大海明敏(元ベトナム難民の神父)・〔人権インタビュー〕 私たちも地域の仲間です
愛知県は全国で最も多いおよそ5万人のベトナム人が暮らしています。 おおくは技能実習生として来日していますが、職場で理不尽な対応を受けていると言う声が後を絶ちません。 大海さんはそうした技能実習生たちの相談を受け解決に乗り出したり、地域に住む外国人と日本人との交流イベントを開いたりするなど、30年近くに渡って支援を続けています。 外国人たちに地域の仲間になってもらうためにどうしたらいいのか、お話しを伺いました。
毎週教会でベトナム語ミサを開催しています。 生活の相談、人間関係、学生たちの進学関係などをやっています。 日本語に慣れていないので軋轢が生じてしまう。 働く時間が同じなのに賃金が違う。 プレスで左手の薬指と中指を切断してしまっても、会社の保証の話とか対応がいまだにないです。 大きな会社はきちんとやっていますが、小さな会社は対応できていない。 NGO,NPO、弁護士と相談します。 以前にはパスポートも携帯電話も会社が預かって外に出られない。 外に助けを求められない状況に追い込められる。 行き場所がないので教会に受け入れていました。 今もやっています。 日本の国を憧れている。 働くために何も考えず、悪い人に騙されてい行ってしまった。 家や土地を売って、日本に来て3年間働けば、後は何倍にもなって返ってくると言われ来るが、現地に入ってくるとそうではない。
私はベトナム戦争の時にサイゴンで生まれて、私の両親は南政権で働いていましたが、政治的な迫害を受けて、仕事も出来なくなりました。 1983年に木造の船に乗って「ボート・ピープル」としてきました。 最初姫路センター(難民を受け入れるセンター)で3か月ぐらい日本語を習って、大阪のプラスチックの会社で働くことになりました。 言葉は通じないので黙って働くしかなかった。 工場で寝る事になったが、布団もなかった。 私としては、もっと楽な道、楽しい道を作ってあげたいと思ってます。
大坂で働いている時に、いい社長さんと出会って、専門学校を紹介してもらいました。 彼から人は一人では生きていけないという事を教わりました。 1995年に起きた阪神淡路大震災で困った人が沢山いました。 現地へボランティアとして行きました。 ベトナム人への支援を行いました。 逆にいろんなことも学びました。 疲れ切っている時に、被災者のおばあちゃんからおむすびを頂いた事もあります。
大震災の経験から、共に座る、共に聞く、聞いてから相手の立場を考える。 私が出来ることをやっています。 外国人だけではなく、ホームレスのために炊き出しもしています。 自分のことよりも相手のことを考える。 他人の力を借りないと生きられない。 人に寄り添う活動をしてきました。 入国管理施設に収容されているベトナム人たちの面会も行ってます。 オーバーステイで在留資格を失った外国人が収容するケースがおおい。 悪い会社で働いたためにオーバーステイになってしまった。 最初は月32万円貰えるという事で違う会社に行くが、最初の月だけ貰えるが、その後は賃金を貰わない。 オーバーステイになって捕まってベトナムに帰る。 その会社は車の部品会社で破産して、又別の会社を立ち上げるという事を聞きました。
言葉が判らないという事でストレスが溜まって、喧嘩を起こしてしまったりする。 服役してから入国管理施設に収容される人たちもいる。 誤った道に行く前の支援が必要です。 帰る時にもう日本には来たくないという人が居ます。 日本は良かったまた行きたい、と思ってもらいたいので、私はそれを意識しています。 言葉以外に、お互いの無理解が大きな壁になっていると思います。 相手の考え方、相手の文化、習慣などをお互いが理解するが大事だと思います。 イベント(食事、踊りなど)を通してお互いが理解するという事をやっています。 多文化共生、お互いが理解し合う。 ミサを終わってから、教会から駅までの道の掃除を30分やっています。 日本人、他の国の人も参加します。 心の交流も生まれます。 一緒にやることは良い事だと思います。(新しい発見もある。) まずは挨拶をして、そこからコミュニケーションが生まれる。