2024年2月28日水曜日

川崎景介(花文化研究家)          ・〔心に花を咲かせて〕 源氏物語が花に託したもの

 川崎景介(花文化研究家)       ・〔心に花を咲かせて〕 源氏物語が花に託したもの

源氏物語には数々の花が登場、木や竹などの植物を合わせると100を越えると言われています。 お花など植物の登場の仕方がいろいろな意味を含むという事ですね。 川崎景介さんは花文化を長く研究して、花を考えるという事で考花学を提唱して学問として広げたいと考えているそうです。 

奈良時代に編纂された万葉集にも植物に関する歌が沢山出てきます。 「萩」が入番多く詠まれていると言われています。 梅などの花も沢山詠まれています。 平安時代になって古今和歌集、新古今和歌集と言った歌集にも花や植物にまつわる歌が沢山出てきます。 源氏物語に沢山出てくるのもその流れをくむものと考えられます。 人々の心情、個性を際立たせるため、知らしめるために植物が重要な役割を果たしたと思っています。 紫式部は生年月日、没年月日も定かでないと言われていますが、源氏物語の作者だという事は判っています。 

桜について光源氏が歌を残しています。  光源氏が熱病に罹って北山に療養に行き、去る時に僧に 歌を送っている。                       

宮人に行きて語らむ山桜風よりさきに来ても見るべく」   光源氏                 (内裏に帰って宮人に語ることにしましょう。山ざくら風が吹いて花が落ちてしまう前に来て見ることができるように)

優曇華(うどんげ)の花待ち得たる心地して深山桜に目こそうつらね」  僧(返歌)

光源氏があまりにも美男子だったので優曇華(うどんげ)という仏典の美しい花にたとえて返しています。

光源氏は義母の藤壺の宮と関係を結んでしまい、不義の子を身ごもらせてしまう。    父親である桐壺帝は自分の子どもだと思っている。 

おほかたに 花の姿を見ましかば 露も心のおかれまじやは」    藤壺の宮       (もしも世間なみに、この美しい花の姿(源氏の君)を見たならば、露ほども心がこだわる事はないのに……(実は、すっかり心がとらわれています)美しい桜だけではなく不倫の愛)

自分の母親である桐壺の更衣は帝の妃の中でも一番身分の低い人ですが、桐壺帝から寵愛を受けた人。 藤壺の宮はこの人に大変よく似ていたと言われる。

光源氏は桜の美しさに例えられることが数回ある。

夕顔、のエピソード。

幼いころお世話になった女性にお見舞いに行く光源氏は、付近に咲いている夕顔の花に気を止める。 小さな女の子が光源氏に扇を手渡すが、そこには歌がしたためられていた。

「心あてそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」

(あて推量ながら、源氏の君かと存じます。白露の光にひとしお美しい夕顔の花、光り輝く夕方のお顔は。)

光源氏は誰であろうかと気になる。

寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔」  光源氏(返歌)

近寄ってこそ確実に判別できましょう。あなたが黄昏時に遠くからぼんやりと見た花が夕顔であるかは。―私が光源氏であるかどうかは近寄ってみれば確認できましょう。)

後にこの女性と恋愛をする。 亡くなってしまうが一人の娘を残してゆく。(玉鬘)   後に光源氏の人生に関係を持ってゆく。

植物の名前をはめたことでその人のキャラクターがたってくる。

紅花の名前を冠されたっキャラクターが末摘花という姫君。 没落貴族のお嬢さん。    ひょんなことで光源氏は出会う。 朝日に照らされて姫君の姿が見えてくる。               源氏がこの女性につけたあだ名で、彼女の「鼻が紅い」こととベニバナの「花が紅い」ことをかけたものである。  光源氏は生涯末摘花を大切にする。

撫子は美しい女性、魅力的な女性を意味するが、男女関係なく子供のことを表していたというような歌が残されている。  光源氏は「葵の上」と結婚するが、「葵の上」とは馴染めずに、それが源氏が多くの女性との浮名を流すという事にも関係しているとも言われている。 「葵の上」は子供を身ごもって病にかかって子供を産み落として亡くなってしまう。 「葵の上」の母親に慰めの歌を送った。                       「草枯れの 籬(まがきに残る 撫子を別れし秋の 形見とぞ見る」                                 (草の枯れた垣根に咲き残っている撫子の花を秋に死に別れたお方の形見のように思って見ています。)

撫子は後に立派な夕霧と言う若者に成長する。 「別れし秋」は「葵の上」のこと。

今も見て なかなか袖を 濡らすかな 垣(かき)ほあれにし やまと撫子」 「葵の上」の母親の返歌                                    (今もこの子を目にしながら涙がとまらずに、濡れた袖を朽ちさせてしまうのではないかとかえって・・・。荒れてしまった垣根の中に咲く大和撫子のようで、愛しくも不憫で)

朝顔も印象的に使われています。 六条御息所は光源氏の最も早い恋人の一人。 次から次へと恋人が出来るので、過ごす時間も少なくなっていってしまった。 久しぶりの訪れた光源氏は朝の光のなかで輝く彼女の姿を見て、やっぱり綺麗な人だなと思う。  朝顔の花を見て、六条御息所に歌を送る。

「咲く花のごとく美しい人よ 浮名のたつのは秘めたいがどうして摘まずにいられよう この今朝の朝顔を」

朝霧の晴れ間も待たぬけしきにて花に心をとめぬとぞみる」 六条御息所の返歌     (朝霧の晴れる間も待たないでお帰りになるご様子なので朝顔の花に心を止めていないものと思われます。)

朝顔は大陸から薬として種がもたらされたが、垣根などに咲いていたようです。 

六条御息所は夜な夜な自分の生霊を、源氏ゆかりの姫君たちを苦しめていた。(嫉妬心)  六条御息所の身にはけしの香りがする。  けしのお香は悪霊大安のために使われていたお香なんです。 それで悟る。

六条御息所が住んでいた六条院を譲り受け、改装してゆかりの姫君らを住まわせ、ちなんだ季節の庭をそれぞれ与えた。 紫の上(正妻格)には春の庭、御用松,紅梅、桜、藤、山吹、躑躅などを植える。  夏の庭には花散里と言う女性(若いころからの恋人関係)控えめで、優しく教養深い。 橘、撫子、薔薇など。 秋の庭、六条御息所の遺児、秋好中宮の実家とする。 紅葉、秋を彩る花が咲いていた。 冬の庭、明石の君 竹、松、菊,ならなどが植えられる。 明石入道から娘を嫁にと言われる。 

末遠き二葉の松に引き別れいつか高きかげを見るべき 」  明石の君                  (二葉の松のような幼い姫君と別れいつか影を作るほど高くなったその木を拝むことができるだろうか、私は。)

生ひそめし根も深ければ武隈の 松に小松の千代をならべむ」    光源氏返歌          (私たちと深い根でつながった子だからあの武隈に生えた松と小松の様に並んで立つ日も来るだろう。) 武隈は松の名所として知られた風光明媚な地。

紫式部は源氏物語を通して当時の社会の生きずらさ、特に女性たち、自由が利かない、好きな人とお付き合いすることもままならない。 男たちも官職、身分で行動が制限されている。 そういったことに対する切なさ、悲しさ、むなしさなどを巧みに込めているのではないか。