神 直子(NPO法人ブリッジ・フォー・ピース代表)・戦争体験を遺す・ビデオ交流20年
神さんは大学4年の時に参加したフィリピン体験学習での出来事に強い衝撃を受けます。 体験学習とは戦争を知らない若者たちが、太平洋戦争の戦地フィリピンで戦争の実情を学ぶというものでした。 神さんは現地の人の証言が心に深く残り、戦後育ちの自分に何が出来るだろうかと思い悩みます。 戦争は被害者だけでなく加害者の日本兵にも心に深い傷を残し悩み続けたまま亡くなっているという事でした。 神さんが始めたのは日本兵の苦しみをフィルピンの人に知っていただくという活動でした。
「ブリッジ・フォー・ピース」は平和のための架け橋という意味で命名させていただきました。 フィリピンと日本を繋ぐ架け橋という事と、戦争を体験した世代と知らない世代を繋ぎたいという事でこの団体を命名しました。 2000年に大学4年生の時に参加したフィリピン体験学習が大きな影響を与えています。 雨宮剛現青山学院大学名誉教授主宰のツアーでした。 目的が2つあり①過去の戦争の傷跡を知る、②アジアの貧困に苦しんでいる人達の現状を知る、と言う事でした。 戦争体験者と出会う旅でした。 或る女性から「日本人なんか見たくなかったのに何で来たんだ。」と涙ながらに語りました。 その体験が本当に私の胸にぐさりと刺さって、活動を始めたと言っても過言ではありません。 事前学習でいろいろ戦争のことをまなんで行きましたが、机上のうえの勉強だけではなかなか想像できないことがありました。 本当にショックがある体験学習でした。 両親も戦争を知らない世代で家では戦争の話は一度もしませんでした。
先ほどのフィリピンの女性(バーバラさん)は1942年に結婚して、幸せな結婚生活を送っていたそうです。 1943年日本軍が村にやって来て、夫が連行されてしまい、その夫は戻ってこなかった。 ずーっと日本人に対するわだかまりと憤りを抱えたまま暮らして来た女性でした。 50~60名のフィリピンの方が集まっている会議室に私たち7名が参加して、交流する会が設けられました。 その時にバーバラさんが私たちに向けられた言葉でした。 他の人からもいろいろ戦争の体験談を聞きました。 雨宮先生からは「知ったことを何もしないのは知的な搾取だ。」と言われました。 私にとってできることは何だろうと抱えたまま社会人になりました。
2003年に新潟県のお寺の住職と話をする機会がありました。 或る檀家の人が中国戦線で人を殺めたことを住職に打ち明けたことがあるそうです。 日本でも同様に加害者として苦しんでいる人が沢山居るのではないかと、直感的に思いました。 NPO法人ブリッジ・フォー・ピースを立ち上げる経緯になりました。 彼らの証言をビデオに撮影して、それをフィリピンへ届けることから活動を始めました。(家族には話せない事と言っていました。) 全部で300名以上の方から伺いました。 短い方で2時間、長い方では4時間、6時間、明日も来てくださいと言う方もいました。 二度とこのような戦争、体験をしたくないと言う気持ちがあったと思います。
フィリピンの人たちに見せてどういう反応をするのか心配なところもありましたが、話が聞けて良かったと、もっともっと見たいと言っていました。 アレックスさんの話では、父親が日本兵に連行され、連行した男の人々と共に井戸の前にならばされて生き埋めにされてしまった、と言いう事でした。 そのアレックスさんが、私たちの活動を知って、応援してくださいましたが、2021年に亡くなってしまいました。 2024年に4年振りにフィリピンへ行くことになります。 サポートて下さる人も現地で何人かいます。(ルソン島南部) ブリッジ・フォー・ピースに若い人(大学生など)も参加して頂いています。
風化していってしまわないように、この場所でこういう事件がっあたという慰霊碑を建てたいという日本側が提案して、2025年(戦後80年)には完成の日の目を見たいと思っています。 戦争になるとこのような悲惨なことが起きてしまうという、双方が学べる場所になればいいなと思っています。(平和のための慰霊碑) 資金のめどは立っています。 ファシリテーター(facilitator:グループや組織がより協力し、共通の目的を理解し、目的達成のための計画立案を支援する人のこと)の養成講座を来年スタートする予定です。 ビデオメッセージを携えて、学校などの教育現場へ出掛けていていただけるようなプログラムを今作っています。
兵士の証言、体験を生かすという事は出来ると思うので、お預かりした証言は宝物の様に思って、大切に未来に繋いでいきたいと考えています。 インターネットを使って短い映像を乗せるという事で、200万回再生する映像が出てきました。 物凄くいいコメントを頂きました。 活動に関わってみたいという連絡もいただきました。 「わしの命はそんなに長くないけど、この証言は100年、200年もずーっと続いて行くんだ。」と言う言葉は心強い話です。 戦争の悲惨さを全国に広めることで、何か突破口のようなものが見いだせないかなあと思っています。