吉田義人(ラグビー元日本代表) ・100年の計は“前へ”~明治大学ラグビー部~
大学ラグビー界の強豪明治大学は今年度創部100年を迎えます。 先日行われた大学選手権の決勝では帝京大に敗れ、100年を優勝で飾ることはできませんでしたが、初代監督を務めた北島忠治さんが掲げた「真っすぐ前へ」と言う明治ラグビーの精神は、今も受け継がれています。 その精神を体現した代表的な選手が元日本代表の吉田義人さん(54歳)、秋田県出身で9歳の時にラグビーを始め、秋田工業時代は花園で全国制覇、明治大学に進んでからも1年生の時からレギュラーに選ばれ、在学中に日本代表入りを果たします。 4年生の時はキャプテンとしてチームを大学日本一に導きました。 その後も日本代表や世界選抜のメンバーとして活躍して、母校明治大学の監督も務め、日本のラグビーの発展に大きく貢献してきました。 現在は7人制ラグビーのクラブチーム「サムライセブン」の監督をしています。 95歳で亡くなるまでの67年間に渡って明治のラグビー部を指導した北島元監督の教えである「真っすぐ前へ」という精神、吉田さんにどんな影響を与えたのか、原点は「真っすぐ前へ」と題して、吉田さんのラグビー人生と共にお話を伺いました。
創部100周年を迎えますが、チームを継続して運営してゆくと言いうのは本当に大変な事です。 歴代の先輩たち、監督、スタッフなどの思いが繋がっているというのは誇らしいことだと思っています。 北島忠治監督に出会えたことは、何にも代えがたいものになりました。 会った時には俺のおじいちゃんだと思いました。 80歳半ばでしたが、70歳ぐらいにしか見えませんでした。 1987年10月6日、雪の早明戦で1年生から試合に臨みました。 朝起きたら雪で真っ白でした。 試合をやることが決まったという事で、嬉しかった。(雪の上で以前は練習をしていたので) 僕のトライが認めてもらえれば10-11で逆転でしたが、認めてもらえず10-7で負けました。 初めて日本代表に入ったのが1年生の終わりの春でした。
1989年5月に日本はスコットランドと対戦しました。 初トライをして28-24で勝ちました。(歴史的な勝利でした。) 北島監督は選手の長所短所をしっかり見抜いていました。 4年生の時にはキャプテンに選ばれ吃驚しました。 キャプテンになって自分の姿勢を崩す必要はないと思いました。 メンバーを集めた中で、「学生日本一になりたい。」と話しました。(前年は1回戦で負けたチームだった。) 「決めたことの練習をしっかりやろう。」と言いました。 必要なルールをしっかり自分らでやるべきだと決めて実行しました。 朝の起床のベルを1年生がやっていましたが、撤廃しました。(時間の自己管理)
北島監督の「真っすぐ前へ」と言う言葉は、ラグビーのグラウンドでのプレーもありますが、僕は生き方の核となる大事な言葉だと思っています。 社会に出て大きな壁があると思いますが、その壁をどうやって乗り越えてゆくのか、まさしく前に行かないと打ち破れない。 「ゴールまで100%で走れ。」と言われて、大事な言葉だと思っています。(自分との戦いです。) 「自分に甘くなると絶対勝てない。」という事は僕は言っています。 弱い自分に勝った人間だけが、相手に対する挑戦権を貰えると思っています。 大事にしている言葉「矜持」は品位、品格を持ち合わせている人なので、自分をしっかりと抑制して弱い自分に勝った人間だけが、使える言葉だと言われています。
1991年1月6日早稲田との決勝。 以前の試合でリードしていて78分で勝てるという思いがありました。 結局24-24になってしまった。 足が肉離れで痛めてしまったが、交代する勇気がなかった。 引き分けとなってしまって、その後みんなが自覚して練習をして、決勝では13-11と早稲田が一時逆点しましたが、後半トライを決めて16-13と再逆転して優勝となりました。 勝負には修羅場があり、そこでどれだけの、自分がやってきた誇り,自信とか、力を発揮できるか、自分の魂を表に出してゆく。 戦いにはそれが一番大事だと思っています。 真摯に実直に取り組んで行けるような人を育てたいと思います。