2024年1月16日火曜日

山田登美男(盆栽作家 日本盆栽作家協会理事長)・緑の芸術をめざして

 山田登美男(盆栽作家 日本盆栽作家協会理事長)・緑の芸術をめざして

今、盆栽は日本ばかりではなくて、世界的に愛好家が広がっています。 盆栽愛好家にとっては聖地と言われる大宮盆栽村で清香園と言う盆栽園を経営している4代目の山田登美男さん、去年5月にさいたま市の盆栽文化の振興、発展に大きく寄与したとしてさいたま市文化賞を受賞しました。 山田さんは1938年(昭和13年)生まれ(85歳)。  もともとは写真の関連会社に勤めていて、美しいものに興味がありました。 山田さんはその清香園の娘さんと結婚して27歳で4代目として盆栽の修行を始めました。 3代目のお父さんの指導の下、数々の盆栽の賞を受賞していきました。 現在は盆栽の指導者の集まりである日本盆栽作家協会理事長をしています。 

盆栽つくりは年数もかかるし場所も大きく必要です。 盆栽村にはほかに5軒ほどあります。  コロナ以降訪日客が増えています。 盆栽村はかつては30軒ありました。  今、世界には1000万人ぐらいの愛好者がいます。  水と空気と環境を緑で育てるという事は快適に健康を維持する。 私どもは75種類ぐらい扱っています。 松も五葉松、エゾ松、赤松、黒松などあります。 緑の松と四季折々の広葉樹を盆栽で維持管理すると楽しいですね。 海があって陸、島があって、緑の松があって、広葉樹が美しく添える、そういうものを凝縮した、盆上にしたのが盆栽です。 

江戸時代はあそこ(台東区根岸)は別荘地なんです。(盆栽が盛んだった。) 文人、歌舞伎役者などいろんな人たちが住んでいました。 うちの盆栽は種類が多いです。 東京の人口が増えてくると盆栽をやることが難しくなって、大宮に大変いい土地(地下水がおいしい、空気がいい、土が適している)があるという事で、選ばれました。  うちは都落ちをするのが嫌だと言って、ぎりぎりまで頑張りましたが、戦争も始まり昭和18年に大宮に来ました。 公家の社会で発生して、約1000年の盆栽の歴史があります。  

写真が好きで写真の関係のメーカーに就職して、友人から盆栽を知って盆栽にはまりました。 27歳で清香園の娘さんと結婚しました。 冬芽が薄暗いところで光っているんです。 それが凄くきれいに見えました。 江戸時代から受け継いでいる凄い技術もありやりたいなあと思いました。 親にも認めてもらいましたが、口では教えてくれません。   或る時気に入った盆栽が目に留まりました。(1万5000円ぐらい) 自分のお金(給料の一か月分)で買って1年がかりで手入れをしました。 気に入った人がいて13万円で売ったら、その人が又高く売ったんです。 それで自信を持ちました。 見よう見まねで技術を磨いていきました。 父が私の作成している盆栽に対して違った意見を言ったんですが、八王子の有名な盆栽の人が居て、私の盆栽を見て父親に対して、「若い人の感性を壊しちゃあだめだよ。」といって、それから父は一言も意見を言わなくなりました。 

50年ぐらいかけて20、30点作っているのは私ぐらいだと思います。 皆作ると早く売ってしまう。 日本盆栽作風展では外務大臣賞、内閣総理大臣賞など多数受賞。(30代ぐらいに受賞)  自然から教わる面と、人から教わる面と両方ないと育たない。  総合芸術としての完成度を狙っています。 一流の画家、彫刻家のものに盆栽を添えて、飾ったり愛でる、そういう憩いの間を作るという事が私の理想です。 盆栽は主でもあるし、従でもある。 

1983年に45歳で4代目を継ぐ。 作品としては父親の作品はあまり残ってはいないです。 初代の庄之助の松(350年ぐらいの樹齢の木)は残っています。 売ってくれと言う人が居ますが売らないです。  松では真柏とか五葉松は700,800年持ちます。(盆栽にするともっと短い。)  1991年のプロの為の盆栽作家協会を作りました。 海外を含めると300名ぐらい。(国内よりも海外の方が多い)  30か国ぐらいが盛んで、やってる人は100か国ぐらいあります。 私はヨーロッパ中心ですが、アメリカにも何回か行っています。 中国も盛んになってきています。 世界盆栽大会は4年に一度開かれています。 5代目は娘が継いでいます。  緑は心が落ち着きます。