2024年2月6日火曜日

草野浩二(元音楽プロデューサー)     ・「昭和を彩ったカバーポップスの先駆者」 

草野浩二(元音楽プロデューサー)      ・「昭和を彩ったカバーポップスの先駆者」 

草野さんは1937年東京都出身(86歳)、大学卒業後1960年東芝音楽工業に入社、製作部のディレクターになり初仕事の「悲しき六十才」がヒットします。 60年代の洋楽のカバーポップス全盛時代を築き、以降和製ポップス、ベンチャーズ歌謡などを手掛けます。   去年その足跡を「見上げてごらん夜の星を」という本のタイトルにまとめました。 担当したアーティストには坂本九、森山加代子、弘田三枝子、奥村チヨ、欧陽菲菲など一世を風靡した皆さんの名前が並びます。 草野さんが手がけたヒット作品を交えて昭和の音楽史を振り返ります。

父親と兄貴が楽譜の出版の仕事をやっていました。 子供のころから音楽好きで、音楽に関わる仕事をしたいと思っていました。 音楽に関係のあるレコード会社に行きました。(東芝レコード会社)  ディレクターになって、ダニーと友達でした。 東芝は専属作家が少なく、又演歌もやりたくなかったので、入社3か月ぐらいで「悲しき六十才」を手掛けることになりヒットしました。 カバーポップス(外国の曲に日本語の詞を付けて作る。)は雪村いずみさん、江利チエミさんがポツンポツンとやっていました。 坂本九、とか森山加代子がやりました。 詞は岩谷さん、漣 健児(さざなみ けんじ 兄のペンネーム)、南川潤さんだったりしました。  選曲は僕がやりました。 メロディーが日本人向きかどうかですね。  ふた月に一遍は出していました。  お金もかかるので録音も1曲1時間が原則でした。  

弘田三枝子は歌がうまくて、オーディションの時にびっくりしました。(中学2,3年) パンチのきいた歌い方が良かった。    

*「子供じゃないの」 歌:弘田三枝子  訳詞:漣健児

1960年代の半ばから日本のポップスが出てきました。 NHKのバラエティー番組「夢であいましょう」永六輔、中村八大、坂本九でいろいろな歌が誕生。 上を向いて歩こう」が誕生する。 ヨーロッパ系のレコード会社が上を向いて歩こう」(女の子が歌う。)を出すようになって、アメリカに住んでいる日本人が本物はこれだという事で、アメリカの放送局に送って、それから坂本九(日本語の歌)がかかるようになりました。 アメリカで大ヒット、第一位となる。

上を向いて歩こう」 歌:坂本九  作詞は永六輔、作曲は中村八大

和製ポップスが盛んになってゆく。  「見上げてごらん夜の星を」 作曲がいずみたくさん、筒美京平さんも出てきます。  グループサウンズが出てくるが、関わりそこないました。 一過性のものだと思っていました。  「ブルー・ライト・ヨコハマ」のいしだあゆみ 作曲:筒美京平  ピンクレディーなどが出てきます。  奥村チヨはいろんな違うジャンルでヒットを出しました。  小唄を習っていたので、その歌い方を取り入れて僕が教えました。 「恋の奴隷」に生きてきました。  演歌調なので最初は抵抗していましたが、売れちゃいました。  

*「恋の奴隷」  歌:奥村チヨ  作詞:なかにし礼 作曲:鈴木邦彦

ベンチャーズの担当ディレクターからカバーでやってくれないかと言う話がありました。  最初は「北国の青い空」、「京都の恋」、「雨の御堂筋」などみんなベンチャーズです。

*「雨の御堂筋」  歌:欧陽菲菲  作詞:林春生  作曲:ザ・ベンチャーズ

80年代、オリジナルをやる様になります。  シンガーソングライターが出てきます。 (ユーミン、中島みゆきほか。)   ヒット曲を作るには、他人が歌いやすいという事ですかね。   歌い出しをタイトルにするという事は多いです。 上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」とか。 今の歌は詩ではなく文章になってしまっていて、余韻と言うものがない。