田中星児(歌手) ・いつまでも歌っていたい
田中星児さんは1947年奈良県生まれ。 1970年NHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』で歌手デビューしました。 NHK教育テレビの幼児番組『おかあさんといっしょ』に初代うたのおにいさんとしてもお馴染みです。 以来、子供から大人まで多くの人が口ずさめる歌を歌い続けています。
父は女学校の音楽の教師をしていました。 チャイコフスキーのくるみ割り人形とかレコードをよくかけていました。 ヴァイオリンを習いました。 童謡も良く歌っていました。 段々とポピュラーの音楽が好きになりました。 ローハイドを初めて英語で歌った覚えがあります。 ポール・アンカ、ニール・セダカ、プレスリーとか歌っていました。 中学3年生の時に、アルバイトをして、5000円のギターを買って練習するようになりました。 当時は子供たちの間では好みが歌謡曲とポピュラーにはっきり分かれていました。 母にはコンサートに連れて行ってもらって生の音が好きになりました。 高校2年の時に「ホイホイ・ミュジック・スクール」が始まって、応募したら1回目は駄目で2回目は合格しました。 1968年にはNHK『NHKのど自慢全国大会』(ポピュラーの部)で優勝して嬉しかったです。 『ステージ101』のオーディションに受かることが出来ました。 アルバイトをしながら歌とか踊りを勉強しました。 『ステージ101』は1970年から74年までした。
身体が硬くて踊りのレッスンの前に1,2時間柔軟体操するんですが苦しかったです。 NHK教育テレビの幼児番組『おかあさんといっしょ』では振り付けを高見のっぽさんにやっていただきました。 5,6年やりました。 「北風小僧の寒太郎」、「ヤンチャリカ」(デビュー曲)とかいろんな歌を歌いました。 「ビューティフル・サンデー」は1976年。 ユーゴスラビアに行く機会があり、「オー・マリヤーナ」と言う歌に巡り合って、レコードになる事になり、A面は「オー・マリヤーナ」、B面は「ビューティフル・サンデー」になりました。 b面が大ヒットすることになりました。
*「ビューティフル・サンデー」 歌:田中星児
*「オー・マリヤーナ」 歌:田中星児
作曲もするようになりました。 「エトはメリーゴーラン」を作曲。1992年から93年「みんなの歌」で放送。
*「エトはメリーゴーラン」 作詞:小黒恵子 作曲、歌:田中星児
健聴者とろうあ者が一緒に楽しめる「歌のバリアフリーコンサート」にも力を入れています。 謡人と、他に3人いて、一人は手話で歌詞を教えて、もう一人はリズム、もう一人は歌の感情を身体で表現します。
「北風小僧の寒太郎」を作曲した福田和禾子さんが亡くなって15年になり、没後15年の記念コンサートもやりました。
「歌のお兄さんズ」という3人でのクリスマスコンサートをやります。