窪田等(ナレーター) ・ナレーター一筋50年
窪田さんは1951年山梨県生まれ。 高校卒業後、大手勇信メーカーに就職、在職中にナレーター養成所に通い23歳の時に退職してナレーターになります。 コマーシャルからバラエティー、ドキュメンタリーのナレーションと幅広く活躍しています。 NHKではNHKスペシャル、BS1スペシャル、歴史発掘ミステリーなどのナレーションを担当しています。
今年でナレーター生活50周年。 完成形がないので楽しいです。 僕らの大事なことはあくまで条件を伝える、その作品は何を言いたいんだ、という事を出しゃばらずにします。 ナレーションが好きなんですね。 読んでいて心地良さがあり辞められないです。
小学校のころナレーター黒沢良と出たんです。 視聴者に判りやすいように、顔を出さずに状況を説明してゆく人、それが印象に残っていました。 高校に入った時の、クラブ紹介で3年の司会の方が実にいい声で判りやすくすしゃべるんです。 この人と同じクラブ活動をしたいと思いました。 放送委員会に入り、それがきっかけです。 大手通信会社に入りました。 CMナレーター養成講座募集と言う広告を見て、会社が終わったあとに通うようになりました。(1年間) CMのナレーターの仕事が来ました。 段々やっているうちの会社を辞めちゃおうかと思いました。 緊張感とか、気持ちよかった。 23歳の時に退職しました。 まだ食ってはいけないのでアルバイトをしました。(人間関係に救われました。) 段々ナレーターの仕事だけで食べて行けるようになっていきました。 人によって仕事を頂けるようになりました。
山梨県生まれなので訛りがあるので大変苦労しました。 長いしゃべりに慣れていなかったので又勉強しました。 新聞、週刊誌など兎に角読みました。 そうすると段々文章の流れが身についてきました。 大事なところを浮かび上がらせて、他を捨てる(小さな声で言う。)、と言ったことが出来るようになりました。 動詞は捨てる。(小さな声で言う。) 今度は長いものが得意になりました。 自分の理解したものを音声として出す。 ナレーションはどの程度まで感情移入していいのかが難しいです。
感情が入り過ぎてドキュメンタリーで読めなくなったことがあります。(テスト時) F1の世界でセナが亡くなった時に、「セナ特番」をやりました。 「秋の鈴鹿、セナのいない鈴鹿、・・・」 その後が読めなくなってしまいました。 僕は一回感情が入るのはいいと思っています、やり直せばいいんだから。 僕は司会は出来ないです、台本がないとできない。 ナレーションは好きだし、難しいです。 自分が持っている完成度とディレクターの完成度は違うと思うんです。 あくまでもディレクターさんにゆだねる。
一日8回と言う時もありました。(2時間程度を) 作品が違うのでリフレッシュするので意外と疲れなかったりします。 酒は飲みません。 タバコは以前は吸っていましたが、辞めました。 ちゃんとした日本語で伝えたいという思いはあります。 朗読の動画サイトも始めました。 コロナの影響で自宅で録音しなければいけなくなって、リモートでやるようになりました。 東日本大震災とかあって、言葉で元気付けることをしたいなあと思って、朗読とかをユーチューブにあげたらどう?と言われてやってみようと思いました。(2020年) 1週間に一回と言う事でしたが、意外ときついです。 ナレーションと朗読は全然違います。 深く入らずナレーションの一環だと思ってやっています。 物語を声で表現することは、苦しいんだけれども楽しいです。