2024年2月1日木曜日

中垣内祐一(元バレーボール男子全日本監督)・全日本の監督から家業を継ぎ米作りを

中垣内祐一(元バレーボール男子全日本監督)・全日本の監督から家業を継ぎ米作りを 

1967年福井県生まれ、中学生からバレーボールを始め、筑波大学体育専門学部に入学、在学中の1989年に前日本代表に初選出され、その年に開催されたワールドカップに出場します。 大学卒業後は新日鉄に入社、1992年のバルセロナオリンピックに出場、1990年代を代表するスーパーエースとして活躍ししました。 2004年に現役を引退し堺プレイザーズ(現在の新日本製鉄堺プレイザーズ)の監督に就任します。 2016年全日本男子の監督に就任、2021年の東京オリンピックでバルセロナオリンピック以来のベスト8という結果を出しました。  2022年に会社を退社し、故郷の福井県に戻り、家業で米作りを始めます。 地元福井工業大学スポーツ健康科学科の教授として教壇にも立っています。

農業は法人化してやっていますが、江戸時代からずっとやってきた家業です。 日本製鉄に33年勤務しました。 最初は27,8歳で現役を引退して社業に専念してゆくのかなあと思いましたが、50歳半ばまでバレーボールに携わってこれて、幸せでした。 東京オリンピックを指導者として参加するという事は、最終系と言うか、トップレベルからは引退しようと思っていました。 パリまでやって欲しいという声もあり、会社からの要望もありましたが、自分のプランを優先させてもらいました。 

バレーボールを始めたのは中学で、高校時代はほとんどやっていませんでした。 大学で背が高いからバレーボールでもやってみようかと思って始めました。  当時日本がやっていたバレーボールは古い時代を引きずっていて、世界はどんどん変わって行きました。   外国から10年、20年遅れていると言われても、選手としては知る由もなかった。    バレーボールはルールもドラスチックに変わるスポーツだとも言われています。 手だけではなく足でもOKと言う風になってしまった。 サーブ権がなくても点数が入る。(今までで一番大きなルール変更)  選手でやっている方が指導者よりも面白いです。 今となっては勝たなければいけない試合で負けた試合の方がよく覚えています。 

全日本の監督の前にアメリカに指導の勉強に行きました。 私は日本人だという事を学びました。 アメリカはアメリカ人の気質に合った練習をしていて、他の国も同様です。  日本も日本式を求めて行かなくてはいけないと思いました。 技術的な部分は海外から人を呼べば出来るが、その他については日本人がコントロールしてあげないとなかなかうまく行かない。 私が監督となる時には外国人コーチは必須だと思っていました。 アメリカに行った時にはほとんど生活面など全部自分でやりました。(住居探し、その交渉、電気ガス水道使用するための手続き、その他全て) そういったところから学べるものが凄く多かった。 人間として幅の広いものに繋がると思います。 だから選手はどんどん海外に出るべきだと思います。 

私たちの時代は選手が委縮していました。(戦う前からあのチームは強いから勝てない。)今では勝てると本気で思っていてその差は大きいです。  今までも練習中はサーブが入るんですが、試合になると委縮してしまってミスをしてしまう。  兎に角どこどこに打てと指導しました。 パリではメダルを取るというようなレベルに来ています。 全日本の監督時代はある程度ブランコーチに任せていました。  総監督と言うような立場でやっていまました。  このやり方についてはいろんなところからお小言を頂戴しました。(否しかなかった。) 最初は凄く悩みましたが、進めて行きました。 コーチとの関係に慣れるまでには2年ぐらいかかりました。 ブランコーチは選手の育成能力は大したものを持っていると思います。  高橋、西田などはそうですね。 

小さいころは家業の手伝いはしてきました。  40歳を過ぎて余暇にに田植えの手伝いに帰るとかしました。  いずれ戻らなければという気持ちはありました。 本格的に始めて2シーズン目となります。 日本の稲作は大転換期に入っていると思います。 収益が上がらない構造は国も放っておいていると思います。 日本人が食べる量と作れるコメの量との乖離が大きくて厳しい利益構造になっています。  でも解決法を捜してゆく事は楽しい作業ではあると思います。  今ある条件のなかでいかに利益を出してゆくのか、バレーボールに通じるところもあります。  新しい事にもトライしようと思って、うちの米で新しいお酒を作ってもらえるように動きだしました。 大学の教授、バレーボールの仕事もまだあり、町内会長、連合会長とかも今年やります。  色々ありさばききれない状況です。

学生に質問されてわからないこともあり、勉強しないといけないと思いました。     学生に寝られるとショックですね。  忙しいんですが、充実している感じはします。    56歳です。 人生二毛作だと言っています。  今までよりも人に感謝するようになりました。 光の当たるところばっかりにいたような気もしますが、実はそれを支えてくれていた人が多数いてくれたことに、気付いてはいてもあまり感謝してこなかったのかなあと言う反省もあって、感謝をしてゆくことは大事だと思っています。