宮田亮平(金工作家) ・イルカは私の原点
宮田さんは1945年新潟県佐渡市で生まれました。(78歳) 佐渡の海を泳ぐイルカをモチーフにした作品で知られ、国際枝的に高い評価を受けています。 宮田さんは東京芸大で金属板をかなづちで叩いて造形する金属工芸の技法である鍛金を学びました。 その後東京芸大の学長や文化庁長官を務め、今年、日本芸術院の会員に選ばれ、また文化功労者にも選ばれています。 宮田さんは佐渡の蝋型鋳金の二代目宮田藍堂さんの三男として生まれました。 蝋型鋳金という技法は蜜蝋を主体として練り合わせた蝋で策本の原形を作り、それを土で塗り覆い、土が乾燥した後釜の中で蝋を溶かし、土の中から流出させて空洞になったところへ、溶かした銅合金を注入して作るというものです。 宮田さんにこれまでの芸大の学長や、文化庁長官としての仕事のほか、これからの作家生活についても伺います。
代々我が家は工芸家です。 工芸をこだわりながら金属で楽しく物を作っているという感じです。 78歳ですが、文化以外には携わってこなかった。 文化を通じて芸術を通じて美術を通じてと言う生活をずーっと続けてきたことをご顕彰頂いたという事はめちゃめちゃ嬉しかったです。 11月上旬日本橋のデパートで作品展が開かれました。 見ていただいた方の反応を見るのが好きです。 芸術の世界は正確な答えと言うものがないですから。 ギャップが私にとって最大の魅力です。 展示は45点、モチーフがイルカです。 1,5cm~1m近くまでのイルカがあり全部で200頭ぐらいいます。 代表作にイルカをモチーフにした「シュプリンゲン(Springen=飛躍する、跳躍する、前進してゆく)」シリーズがあります。
1990年、文部省の在外研究員としてドイツへ行って、帰ってからイルカのシリーズになりました。 その時に「シュプリンゲン」としました。 ハンブルク美術工芸博物館に研究員として行っていました。 ドイツは鉄の文化がしっかりしていて鉄のマイスターを勉強したくて行きました。 日本の金属との素晴らしい出会いがありました。 鍔とかさびたままで保存されていたので、日本の方法でやってみました。 鉄さびがビロードのような深い黒い茶の色(チョコレートのような)になりました。 象嵌した金もやまぶきによみがえるんです。 大根おろしでこんなに綺麗になることにドイツ人は吃驚していました。 いろんなやり方を彼らに伝えました。 ドイツで日本の凄さを感じ、人生が変わりました。
東京藝術大学美術学部工芸科に入って、大学の学長をやって、2016年に文化庁長官をやって、日本芸術院の会員となり、2023年文化功労者となりました。 佐渡に伝わる金属工芸「蝋型鋳金」技術保持者で、父が無形文化財の新潟県師弟の二代目宮田藍堂、初代が祖父藍堂。 柏崎の原家が伝承していて、佐渡の金山の大砲の技法を、本間琢斎先生が佐渡へ持ってきて開業していました。 その外側の文様を作るという事で、うちの先代が弟子入りして本間家から教わりました。 三代目藍堂は長兄(元・東京藝大工芸科教授の宮田宏平)で亡くなりました。 4代目は芸大の鋳金を出て今は福岡教育大の教授になっていて、多分継ぐと思います。 次兄はデザイナーで三重大学名誉教授の宮田修平で私は末っ子です。(7人兄弟) 女性の姉妹は4人いて、長女は書家、次女が芸大の彫金を出て 三女は染色、四女は油絵やっています。
朝、習字をやってから朝食を食べていました。 母は「昨日とは違うね」と言ってくれて、上手い下手はあまり言わなかった。 「いいの」と言ってくれて心地よかった。 高校2年までは美術は厭でした。(上にいるので比べられちゃう) 或る時、友人から「これ良いね。」と言われたのが美術でした。 そこから美術の道に入って行きました。 二浪して芸大に入りました。 デッサンは特にやっておくべきですね。 教授、学部長、副学長、学長を務めました。 副学長までは自分の研究室を持てました。 という事は学生に私を選ぶ権利があるわけです。(なかなかの試練) 私の信条ですが、「弟子は師を越えてこそ師の役目がある、越えなかったら師が悪い。」と言う事があります。 学長になって辛かったは研究室が持てない、と言う事でした。 芸大には音楽もあり、根本的に違うのは楽譜のある世界と楽譜のない世界です。 2005年から2016年まで学長を務めました。 本当はもう6年やる筈でした。 国から使者がやって来て文化庁長をやって欲しいという事でした。(2016年)
2016年から2021年まで文化庁長を務める。 通常は2年ですが5年やることになりました。 私の作品を作るうえでの醸造の時間がこの5年間にはありました。 その後本格的に作品作りを行い展覧会を開催しました。 イルカは大きさによって鋳造して作るものから板を叩いて作るものがあります。 イルカをモチーフにした原点は芸大に行くために佐渡を出る時に見たイルカの光景がもとになっています。 僕の作品にはあえて目を入れませんでした。 それぞれの思いがあったら嬉しいです。 作品はどんどん作って行きたいが、具体的なものはない。 これからが青春です。