加藤登紀子(歌手) ・国を超え、時を超え、歌い継がれる”百万本のバラ“
加藤さんは1943年ロシアとの国境に近い中国東北部ハルビン市の生まれ。 父親がロシア語を学びロシア料理店を営むなど、幼少期からロシア文化に触れて成長しました。 1965年に歌手デビュー、代表曲である「百万本のバラ」は旧ソ連時代の人気曲を加藤さんが日本語訳をした歌で、今も国内外のファンに愛されています。 加藤さんはこの曲の由来と自身の人生を綴った「百万本のバラ物語」を2022年12月に出版しました。 執筆のさなかにロシアのウクライナ侵攻が始まり、心を痛めた加藤さんは反戦歌「はてなき大地の上に」を含むチャリティーアルバムを発表しました。 こうした作品を通して加藤登紀子さんが強く願う平和への思いを伺いました。
ステージで歌っているときは一番楽です。 客席の心の変化が見えるんです。 歌ってキャッチボールで投げたという事は受け取る瞬間まで観るじゃないですか。 そういう感じがします。 歌に力があったらなあと悲痛な願いとも言ってもいいです。 「百万本のバラ物語」を2022年12月に出版しました。 私の個人史と「百万本のバラ」との出会いが、深く関係しているのでどうしても書かなければいられなかった。 ウクライナへのロシアの侵攻が始まりましたが、私が中学の時からロシアレストランを経営していました。 ロシアの家庭料理はほとんどがウクライナ料理なんです。 何故ならばと言うところからこの本を書かなければいけない理由が始まりました。
ウクライナのキエフ公国に1000年前に出来た国がロシアの原点、キエフ公国のノヴゴロドという都市の端っこにモスクワがあった。 後にキエフ公国が元(モンゴル)に征服されてしまう。 潰されてしまうがモスクワだけが残る。 キエフ公国は長い間国と言うものを持てなかった。 その代わりにロシアと言う国が広がって行った。 ロシアの文化、料理、音楽、文学とかはウクライナから始まっているものが多い。 ウクライナからするとロシアにしはいされたくないという気持ちは強い。 自分たちの文化の原点として、自分の隣人であってほしいというのはロシア側の気持ちであろうと思います。 その二国が戦争をしてしまうと、深い溝が広がってしまう。
何故ロシアレストランだったのかという事に対してはうちの家族の歴史があるわけです。 父がハルビン学院に行って満鉄に入って、終戦を大陸で迎えました。 1943年に満洲東北部のハルビン市の生まれです。 日露戦争のちょっと前に、ロシアが極東の方に進出してくるんです。 その時にハルビンを作った街なんです。 そこにロシア中から人が移り住んだ。 ウクライナ人が半分ぐらい、他にポーランド、ジョージア、バルト3国とか辺境の膨大な人たちが移住させられたり、出稼ぎに行ったり、亡命人の多い街だった。
日本人と結婚した家族とかは行き場所がなくて日本に沢山引き揚げてきた。(50年代) 彼らの働く場所がないといけないという事で、父がレストランを開いて、コック長は革命の時に逃げて来たコザックの娘だった人でした。 ですから基本的にはうちはコザック料理です。 閉店時間になるとみんな集まって来て、大宴会になるんです、それが素晴らしかったです。 たちまち音楽とダンスになるんです。 私は2歳8か月で引き揚げているんでハルビンの記憶はないです。
東京大学在学中1965年に歌手デビューしました。 「赤い風船」(作曲:小林亜星)はロシア民謡調の曲でした。 1968年にソ連演奏旅行に行きました。(40日間) 当時はモスクワ以外は回ることはできなかったが、歌手と言う事でバルト3国、ジョージア迄行くことが出来ました。(奇跡的でした。) 「百万本のバラ」の曲を作った人がバルト3国のラトビアという国で、詩を書いたのはロシア人ですが、モデルとなった主人公の画家はジョージアの画家でした。 「百万本のバラ」は1968年にいった街で出来た歌なんです。
革命で帝政ロシアがなくなって、ソ連と言う国が出来て、一度はそれぞれ独立はするんですが、再度ソ連に支配される。 ラトビアで生まれた子守歌は、神様は不公平だ、どうして幸せを平等に運んで来なかったのかと、神様に抗議する歌なんです。(反体制の歌) アンドレイ・ヴォズネセンスキーというロシア人が「百万本のバラ」に翻訳したんです。 アーラ・プガチョワと言う人が歌っていましたが、関わった人たちはみんな反骨の人たちでした。 ゴルバチョフに時代になって文化、表現の自由が保証され、一気に大ヒット曲になった。
ニーナさんから「百万本のバラ」のロシア語と日本語のレコードを頂きました。 そのうち弾き語りで歌い始めたら反響が大きくて、レコーディングすることになりました。(100万枚突破) 悲しい結末なのにとても華やかなんです。 ウクライナとロシアが戦争している中で、この歌が両方の国の人の気持ちを繋ぐ力があるんじゃないかと私は思って、この本を書く時にはそれを託して、本を書きました。 「百万本のバラ」はロシアの匂いがあるから、今はちょっと辛いわね、という事で必ずしも国を越えて行ってくれない。 しかし、必ず歌って行かなければいけない歌だと私は思っています。 歴史をちゃんと伝えるためにも歌って行かなくてはいけないと思っています。 歌には時を繋いでゆく力があると、私は思っています。 これが私の今年の大きなテーマになっています。
2022年1月に「果てなき大地の上に」(反戦歌)と言う曲を作りました。 引き揚げの様子を中国の画家が幅20m、高さ3mの絵を描いてくれて、それを見ました。 絵をヒントに反戦歌を作ろうと思った矢先にウクライナ侵攻の戦争が始まった。 私の難民の姿とウクライナの難民の姿が重なって、この歌になりました。
*「果てなき大地の上に」 作詞、作曲、歌:加藤登紀子
戦争に負けて絶望しかない時代に母は、「貴方が未来だったのよ。 貴方が希望だった。」言っていました。 ウクライナの人も不安だと思いますが、子供の手の中には未来があるでしょう、と2番の歌詞に込めています。 戦争には勝利はないです。 皆が犠牲者です、と私は思います。 若い人にはいろんな国を見て、いろいろな人、違う文化と出会って、人は人だと、繋がれるねと思ったりする経験をしてほしいと思います。