑誌編集長 )    ・ビートルズが遺したもの

1962年にデビューしてから解散するまでの8年間に数々の名曲を発表しました。 レコードCDの売り上げが10億枚以上と今も世界の音楽史シーンに絶大な影響を与えています。   今年がイギリス出身のビートルズが1964年にアメリカに進出して60年に当たります。   去年11月には27年振りにビートルズの最後の新曲としてナウ・アンド・ゼン」(原題: Now and Then)が発表され注目を集めました。 この曲はなくなったジョン・レノンさんが生前にテープに残した曲の音源にAIなどを活用し、メンバーのポール・マッカートニーさんやリンゴ・スターさんが新たに演奏を加えるなどして、完成させたものです。 今日は1965年に日本人で初めてビートルズの単独インタビューに成功し、それ以来親交を深めてきた音楽専門誌「ミュージックライフ」の元編集長で音楽評論家の星加ルミ子さんにお話を伺います。

ビートルズはオリジナル曲216曲世の中に出しています。 どの曲を聞いても無駄な曲が無いんです。 ビートルズは今後伝承されてゆくミュージシャンの一人であろうと思います。

星加ルミ子さんは1940年北海道生まれ、中学、高校時代を青森県八戸市で過ごしました。  その後東京の東洋女子短期大学英文科を卒業、新興楽譜出版社(現・シンコーミュージック)に入社。 1965年音楽専門誌のミュージック・ライフ』の編集帳に就任。 イギリスで日本人ジャーナリストとして、初めてビートルズの単独インタビューに成功。   1975年に退社後はフリーの音楽評論家として活動しています。 

着物を着て、伺って入っていったら、最初に飛んできたのはジョージ・ハリスンでした。  私の帯に触って「なんでこんなに太いベルトをしているの。何でこんなに長いスリーブなの」、と聞きました。 他の3人も来て、ジャパンなんていったことがないなあと言っていました。 話のきっかけを作ってくれたのは着物でした。 当時彼らは24,5歳で私も24歳で同じような年ごろでした。 一人一人に対しての質問状を持っていきました。 ポールが一人づつ配ってくれて、たわいもない質問なので気さくな感じで面白がって答えてくれました。  凄く打ち解けてくれました。  年も同じぐらいの若い女性だし、片言の英語しか喋れないので警戒心を解いてくれたよいうです。 30分だけと言われましたが、結局3時間いました。 ジョン・レノンがお世辞ではなく日本に行きたいと言っていました。  

日本に行ったら相撲レスラーに会いたいというんです。 翌年来るとは夢にも思っていませんでした。  相撲から思い出して、4人の手形を貰ってそこにサインをしてもらいました。  6月29日から7月3日までの僅か103時間の日本での滞在でした。 高速道路を閉鎖して、空港からホテルまで10数分で行ったそうです。 ホテルから武道館までも同様でした。 ホテルも武道館も若い女の子が一杯でした。 警備員が8000人担当したと言われています。 失神してしまった女の子もいて、救急車が何台も来ました。 ビートルズの人気は世界的なものでした。 武道館では11曲歌って35分でした。 それを5回やりました。 絶叫だらけで音も聞こえないような状況でした。 有名人も来ていました。 

1時間ぐらいインタビューをしました。 お土産屋が一杯あるんですが、彼らは日本製のカメラを買っていました。  ジョン・レノンが日本の子どもたちは今一番何が人気があるのかと聞いて来たので、思いつかなくて「シェー」(おそ松君の)と言うのが流行っていると言ったら、面白がってやってくれました。(写真がある。) 

8月一杯14都市でアメリカでコンサートを行いました。 結果的にはビートルズの最後のライブになりました。 私は6都市でコンサートを見ました。 どこも11曲35分間のコンサートでした。  日本では最後の曲が「-I'm In Love (Demo)」でしたが、アメリカではロング・トール・サリーに皆で決めたと言っていました。 ニューヨークのシェア・スタジアムは何万人もはいれて3階までいっぱいで、少しでも近づこうと人が降って来るんです。 吃驚しましたが、下にセーフティーネットが設置されていました。 失神する子が大分いました。

*「ヘイ・ジュード」  ポール・マッカートニーによって書かれた楽曲

私の一番好きな曲です。 1967年にはロンドンのビートルズのレコ―ディングにも立ち会う事になります。  8月にビートルズを育てたブライアン・エプスタインというマネージャーが不慮の事故で突然亡くなってしまいます。 そういったことを口実に会えなのか交渉したら、レコーディングをしているから来ないかと言われ行きました。  普通レコーディングしているところなどは絶対いれてくれません。 2時間以上いました。 

1970年にビートルズが解散。 いろいろ泥臭いことがあったようです。 1980年12月8日にジョン・レノンが撃たれる。 吃驚しました。  最初聞いた時にはそんなに思っていませんでしたが、4枚目のヘルプ!』(Help!)を聞いて、凄い曲を作っている連中だと思いました。(何言ってるんだ今頃と馬鹿にされました。)  いい時代に接したと幸運に思っています。