2023年12月20日水曜日

山口 香(筑波大学体育系教授 柔道家) ・〔スポーツ明日への伝言〕

山口 香(筑波大学体育系教授 柔道家) ・〔スポーツ明日への伝言〕 スポーツ、「脱昭和・脱スポ根」時代の到来

今回のオリンピックは前回の時のオリンピックの時に比べて、いろんな意味で突きつけられて、本当にこれで昭和からの脱却と言い新たな社会に向かって行かなければ駄目だよねと言う事を思い知らされた、思い起こされた大会だったと思います。  1964年のオリンピックは肯定的に見らえたと思いました。 イベントとしての思いが強くて、理念とかそういったものが割と後ろに置かれてしまっていたというのも実際のところかなと思います。

当時日本オリンピックの理事をしていて、「アスリートが満足に準備できない今の状況では延期すべきではないか」と発言しました。  私としては、オリンピック、パラリンピックはまずアスリートのためのものであると思っていて、コロナの全容が把握できていない時に、果たして誰のために、何のためにやるのか、納得できなかったので延期はあり得るのではないかと思いました。 大きなイベントが動き出してしまうと、立ち止まるとか、後戻りするとか、と言う事は出来ないんだという事が社会、組織の中ではあるような気がします。 そういった議論が出来なう

いような雰囲気があったように思います。 

「スポーツの価値」と言う本を出しました。 大きな時代の流れがあり、スポーツの部分で言えば「脱スポ根」・「脱昭和」と言う言葉を使っています。  私はいわゆる根性ものと言われるものを見て育って、それが素晴らしいと思ってスポーツをやってきたんですが、今トップスポーツを見ていると、科学的な知見と言うのも大変生かされています。 当時はやればやっただけ成果が上がる、辛くても苦しくてもやり続けることが意義があり、それは必ず結果につながるんだという刷り込みをされていました。 根性とか猛烈に何かをするという事が人間に求められる時代ではなくなってきている。 イノベーション((innovation)とは、物事の「新機軸」「新結合」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。それまでのモノ・仕組みなどに対して全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出して社会的に大きな変化を起こすことを指す。)を起こさないといけない。 

押さえつけられて、我慢してという人間には、自由な発想とか伸びやかな想像力は生まれてこない気がします。 私たちが見ていて心躍る、わくわくするようなプレーは意外性ではないかと思います。  それがスポーツから学べるところだと思います。 独創的なプレーを考え、実行して失敗するかもしれないがチャレンジする。 そこからスポーツからのメッセージがあるわけです。 アスリートを卒業して社会に出ても持ち続けて、発揮することで彼ら、彼女らの価値がさらに上がるということを覚えておいて欲しいと思います。          

子どもがスポーツをやる事は良くも悪くも責任を取るという事です。 そういった積み重ねの経験をしてゆくことで、自分がどうあるべきか、実行しその責任を取るという事を、人間として、スポーツは凄く学ばせてくれる。 野球で言うと慶応高校が勝ったのも、スポーツの新たな息吹を見せてくれたと思います。 オリンピックではどうしてもどこかで国を背負っているというところから抜けきれないところがあるかあるのかなあと思います。 自己ベストを出した時、わくわくするようなプレーを見せられた時、チーム一丸となって向かってゆく姿勢を見ると、勝ち負け以上のものがあるんだろうと思います。 

私は6歳から柔道を始めました。 女子は少なかったです。 1980年が女子の世界選手権の第一回目でそれに参加しました。   日本で女子の試合が始まったのは1978年でした。 加納治五郎は柔道を創始して約10年後に女性にも門戸を開いています。(明治時代) これからは女性も活躍していかなくてはいけないという思いから女性にも柔道をさせましたが、怪我をしたりするのはいけないということで「試合はまだ早い。」とおっしゃいました。 先生が亡くなりその言葉だけが残って、中々試合に踏み切れずにいました。  女子の世界選手権が開催されることが決まって、日本でも出場しなければということで、1978年に日本でも女子の試合が開催されました。

ヨーロッパでは10年近く前ぐらいからヨーロッパ選手権を開いていましたので、メダルのほとんどを取った。 技術的には劣っていなかったと思いますが、試合慣れしていなかった。  私は男の子に混じって試合経験が実は沢山ありましたので、メダルを取れた要因かなと思います。 オリンピックでは男子はメダルを取ると言う感覚で、女子はそこそこ頑張ればと言うような雰囲気ではありました。 ソウルオリンピックでは齊藤仁さん一人、史上最低の金メダル一個でした。 女子もメダルを取って体裁を保ちました。 オリンピックになるとどうしても勝つことが目的みたいになって行ってしまう。 

トーナメント制ではなく、地域でリーグ戦みたいなことをしたり、一人が何回か試合が出来るようなチャレンジできるような仕組みを作ってゆくと、負けても次に生かせるような試合を考えてあげるべきだと思います。 機会を与えられる事によって子供たちは成長します。

私は男の子に混じってやっていて、男の子が女の子に負けると言う抵抗感はあったと思います。 大学でも2年間は女一人でした。 柔道は格闘技なので自分より強い相手とやった方が強くなるんです。  相手を見つけるのが大変でした。 外国人は抵抗なく相手をしてくれました。 大学2年生で世界選手権で金メダルを取る事ができました。(1984年第三回世界選手権大会) 25歳で第一線の選手を退く。 スポーツが目指すのは良き社会に繋がって行かなければいけないと思います。 勝った負けたで評価するだけではなく、頑張ったことに対しても評価してほしい。 スポーツもそうあるべきだと思います。