2023年12月11日月曜日

月亭方正(落語家)           ・〔師匠を語る〕 落語の道を示してくれた師 月亭八方

 月亭方正(落語家)      ・〔師匠を語る〕  落語の道を示してくれた師 月亭八方

バラエティー番組などで人気の山崎邦正さんが上方落語の大一人者月亭八方さんに弟子入りしたのは、15年前のころでした。 現在はタレントとしても落語家としても芸名を月亭方正に統一して活躍しています。 師匠の月亭八方さんについて伺いました。 

落語をやる時に山崎邦正ではできないんです。  山崎邦正でやっていたら、タレントが噺家の真似をしてやらしてもらっているという事で終わってしまう。 師匠について月亭八方師匠の月亭屋号を頂く、八方の字のどちらかを頂くことで、師匠の持っている噺家の命をわけてもらえるんです。 そこでやっと噺家としての道がスタートするわけです。 

月亭八方さん、本名寺脇清三さんは1948年大阪市福島区で生まれます。 幼いころの夢はプロ野球選手でした。  中学卒業後野球の古豪浪商高校に進学するものの、周りのレベルの高さから夢を断念、新たに芽生えたのが落語への興味でした。 高校卒業後一旦は就職をしますが、どうしても落語家になりたいと、二代目桂小米朝(後の月亭可朝)さんに弟子入りを願い出ます。 師匠には何度も断られましたが、諦めずに劇場に通い詰めた結果、1968年師匠が可朝が襲名すると共に、20歳で正式に入門が許可され、月亭八方と言う名前を授かりました。 入門の翌年1969年に始まった毎日放送のテレビ番組『ヤングおー!おー!』に、八方さんはレギュラー出演、上方の若手落語家、林家小染さん、桂きん枝さん、桂文珍さんと結成した「ザ・パンダ」はアイドル並みの人気で、全国に存在を知られるようになりました。 俳優としても映画、「男はつらいよ 寅次郎子守歌」やNHKのドラマスペシャル「しあわせの国青い鳥ぱたぱた?」などに出演した月亭八方さん、上方落語の第一人者として現在は上方落語協会の顧問も務めています。 

子どものころは落語は全く興味なかったですね。 19歳で吉本の芸能総合学院、NSCと言う学校に行きます。  お笑いタレントになりたいと思いました。 テレビの仕事を20歳からやらせてもらいます。 古典落語などからはあえて遠ざけていました。 テレビへの対応は20年やっていると対応は出来ていました。  出た時には「キャーッ」と言われるが、しかしお客さんを喜ばせる芸は何一つなかった。  落ち込み、人生を振り返りました。 桂枝雀の落語に出会いまして、落語の面白さを知りました。 その後半年間は毎日桂雀漬けでした。  

月亭八光(八方さんの息子)さんとは顔見知りでした。 覚えた落語を何とか話したかった。 それで師匠を紹介してもらい、勉強会に参加するようになりました。  打ち上げで酔った勢いで「「月亭」をください。」と言ってしまって、師匠もOKと言ってくれました。 「月亭方正」の名を頂きました。  段々明るい先が見えるようになっていきました。  2008年12月に落語家として高座に上がりました。(上方落語協会に入る。)  後で聞いた話では、反対派(タレントがと言うような)もあって大変だったようです。   「方正が何かしでかしたら俺は辞める。」と師匠は言っていたらしいです。(声を詰まらせる。)  今自分にも弟子がいますが、自分でそこまでできるのかなと言う思いはあります。  それから15年が経ちました。  「お前は真面目という事ではなくて、芸事が好きなんや。」と師匠から言われました。  八方師匠からいただいたギャラは宝物として取ってあります。 「ええかげん」と言う文字の色紙も大事に持っています。(肩の力が抜けてゆく。)

月亭八方師匠への手紙

「・・・芸能人生に悩んでいる時に師匠とお会いしました。 ・・・「月亭」と名乗っていいよとおっしゃってくださいました。・・・今改めて考えてみるとそれが全てなんだなと思いました。・・・ 弟子を守るために立ち向かってゆく姿、弟子にすべてを与える精神、まわりの人たちを思いやる優しさ、すべてを勉強させていただいています。 師匠に噺家の命を頂き、人生の教訓を頂き、師匠に頂いた「ええかげん」と言う御言葉の色紙に癒されております。・・・ 今も変わらず見守っていただきありがとうございます。 これからも師匠に恩返しができるように精進します。(泣いて時々言葉を詰まらせながら話す。)・・・」