桑原正紀(歌人) ・介護短歌に心の癒しを求めて~2023
介護にまつわる思いや体験を詠んだ短歌を広く募集するNHK財団などが主催する「新介護百人一首」は2023年度はこれまでで最も多い1万4000首を越える作品が寄せられました。 今回も若い世代の応募が多くて60%以上が10代からの作品で、13歳から103歳までの幅広い応募がありました。 先ごろ入選作品100首が選ばれました。 ゲストに自身に介護の経験のある俳優の市毛良枝さん、選者の一人桑原正紀(歌人)さんをお招きして作品と共に、作品に込められた思いを伝えていきます。
市毛:13年ぐらい介護して母を2016年に100歳で見送りました。 介護して、自分でも心が辛くなったこともありました。
桑原:若い世代(看護学校など)の応募が増えてきています。 初めて短歌を作ったとか、日の浅い人の作品が沢山あります。 実感がこもっていて、短歌の出来不出来と言うよりも、そこに込められた思いとか、新鮮で、こちらの方が教えられました。
認知症に関しての入選作品
「息子だと何度喉まで出たことか我親切な職員演ず」 浅岡剛
認知症の父はある時期から私を担当の職員だと思い込むようになりました。 私も反論せず親切な職員となり、接しています。
市毛:私も職員の振りをしたこともあり身につまされます。
「こんにちわ返った言葉どちらさま隣の犬は覚えているのに」 細井美涼
犬を飼っていた近所のおばあさんに声を掛けたら、思いがけない一言でした。 いつものようにすり寄って来る犬に心を軽くしてもらいました。
市毛:17歳で短歌にしようとして応募してくれたことが嬉しいですね。
「心配で祖母の散歩の後つける「何しとんねん」いつバレたのか」 松田桃
祖母が認知症で心配で祖母の散歩のあとつけたことがあります。 途中で振り返って「何しとんねん」と笑われました。 一体いつばれたのだろうという事が経験がもとになっています。(小学校の頃の経験)
「米とぎを一時間する母の背に夕陽差し込む西角の窓」 神村幸子
一時間も米とぎをしていた姿に認知症がじわじわと近づいていることに気が付きました。
市毛:昔の女性が背負っていたものを感じるような気がします。
豊かな時間を過ごしているという短歌
「曽孫より届きし俳句を推敲す学びし講座が今役に立ちぬ」 磯貝幸子
小学校2年生のひ孫が施設に送って来ます。 20年席を講座に置いていたので役に立っています。 (93歳)
「難聴の我に神様は目で読むを残してくれき書くも楽しき」 高橋洋子
難聴で人様の会話が半分ぐらいしかわからず、その分本などを読んで補っています。書くことも楽しい。
市毛:若い時には普通の振りをしていた母でしたが、60歳を過ぎてきて自由に明るく社交的になりました。 父がなくなるとより開放枝的になり最後まで楽しむ人になりました。 旅行などに連れてゆくとよくしゃべるようになり、イベントが何かないといけないのかなあと思いました。 辛いことも沢山有りましたが、怒られた時に一人で抱えてはいけないと思って、助けてくれる人を必死に探して、助けていただいて、親戚の様に残ってくれました。 人って、人の助けを求めなければいけないんだなと思いました。
桑原:自己表現は心の整理に繋がったりして、達成感が現実の心のありようを少しアップしてくれる。 短歌などを作ることによって心が救われることはたくさんあると思います。
市毛:本を作って、山のこととか、介護のことなどエッセーに書いています。 2月末発売
介護してもらう側の短歌
「「入らない」入浴前は断るもお湯につかると「まだ上がらない」」 佐野健也
入浴介助で声を掛けても断られました。 衣類など介助して入浴しましたが、時間が過ぎて声を掛けても断られました。 入浴が嫌いではなく、動作がめんどくさいんだなと感じました。(20歳)
市毛:この戦いはいつもしていました。
介護をしている方への感謝の短歌
「「夢は宇宙」母の戯言にNASAの服段ボールで作る施設のスタッフ」 仁戸共代
入居者の夢をかなえようと扮装を考えて、若いスタッフが作ってくれました。
桑原:妻が倒れたのは2005年で、脳動脈瘤破裂という脳出血です。 ICUにひと月近くいました。 人工呼吸器に繋がれていました。 意識は戻らず。 呼吸が出来るようになり普通の病棟に移るが、意識は戻らない状態が続きました。 脳の新しい記憶の部分の機能がなくなってしまって新しい知識は全く入らなくなってしまいました。 今は寝たきりに近い状態で病院に入っています。
「猫よ鳴け母ちゃん帰って来いと鳴け言い聞かせればしきりに鳴くかも」 桑原正紀
夫婦で猫を飼っていまして、いろいろ擦ったりしましたが意識が戻らず、猫の声を録音していったらどうだろうと思って、聞かせてみたらなんと薄目を開けたんです。 私自身はこの歌を記念にしています。 歌にしなければその時間は記憶から消えていてしまうと思います。
日常的な短歌
「車椅子押されて戻る盆踊り手だけ踊るも心も踊る」 岡部晋一
盆踊りの好きな私は足を失ってからは見るだけで踊る事は出来なかった。 或る時に車椅子に乗って踊りの輪に加わった。 手だけでしか踊れなかったが、心を全開にして踊った。
「摘便のプロは俺よと笑む妻に背中で謝する午前二時過ぎ」 押切圭子
摘便は四肢が麻痺して排便が弱まり、便を掻きだすという補助をしなければいけない。
妻(表記は夫と書いてある) 妻には背中を向けて感謝をしている。 便意は深夜に生ずることもあり、熟睡している夫を起こすこともしばしばあります。 摘便してくれる夫に感謝を覚えます。
市毛:デリケートな事ですが、介護をしていると普通のことになってしまって、御主人が「俺はプロよ」と面白く言って、凄く素敵です。 家族って、面と向かって「ありがとう」とかなかなか言えない。
「差し入れのすいかはいつしか梨になり部屋に居りても秋が近くに」 門田美智子
娘が果物を届けてくれる。 寝る前は電話して一日が終わる。「ありがとう」 (97歳)
桑原:外にも出れずに肌で季節を感じ取れないけれども、西瓜はいつしか梨になりという事で季節を感じる。
「十分な介護と思いて母おくる足らざれしかと今にし思う」 中川さか江
市毛:十分と思っても充分ではないことだらけで、時が経つほどもっとこうしてあげればとか、もっと優しくしてあげればよかったとか、今頃になって思っています。