古橋 正好(元小中学校教諭) ・亡き母に捧げ、教え子に贈る歌
先月19日皇居松の間で行われた新春恒例の「歌会はじめ」に宇都宮市の古橋 正好さん(88歳)が最高齢者で選ばれました。 今年のお題は「和」、海外からも含め1万5000首に近い応募のなかから10首に選ばれた古橋さんの歌は、長年の教員時代の経験をもとに子供たちに日本の伝統文化を引き継いで健やかに育って欲しいという願いを詠んだものです。 天皇皇后両陛下の前でご自身が詠みあげられた感慨や子供たちに込めた願い、そして若くして亡くなられたお母様の短歌を巡る思い出など伺いました。
9回挑戦して入選出来ました。 短歌は万葉集以来の日本優れた伝統文化ですね。 松の間は内閣総理大臣の新任式などが行われる滅多には入れない場所です。 (最年少の新潟市の17歳の女子高校生神田ひおり?さんから順番に紹介されて、88歳の古橋さんが一番最後に紹介されました。) 自分の今までの体験、経験、報道などで知った情報をないまぜて歌を詠みました。 今年のお題は「和」。 子供たちが自らすいだ和紙の卒業証書について詠みました。
*「おのが手ですきたる和紙の証書手に六年生は卒業となる」 古橋 正好
栃木県には烏山和紙という優れた和紙があります。 小学校6年生が工房に行って、手助けを受けながら自分の卒業証書用紙用をすいている地区があります。 自分のすいた卒業証書を渡されまして、それを手にして晴れ晴れとした姿で卒業式場に立っているという事は本当に頼もしく、その光景は忘れられませんでした。 それを歌わせてもらいました。
子供たちは純粋無垢で計り知れない洋々として将来の可能性を持っていると思っています。 子供たちの可能性を少しでも伸ばしてあげる手助けが出来ればと言う思いで、教師を目指してきました。 初めに小学校を4年務めました。 その後中学校で10数年務めました。 小学校5年生のクラスで算数の問題を解くのに2名の子がどうしても出来なくて、周りの子が手伝って2人の子が全部できました。 皆が「万歳」といって喜んで、あれは嬉しかったですね。 教えがいもあり、自分たちで仲間を助けようという気持ちを持ってくれたのは、特に嬉しかったです。
早く亡くなった母親は喜んでくれていると思います。 僕が高校3年生の時にがんで発病して、母が入院中に国語で万葉集の勉強をして、先生が万葉集の本を紹介してくれました。
「みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる」 斎藤茂吉
「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかわず天に聞ゆる」 斎藤茂吉
「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」 斎藤茂吉
母はがんで入院していたのでこれらの歌が心に強く残りました。 受験の時に母親が帰って来て、朝、朝食を作ってくれて、弁当も作ってくれてこれには吃驚しました。 家から通える国立宇都宮大学を受験して、合格の番号を見つけることが出来ました。 その時に近所の方が肩を叩いて、「お母さんが急変したので急いで帰るように。」という事を言われました。 「合格したよ。」と告げましたが、母親としては安心させるために合格したという事を言ったのではないか、と言うようにも私は捉えました。 二日後に合格通知が届いて、それを見せたら涙ぐんで喜んでくれました。 その2時間後に旅立っていきました。
教員、地域の活動などで80歳までは自分の時間が取れないような生活で、時々歌を作っていた程度でした。 80歳になって、自分の生きざまを残すためには短歌がいいんじゃないかと思いました。 独学でやって来ました。 東京と、地元の新聞に文芸欄があるので、そこに投稿してきました。 両方合わせると300首ぐらいは載せてもらいました。
*「焼けあゆと地酒を卓に昭和史の尽きぬ話題に夜は更けてゆく」? 古橋 正好
父親は酒が好きで酒を飲みながら昭和の時代の苦労話などを聞きました。
*「革靴を地下足袋に替え農を継ぎ家を守りて今日も畑うつ」 古橋 正好
通勤の革靴から地下足袋に替えて、農耕の歌を作りました。
*「推敲の短歌整わぬこの夜更け遠雷二つ我を励ます」 古橋 正好
*「食卓に二輪草活け老い二人朝のコーヒーゆったりと飲む」 古橋 正好
*「八十と八を数える誕生日四十四で逝きし母にぬかづく」 古橋 正好
母は44歳で亡くなりました。 私はその倍になります。
来年の歌会始のお題は「夢」だそうです。 私は欅の木が好きで、種は1mm程度ですが、大きくなっていって大地にしっかりと根を張って大木となります。 子供たちには欅の様に大樹になるように育ってほしいと思います。 人間はひとりで生きているわけではないので、大勢の人たちへの感謝の気持ち、思いやりを忘れたら駄目だと思っています。 夢をもってしっかり根を張って思いやりを持って生きていってほしい。
*印はかな、漢字など間違っている可能性があります。