マギー審司(マジシャン) ・師匠を語る
マギー審司さんはマギー司郎さんのお弟子さんです。
師匠は判らないような恰好をしていても声のトーンとしゃべり方は直ぐ判ってしまいますね。 僕の本名は三浦審と言いますが、師匠からは審君と呼ばれています。
マギー司郎さん、本名野澤司郎さんは1946年茨城県真壁郡下館町(現・筑西市)で7番目として生まれました。 幼いころの楽しみはお祭りの時にやって来るマジックショーでした。 中学卒業後マジシャンを目指して、17歳で上京したマギー司郎さんはバーテンダーのアルバイトをしながらマジックスクールに通います。 同じスクールにはMr.マリックさんもいたそうです。 ジミー司の芸名でデビューしたのが20歳の時でした。(上京3年後) 神奈川県のストリップ舞台で初舞台を踏みましたが、まだ持ちネタが少なかったため、5分のマジックの合間にトークを15分入れて時間を持たせます。 それが後の芸風につながったと言います。 全国のストリップ劇場を回っていた時にマギー信澤さんというプロのマジシャンに出会い、1968年に弟子入り名前をジミー司からマギー司郎と改名します。
転機が訪れてのが1980年でした。 当時若手芸人の登竜門と言われたオーディション番組「お笑いスター誕生」に出演します。 7週勝ち抜いたところでチャンピオンから陥落、グランドチャンピオンの座を逃しましたが、世間に名を知られるきっかけとなり、活躍が始まりました。 1981年、1982年と放送演芸大賞トーク賞を受賞、テレビでお馴染みの顔になりました。 その後も奇術協会天洋賞、ユーモア大賞グランプリ、浅草芸能大賞奨励賞と数々の栄誉に輝き、現在は日本奇術協会相談役を務めていますが、2004年 NHKの「課外授業ようこそ先輩 」で日本賞教育番組国際コンクール最優秀番組東京都知事賞など受賞しています。
マギー司郎さんがブレークして、当時小学生でテレビで良く観ていました。 訛りが近い存在としてありました。 誰にでもできるマジックをするし、笑いも取れたりして真似がし易かった。 学校でやっていたが、不思議なものも見せたいと、ちょっと手品に興味を持ち始めました。 母親がマジックのトランプを買って来てくれました。(仕掛けのあるトランプ) それを小学校でやったらみんな驚いてしまって、スーパースターのような気分になりました。 高校を卒業して実家の電気屋を継ぐ予定でしたが、一回海外に行ってみないかと父親から言われました。 父親の友人のアメリカの寿司屋でアルバイトをするんですが、英語が出来ないので、手品を見せるようになりました。 或るお客が手品を逆に見せてくれて、1ドル札が20ドル札になり宙に浮くと言いう事をやって、吃驚してしまいました。 その人に教えてもらうようになってから、マジックにはまって行きました。
マジシャンという職業は知っていたが、どうやってお金を稼ぐのかは知らなかったので、趣味でした。 「笑っていいとも」の番組に出演して、周りからちやほやされました。 マジシャンになりたくてはがきでマギー司郎さん宛てに弟子にしてほしいと出しました。 数日後電話で師匠から連絡がありました。 待ち合わせ場所の喫茶店に1時間前には入って師匠を待ちました。 土産に美味しいものを食べてもらおうと思って根昆布を持っていきました。 そのまま車で或る会場に一緒に行くことになり、その会場で一緒に出演することになり、ぬいぐるみを動かすことをやったんですが、全然受けなかった。 しゃべらずにやっていたので駄目でした。
マギー信澤さんの弟子にはマギー司郎さんとマギー瑠美さんがいて、マギー瑠美さんが田端で居酒屋をやっていました。 師匠と瑠美さんとの会話で「弟子に来るみたいなのよ。」と言った師匠の言葉を聞いて、僕は弟子になれたんだと思いました。 いまだにはっきりと弟子とは言われてはいません。 師匠の家はいくつかあるみたいですが、どこなのかはわからないんです。 稽古はないんです。 手品の話はしないんです。 「教えると同じになってしまうので自分で勉強したほうがいいんじゃないの。」と言われました。 マジックを勉強することも大事だけれども、お客さんはマジックを見に来てくれるけれども、その人を見に来ているんだよね。」と言いました。 大事なことを教えてもらいました。
東京に出て来たころはアルバイトを結構やっていて、師匠に「東京に出てきてバイトばっかりやって来て、何のために東京にやってきたのか判らない。」と愚痴ったら、「そんなに甘い世界じゃあないんだから、厭だったら辞めていいんだよ。」と言われて、その時が一番怖かったです。 それからは愚痴らない。 師匠からは素直になることを教えてもらいました。 自分の物差しを大きくして行くためには、素直に聞いて、全然駄目な人間からも吸収する事はあると、こんなふうにならないためにこんなふうにしようとか、と言ったことを一番教わりました。 師匠は弟子に花を持たせようとして、弟子に「とり」を取らせ、アシストをしてくれた。
師匠への手紙
「師匠に弟子入りして30年になります。 ・・・非常識な僕を受け入れて頂き、本当に感謝しています。 自分勝手で我儘な僕の性格をいち早く理解していただき、すべてを受け止めてくれる師匠に甘えっぱなしで、気が付けば30年になってしまいました。 ・・・越えられない壁を追いかけながらこれからも楽しく頑張りたいと思います。 これからも僕の目標としてずっと長生きしてください。 100歳のマギー司郎のマジックショーを楽しみにしています。」