2024年1月11日木曜日

野上奈津(com-pass女性筋疾患患者の会共同代表)・NHK障害福祉賞受賞者に聞く 「生きる選択」

野上奈津(com-pass女性筋疾患患者の会共同代表)・NHK障害福祉賞受賞者に聞く 「生きる選択」 

第58回NHK障害福祉賞で最優秀賞を受賞した野上奈津さんのお話です。 NHK障害福祉賞は障害のある人やその家族が綴った優れた体験記に送られるものです。 野上さんは東京都在住の61歳、com-pass女性筋疾患患者の会共同代表を務めています。 筋ジストロフィーなど3つの難病を抱え、延命措置や気管切開が必要になった時に、どうしたいのかを決めきれずにいた時に、新型ウイルスに感染、気管切開するかどうかの決断を迫られた体験を、「生きる選択」と題して綴っています。 

私たち夫婦は足が悪いので犬を飼いたかったのですが、散歩に行かれない方は犬は飼えませんと言われました。 それで猫、オウム(洋ちゃん、シナモン)を飼っています。 歩行器を使ってテーブル周りとトイレの往復になってしまっています。  自分の書きたいことを一生懸命に書きましたが、まさか最優秀を頂けるとは全く思っていませんでした。 506の作品が寄せられた。  「私には3つの難病があります。」と言う書き出しですが、基礎疾患として筋ジストロフィーがあり、全身の筋肉が徐々に壊れて行って筋力が衰えて行って、将来は身体が動きにくくなるという病気です。 治療法も一切ないという病気です。 もう一つが特発性血小板減少性紫斑病と言うもので、出血した際に血が止まらなくなってしまうので、例えば生理の時にはひたすら出血するので、輸血が必要になった時がありました。 歯磨きの時に洗面器一杯の血を吐いた時もありました。 もう一つが全身性エリテマトーデス(SLE=systemic lupus erythematosus)、これは自分の細胞を攻撃する抗体によってさまざまな臓器に炎症などが現れる病気とされています。 私の場合は身体で実感することはないんですが、血液の数値には異常が起きていて、その都度主人に対応してもらうと言う感じです。 私の友達はこの全身性エリテマトーデスで6年間意識を失った状態で寝たたきりだったという人がいます。  今は復帰して歌を歌ったりいろんな活動をしています。 

筋ジストロフィーについては、冒頭に「私には3つの難病があります。 15歳の時に告知された。 13歳の時に心臓病で母を亡くし、父が再婚した二度目の母に連れられて大学病院を訪ねた。・・・「貴方は筋ジストロフィーです。 この病気の治療薬はなく将来は寝たきりになるでしょう。 将来貴方は結婚しても妊娠してもいけない。」 今思えば思春期の少女に向かって何というもの言いだろうか。 義母に「泣いてどうなるものではないでしょう。」と𠮟咤されてここから私の難病者人生が始まった。」 と書いています。 筋ジストロフィーはゆっくり進行するのでアッ、病気になったという風に自覚をするわけではない。 私の場合はおへそから上の方に顕著に進行が現れるというもので、気付かずにいました。 私が洗濯物を干すときに、腕が上がらず奇妙な格好をするのを義母が見て、「おかしい。」と指摘されて病院に連れて行ってもらい、その場で告知されました。  世界が終わったというような絶望感でした。 遺伝をするので、その確率が50%ぐらいなので、結婚しても妊娠してもいけないという事でした。 筋ジストロフィーは痛みはありません。 

母は心臓病で亡くなったと聞かされています。  5年前或る時に細胞を取った時に初めて母からの遺伝であるという事が知らされました。  母も筋ジストロフィーであったという事を告げられ、動きなど納得がいくことが多かった。   病院から帰る時に泣きながら帰ってくる時に、義母に「泣いてどうなるものではないでしょう。 これからどうするか考えなさい。」と 言われて、その時はショックでしたが、後々沁みる言葉になりました。  劇団員になりたかったが、使い過ぎてしまうと筋肉の組織がどんどん壊れて行って、元に戻らないという事あるので、義母は必死で止めていたと思いました。  私は家から出て行こうとしますが、身体を張って義母が立ちはだかりました。 

特発性血小板減少性紫斑病についての体験記、「38歳の春、生理の出血が10日間続き、そのうち顔色が私の部屋の壁の様に真っ白になって、息も切れるようになった。 自宅近くにある大学病院を訪ねたことがきっかけで、ステージ1の子宮がんと共に宣告された。」  子宮がんと聞いた時に、死を考えました。  精神的に凄くきつかったです。 友人からは「悩んでいる時間がくだらない。 もしなってから考えればいい、なったんだったらどうしたらどうしたら治るかを考えればいい。 今いくら考えても無駄なことだ。」と言われてそこから大分意識が変って行きました。 子宮、卵巣を全摘して完快となっています。

全身性エリテマトーデスは50代になってから発症しました。 文化学院の恩師が主催している劇団に所属し、昼間アルバイト、夜はお稽古と言う生活を送っていました。 その後違う劇団に入って勉強をしていました。  交差点で大きく転んで、走れなくなったことを自覚しました。 舞台で走れない役者なんかないと思って、舞台を辞める決意をしました。(肉体的にも精神的にも疲れていた。) 

2022年11月主治医より延命措置について問われた。 「延命措置のついてどう考えていますか。 あなたが急変した際、気管切開をするくらいなら死んだほうがましとか、意識が戻らないままでも生きていたいとか。」衝撃的な質問だった。  突然延命措置の話がありました。  酸素濃度が低くなっていて夜間の人工呼吸器の装着の話は出始めていたが。 私の場合は酸素濃度が88ぐらいでした。(コロナで酸素濃度が96を切ったら救急車を呼ぶ様にと言うニュースを聞いていた。)  気管切開をすると声が出せない。 その1か月後に新型コロナウイルスと診断されてしまう。 入院はせずに自宅療養を選択する。(入院をすると足の筋肉が衰えることの怖さ。)   しかしトイレで転倒して救急搬送されました。 「何かあったら気管切開しますね。」と気軽に言われてしまいました。 その時には「お願いします。」とは言えなかった。  或る日私の状態が悪化して、主人に連絡がり、「奈津の命が失われなければ、その手段を選んでください。」と主人は言いました。   主人に判断をゆだねてしまったことで、考えを改めました。

最後は「私は生きる選択をする。」という強い決意で結ばれています。  緊急な状態に陥った時に、打つ手があれば、生きる選択しか自分の中にはないという事にやっと気づきました。  二度目の母、物凄い熱量で私たちを指導してくれました。 彼女が居なかったらどういう人生を歩んでいただろうかと、とてもありがたかった人です。 父と離婚をしてしまって今どうなっているのか判らないです。(結婚の期間は7年) もっと自立するようにと言ってくれた、弟の存在も大きくあります。(結婚前)   結婚したのは今から16年前です。(44歳)  障害者職業訓練校に試験を受けて入りますが、隣に座っていたのが野上君(夫となる人 11歳年下)でした。 主人には負担をかけてしまい、感謝以外はないです。 主人の時間を取れるように考えています。

com-pass女性筋疾患患者の会共同代表、筋疾患の女性だけの集まりで、結婚、妊娠、出産と言うようなことをみんなでザックバランに語り合える場所を作りましょうという事で、作り上げました。 今は200名弱の人が居ます。 com-pass=羅針盤 女性筋疾患患者の人々の羅針盤になりたいという意味合いがあります。