2024年1月10日水曜日

金澤敏子(患者の人生を伝える元アナウンサー)・イタイイタイ病の"本当の痛み"を語り継ぐ

金澤敏子(ひとりがたりで患者の人生を伝える元アナウンサー)・イタイイタイ病の"本当の痛み"を語り継ぐ 

金澤さんは3年前から4大公害病の一つ「イタイイタイ病」に苦しんだ患者の生前の発言を伝える、ひとりがたりをしています。 地元民放にアナウンサーとして入社した金澤さんはディレクターに転身後、「イタイイタイ病」をはじめとする人権をテーマとした番組を多く製作してきました。 放送局を退職した後も「イタイイタイ病」の研究を続けています。 

金澤さんが痛み、苦しみを語り継いでいる「イタイイタイ病」は、富山県のほぼ中央を南北に流れ富山湾へと注ぎこむ神通川流域の住民に発生しました。 川の上流にある神岡鉱山から流れ出たカドミウムが原因でした。 被害住民はカドミウムに汚染された水を飲んだり、その水で育ったお米を食べたりして骨がもろくなり、症状が重くなると僅かな動きでも骨折して激しい痛みに襲われ、イタイイタイと苦しみながら衰弱して亡くなる人もいました。 この「イタイイタイ病」が全国で初めて公害病に認定されてから去年2023年5月で55年となりました。 「イタイイタイ病」の認定患者は201人で、このうち生存しているのは90代の女性一人だけです。  教訓の継承が課題となっています。 こうした中ひとりがたりを通して患者の思いを伝え続ける金澤さんに、訴えたい思い、「イタイイタイ病」から学ぶべき教訓をお聞きしました。

2021年からひとりがたりを始めました。  きっかけは「イタイイタイ病」を語り継ぐ会の代表をしていた向井嘉之さんが、『イタイイタイ病との闘い 原告小松みよ』と言う本を出して、小松みよさんの肉声が一杯詰まった本でした。 被害者の全人生を語ることで、「イタイイタイ病」の全体像がお伝えできるのではないかと、ひとりがたりを始めました。 勝訴してから50年経ったのが2021年でした。 「イタイイタイ病」を語り継ぐ会の総会が第一回目で、先日が32回目の講演をしました。  

小松みよさんは33歳で「イタイイタイ病」を発病して、身長が30cmも縮みました。 最初は40~50分でしたが、推敲を重ねて、みよさんの方言だけにしようと思って、今は35分ぐらいになっています。 最初に妙な痛みを感じたのが33歳の時でした。 「イタイイタイ病」の怖いのは30年も過ぎてからあちこちに痛みが出てくるんです。 みよさんは66歳で亡くなっています。 人生の半分を痛いと言って苦しみながら亡くなっています。 針でチクチク体中を刺すように痛む。 息子の一郎ちゃんが朝起こして布団に座らせて、ずーっと座ったまんまで、前にはお昼ご飯がおいてあったり、自分では何もできずに息子に世話になるばっかりの悲惨な生活だった。  自分の代で終わらせたいと裁判の筆頭に立って頑張ってきたと思います。 

私がみよさんと一緒に共有して、その思いをひとりがたりとして伝えることは良いのではないかと、私の役目ではないかと思いました。  みよさんの痛み、悲しみ、苦しみ、怒りなど丸ごと、次の方に伝えるという事が私としては良い事かと思って、ひとりがたりをしました。  自分が親になってみよさんのことが、自分事のように思えるようになりました。  一郎さんはお見合い結婚するんですが、あの家は「イタイイタイ病」の家だったという事でお見合いが壊れたりする事があるんです。(伝染する訳ではないのに)  亡くなった方の焼かれた骨はぼろぼろで収骨さえままならないような状況です。  みよさんから奪った大きなものは家族の愛、平和というか、何気ない日常の生活、家族そのものが奪われたと思います。 

昨年12月には被害者団体と原因企業が全面的に解決したという合意書に調印されてから10年経過、残る課題は。要観察の人もいますし、精密検査を受けている人も何十人もいます。 認定患者は氷山の一角で、苦しんでいる方はたくさんいるわけです。 まだまだ終わってはいないと思います。 公害の学習もきちっとされていない。 正しく伝える学習をしてほしい。 神岡鉱山の堆積場が大雨とかで崩れ落ちて川に流れだしたらどうなるんだろうというような不安もあります。 「イタイイタイ病」の公害は命だけではなくて大地に爪痕を残しています。  いわれのない苦しみを押し付けられた人たちを、黙殺、封印しながら来た人間がいたという事、それに力を貸した国、行政もいたという事が私は公害だと思っています。  人間の命ほど大切なものはないです。 その命を奪ったのが公害です。