川上麻衣子(女優) ・〔わたし終いの極意〕 「実家じまい」で見えた私の老後
川上さんは1966年スウェーデンに生まれました。 14歳の時にNHKのドラマで女優デビュー、数々のドラマや舞台で活躍する一方、ガラスデザイナーとして個展を開いたり一般社団法人「猫と今日」の理事長を務めたり多彩な活動をしています。 また自身の日々を綴った女性誌の連載では、猫との暮らしや老いとの向き合い方などについて発信、「実家じまい」についてのエッセーは大きな反響を呼びました。 「実家じまい」を終えて今思う事はどんなことでしょうか。
今自分が感じている事、悩んでいる事をそのままテーマにしています。 日記を書いたり腹が立ったりした時なども自分の気持ち書いて、気持ちを落ち着けるということはありました。 還暦が間近になって来て、気がかりだったのは実家をどうするかという事でした。 親も高齢でした。 家は物置き状態でした。 ゴミ毎買い取りますというチラシが入っていました。 両親と話をして突然決まりました。 母が84歳、父が93歳でした。 私は一人っ子です。 2023年の9月ごろのことでした。 2か月後引き渡しでした。 両親がインテリアデザイナーなので、1966年当時購入してすぐに大改造をして、畳、壁などなくしておおきな2LDKにしました。 私は17歳でその家を出ています。 父が工房を持っていてそこの物、大磯に暮らしたこともあるのでそこの物を家に持って来てあるので、物はたくさんありました。 3,4年前には両親は都内のマンションに引っ越しました。 どんなものがあるかわからない状態だったので、要る、要らない、後で考えようという色の付箋を付けて行きました。 母が一緒に立ち会いました。 父の物も沢山ありましたが、数点を残すのみでした。
仕事を辞めて両親がスウェーデンに渡ったのが1962年ぐらいでした。 王立大学でインテリアの勉強をしたいと言う事で大学に行きながら4年ぐらい生活をしていました。 当時のものが沢山あるんです。(ヴィンテージと言われるもの) 家具とか専門の業者の方4社ぐらい来てもらって、選別もしてもらいました。 父のスクラップブックとかデザインの専門の書類なども沢山ありましたが、貴重だという事で7割は専門業者さんは持ち帰りました。(2トントラックで何回かで)
写真が一番迷います。 整理していないものはあきらめがつきましたが、ちゃんと整理されているアルバムは捨てる事は出来ずに段ボールに詰めて、倉庫に入れてあります。 私の小さいころからの絵、日記とかもいろいろ出てきました。 今倉庫にありますが、還暦を迎えたら読んで捨てることにしました。 洋服などはほとんど捨てました。 14歳でデビューしたので、その時の衣装などは持ち帰りました。 忙しさもあって実質作業したのは二か月の間で15日以下だったと思います。 スッキリした思いと、ここからもう一回断捨離をしなければいけないという思いがあります。 残したものの整理がついていない。 実家じまいは思い切りは必要です。 両親の世代では趣味で求めたものとかには貴重なものがあるかもしれないので、専門の方に見ていただいて、残してゆくことも大事かなと思います。 体力も必要です。
私は1歳の時には日本に来ました。 1974年、小学校3年生から4年生にかけての時期にもう一度スウェーデンに行きました。 スウェーデンでの文化では自己主張することが当たり前でしたが、母親がこれではいけないという事で1年繰り上げて日本に帰ってきました。 日本に帰ってきた時の方が辛かったです。 小学生でマニュキアしてもピアスをしてもスウェーデンでは怒られることはなかったです。 集団行動は出来なくなっていました。 驚いたりするとスウェーデン語になってしまったりして、友達からは厭な感じと思われました。 それでしゃべらなくなりました。
劇団に入りたかったが入ること自体に両親は猛反対でした。 小学校5年生で劇の主役をやってそれが凄く面白い経験になり、劣等生だったのが良くなって、日曜日に学校ではないところで何かをやりたいという事があって、劇団に入りたいという思いが湧いて来たと思います。 反対されたが3,4日ストライキをして、試験は受けることに同意しました。 1980年の時でしたが、劇団に入ることになりました。 1980年のNHKドラマ人間模様『絆』でデビュしました。 その後学園ものがあり、自分の判断とは別の動きが出来て行きました。
NHKではとても演技指導が厳しくて自分には合わないと思いました。 ガラスデザイナーとしての活動、一般社団法人の理事長でも活躍。 2005年に初めてガラスの個展をやりました。 スウェーデンはガラスの王国と言われていました。 スウェーデンで買っては自宅で使っていました。 NHKの番組に出た時に、ガラス工芸作家の石井康治先生から「僕の工房に来て吹いてみたら」、と言われて青森に行って作業が新鮮で面白かった。 教室にも通って技術を学びました。 両親ともデザイナーで、父は木工の専門で母はテキスタイル(織物など)、二人とも美大の先生もやっていますので、その分野は手が出せないと思っていて、ガラスだったら自分で表現できると思いました。 デザインは自分でやって吹くのは気の合った職人さんと言うコンビで作って、2年に一度個展をしています。ガラスの作る過程が芝居と似たようなところがあります。(ハプニングがあっても即対応するとか。)
人と猫の共生について考えて行こうという事でその活動をしています。 2017年に立ち上げました。 一人暮らしを始めてすぐに猫を飼って40年ぐらいになります。 看取りという事で自分の死生観も変わってきました。 「猫と今日」と言う団体名です。 動物の医療も進化して、最後を病院で迎えるとか、管を身体に通すとか、果たしてそれがいいのかと考えました。 5匹看取りましたが、果たして自分だったらどうしようかと考えた時に、自分の家で穏やかな時間が長くあって欲しいと思いました。 食べないようになって体力を減らして死んでゆく姿が私には自然に見えました。 両親の終いに関しては少しづつ話をしています。 親の考えと私の考えとがずれている様なこともありますので、元気なうちに話をした方がいいと思います。 小さなことでも目標を持つことは大事だと思います。 「シンフォニーエージング」 調和してゆく、共鳴してゆくみたいな、広い意味で調和してゆくイメージがあってそこに歳を重ねる。 そういったことで自分の終いに向けて行けるんじゃないかと思っています。