2023年9月21日木曜日

太田章(早稲田大学スポーツ科学部教授) ・〔スポーツ明日への伝言〕 レスリングをするために生まれてきた男

 太田章(早稲田大学スポーツ科学部教授・レスリング・オリンピックメダリスト) ・〔スポーツ明日への伝言〕  レスリングをするために生まれてきた男

太田さんは昭和32年(1957年)秋田市出身。  秋田商業高校から早稲田大学に進学し、1980年日本がボイコットしたモスクワオリンピックの幻の代表に一人です。    1984年のロサンゼルス大会フリースタイル90kg級で、日本人として初めて重量級のメダル銀メダルを獲得、ソウルでも連続して銀メダルに輝いだ日本レスリング界の重量級の新境地を開いたパイオニアです。

「がぶり返し」とは英語では フロントヘッドアンドアームロック 前で首と腕を一本づつ上から押さえ、自分から回転して相手の身体をひっくり返したり、バックを取ったりすることができる技です。  相撲のガブリ寄りとは全く違います。  「ほいさ」という掛け声を出して技をかけたりしていました。   力勝負では絶対勝てないと思っていたので、スピード、柔らかさ、相手の裏をかくという技の展開で対抗していきました。  スキを狙って一気に技を掛けて投げてしまうというように、一本背負いとか自分の持ち味にしていました。     

小学校5年生から柔道を始めました。  6年生で秋田市の大会で優勝しました。  中学では一本背負いを繰り返して、3年生では県大会でも優勝しました。  秋田は昔からレスリングが強かったです。  中学3年生でミュンヘンオリンピックがあって、秋田代表の柳田さんが金メダルを取って帰ってきました。  自分もレスリングをやって世界に行ってみたいと思いました。  野球も4番でピッチャーをやったり、他のスポーツもこなしていました。  チャンピオンになるためには格闘技だと思いました。  秋田商業高校に入り16歳からレスリングを始めました。  あれよあれよという内にいろんな技を覚えてしまいました。  2か月後の東北大会で1年生で優勝してしまいました。  自分のためにレスリングがあると思いました。  東北大会は3年間優勝しました。  インター杯は1年生で3位、2年の時には負けてしまって、3年生では優勝することが出来ました。  その時には大学生も破って世界ジュニア選手権の代表にもなりました。  

早稲田大学に入りましたが、一般入試で入りました。(スポーツ入学はなかった。)  アッカーの岡田武史監督、マラソンの瀬古利彦も同期です。  レスリングの富山英明、柔道の山下泰裕も同期です。  中学校3年生の時に彼を講道館に見にいって、こんなに一杯才能がある人が居るのかと思いました。   彼が大会で全て違う技で勝ったんですが、後に聞いてみたら、その都度違う技を指示されてその技で勝ったそうです。  

五木寛之の「青春の門」を読んで、当時早稲田大学は門のない自由な校風、そこで巡り合う人たち、そういったことに憧れて、早稲田大学に入学しました。  レスリングは2部でした。 2部では素人とやっているような感じで吃驚しました。   1980年のモスクワ大会が迫っていました。  日本はモスクワオリンピックをボイコットしました。  ショックでした。(23歳)   もしモスクワに行っていたら、そこで満足して先はやらなかったかもしれません。   東海大学大学院に進み、早稲田大学の助手をして、オリンピックを目指して、ロサンゼルスで銀メダルを獲得しました。  共産圏、ソビエトや強い国が来なかったのでとれたというようにマスコミから批判され傷つきました。 悔しさはソウルまで続きました。  ロサンゼルス大会の翌年、スーパーチャレンジカップという共産圏の選手を含めた大会あがありました。  最後の10秒ぐらいでがぶり返しを決めて、逆転勝ちをしました。  ソビエトに勝ったという事で引退を表明しました。  

コーチとしてやっていましたが、当時戦った選手がまだやっていまて、うらやましく思いました。  コーチを辞めて現役に復帰しました。(オリンピックの1年弱前)  ソウルでは全くメダルを取れる気はしませんでした。    ソウルでの第5回戦(準決勝)、アメリカの選手との対戦で0-8でしたが、がぶり返しが見事に決まって、逆転フォール勝ちに繋がりました。(自分としては勝てる自信はあり仕掛けを待っていまいた。) コーチ陳は自分より興奮していました。  肋骨の剥離骨折をしていました。 決勝は医師と相談して、ギブスみたいに巻いて戦いました。  決勝はソビエトの選手に敗れて2大会連続の銀メダルという事になりました。  

重量級で、力比べをしてしまうと体格のいい選手、筋肉の多い選手が勝ちますが、スピード、柔軟性、相手の裏をかくというテクニックに特化して試合を行いました。  バルセロナ、アトランタ(代表入りならず)にも挑戦しました。  中学では若白髪があって、後ろから見られたくないので、絶対バックを取らせないと言う思いがありました。  今の若い子に言いたいのは、いろんな運動をしていろんな素質を作ってもらいたいなと思います。  レスリングのルールも変わってきて、出れない階級も2階級出来てしまって、厳しい状況が続いています。   力対力のレスリングをやっていると魅力のないレスリングになってしまうと思うので、レスリングの魅力を引き出して、選手たちに頑張ってもらわないといけない、観客を魅了するような試合が必要だと思います。