川村妙慶(僧侶・アナウンサー) ・”ただの人”として悩みに寄り添う
妙慶さんの講話は自分をさらけ出し親しみやすい語り口が評判となり、各地から多くのいらいが寄せられています。 地元のラジオ局でパーソナリティーを務めているほか、20年ほど前から毎日欠かさず書いているブログでは悩み相談を受け付け、すべてのメールに返事を出しています。 妙慶さんが大事にしているのは、親鸞聖人が残した凡夫の教え、凡夫とは「ただの人」と言う意味で、煩悩に満ち、迷いの中で生きる普通の人々のことを指しています。 妙慶さんは自らをただの人として、人々の悩みに寄り添い続けてきました。 徹底的に自分の心を見つめ、煩悩に満ちた自分を受け入れありのままの自分を生きて行こうと呼び掛けています。妙慶さん自身、父親が早く亡くなり様々な悩みを抱えながらフリーアナウンサーとしての活動を経て僧侶となりました。 時代が変化する中、多くの人の悩みに向き合って来た妙慶さんの思いを伺います。
ありのままに自分しか出せないと思っております。 北九州市の門司港と言う港町で真宗大谷派西蓮寺と言うお寺の娘として生まれたのですが、母がそのお寺の娘だった。 父が入寺しました。 父は布教師と言う役目があり、法話をいろいろなところでするという仕事です。 全国いろんなところに回っていたそうです。 私は父と会うのは年末しか記憶がないです。 家がお寺と言う意識はなかったです。 或る時両親が大喧嘩をしました。 家にはお金を入れないで寺が荒れてきました。
高校2年生の時に、父が移動中の列車のなかで、脳卒中で倒れなくなりました。 その時に両親は離婚をしていて、葬式には出ませんでした。 御門徒が200ほどありましたが、他に移って行って最終的にゼロになってしまいました。 兄にお寺を継いでもらうように母が言ったんですが、重圧からか家に引きこもってしまいました。 母は私に僧籍を取るために京都に行って勉強してくるように言いました。 冗談ではないと思いました。 池坊短期大学を見つけてました、仏花が勉強できるところでした。 何故花が咲くのか、根っこがあるからでしょう。 人間が生きる中での根っこを学ぶのが仏教ではないの、と言われました。 そこから仏教を勉強しようという気になって、大谷専修学院という全寮制の学校に入学しました。
ほとんどがお寺の子で基礎知識も出来ていました。 私は何もわからず苦しかったです。 私は煩悩の塊ですと、先生に訴えました。 一念多念文意と言うお言葉の中に「凡夫というは無明煩悩われらが身にみちみちて、欲も多く、怒り腹立ち嫉みねたむ心多く、臨終の一年に至るまで止まらず消えず絶えず。」 親鸞聖人は臨終の一年に至るまで、腹立ち、怒り、嫉み、妬みの心はなくならないとおっしゃっています。 一緒だと思ってそこから引き込まれて行きました。
在学中に得度、僧籍を得ました。 寺を継ぐのは自分しかいないと思って先生に言ったら、「九州に帰っても何も出来ないだろう。 頭を下げることを学びなさい。 そのためには娑婆に出てボロボロになれ。」と言われました。 「娑婆とは思い通りにならない世界。 仏様の教えも通用しない世界。 壁にぶつかりボロボロになって、そこから学びが始まる。」と言われました。
アナウンサーになりたかったのでアナウンススクールに行きました。 その後フリーアナウンサーとして番組リポート、ステージショーの司会などを手がけました。 事務所の所長から「今日から所属事務所のタレントのマネージャーになって欲しい。」と言われました。 正直屈辱と感じ芸能プロダクションを辞めることにしました。 それまでも悩み相談にも乗っていて親鸞聖人の言葉なども伝えていました。 北九州市に戻りました。
37歳で僧侶としての活動を始めました。 法話に取り組みます。 一回目は全然反応がなく、二回目は自分をさらけ出して話をしたら反応してくれました。 多い時には年間80件ほどの法話依頼を受けることになりました。 42歳で寺の僧侶と結婚、自身の法話の活動に力を注ぐようにになりました。 「凡夫」とは一言で言うと、「不完全な私」という事です。 煩悩に満ち、迷いの中で生きる普通の人々。
親鸞聖人は新潟の地に流罪となり、田んぼの中に入って行って一緒に田植えなどしながら伝えていたそうです。 「私は石、瓦、つぶてのごとくなる我らなり。」とおっしゃっています。 20年前から「日替わり法話」を毎日ブログで伝えています。 そこでは悩み相談も受け付けていて、一日に50件を超える悩み相談もあります。 そのすべてに返事を出しています。 圧倒的に多いのが職場、家庭での人間関係です。 二番目が死にたいという声が多いです。 3番目が生活苦です。 答えをパッと出すと言うのではなく、もつれた糸の糸口を見つけて、ちょっとづつほぐすような作業をしています。
家庭の中の人間関係。 実の母親の介護をしている。 連れ合いと介護をすることにしたが、一日自分が家を空けた時に酷く強く当たっていたとの事でした。 許せないいとのことだったが別れる気持ちはないとのことだった。 二人で介護はしてゆくという事でした。 蓮如上人の言葉に「負けて信」と言うのがあります。 自我が強くなっているので、柔らかくするという事で、頭を下げるという事で、信を取れと言うのは、二人の目指す方向性を大切にしてくださいと言う事です。 しばらくして理解してもらえました。
死にたいという人。 妻が亡くなる。 一人で生きてゆく自信がないので死にたいという事でした。 がんになった妻が、寂しいだろうけれども私の分も生きてねと言う言葉を残してなくなったということでした。 妻は生きたい生きたいと思っていたんですね、という事で、生き抜いてくださいと言ったら、最後は生きますという返事を頂きました。
凡夫に立ち返ってゆくしか出来ないので、上から目線では言えない。 統合失調症とかうつ病とかありますが、病気になるには理由があります。 追い詰められてしまう不安がそうさせてしまう。 温かい言葉を極力かけるようにしています。 自分にもいろいろありましたが、自分で出来る範囲で寄り添う事が出来たらという事で、今は恩返しをさせていただいています。 悩みは方向性を変えるチャンスだという事を伝えたいです。 人生に絶望してほしくないです。 自分自身にも絶望しないで欲しいです。 これから私たちがどう生きるかによって、今まで駄目だと思い込んでいた過去ががらりと変わって行くんです。 今日の生き方が全てを変えてゆくという事を伝えたいです。